第05話「きっかけ」
「イレギュラー・マリオネット -The Wild Guardian-」の後日談にあたる話です。
前作はこちら
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「勉強かぁ……。でも俺、あまり難しいこと考えるの得意じゃねーんだけど?」
レオンの横に座って過去話を聞いていたライガは、怪訝な顔になっていた。
「ああ、召喚事故の影響もあって記憶や経験は魂に引き継がれなかったんだろう。けれど、お前はそれで良いさ」
レオンはライガの頭を撫でながら続ける。
「あの頃は、学ぶことが唯一の楽しみだったんだ。寒くて腹が減っていても、授業を聞いている間だけは……少しだけ、現実を忘れられたから」
「でもさ、レオン兄ちゃ……いや、過去の俺は教室に入れなかったんだろ? やっぱ寂しかったんじゃねーの?」
「いや、それがな……。そうでもなかったんだ」
◇◆◇◆
――それは、ある日の放課後のことだった。
生徒が教室を出ていく中、ライガはまだ頭を抱えていた。
授業の中で、どうしても分からない箇所が出てきたのだ。
何度も何度も地面に式を書いては消すを繰り返して試行錯誤する。
「ううん……? どうして、値が求められないんだろう……?」
腕を組み、頭を掻きむしって必死に考える。
「……あら?」
と、黒板を消そうとしていた女性教師と目が合ってしまった。
(……しまった!)
ライガは、咄嗟にその場から急いで離れ、物陰に隠れる。
直後、年配の女性は外に出てきた。
全身に嫌な汗が走る。突然のことで、うっかり地面に書き写した字を消し忘れていたのだ。
こっそりと様子を伺うと、女性は地面に気付いたようだ。
(…………?)
様子がおかしい。女性はしばらくジッとその文字を見つめている。
てっきり、侵入者が居ると大声で警備員を呼ばれるものだと思っていたのに。
しばらくすると、女性は枝を拾って何かを書き始めた。
そして、一通り書き終わるとその場を後にした。
「あ……っ!!」
思わず小さな声が出た。
女性が去った後、確認するとそこには間違った箇所を訂正するように文字が書き足されていたのだ。
「そうか! 先にこっちの値を求めて、それを代入すれば良かったんだ……!」
問題が解けた瞬間、何とも言えない恍惚感に満たされた。
次の日、信じられないことが起こった。
昨日ライガが勉強していた所に、新品のペンとノート、さらに各授業で使われる教科書が置いてあったのだ。
(落とし物……? いや、それにしたって揃い過ぎてる……)
さらに何故か鏡が2枚、向かい合うように立てかけてあった。
(……こんなところに、鏡が2枚? どうして?)
と、そのうち授業が始まってしまった。
「さぁ、授業を始めますよ?」
女性はいつものように黒板に文字を書いていく。
(あ……っ!?)
すると、黒板に書かれた文字が鏡に映った。
まず、1枚目の鏡に黒板の字が写る。しかし、それは左右反転してしまっている。
さらにその光景を2枚目の鏡が反射することで、黒板の字がしっかりと見えたのだ。
(すごい……!!!)
まるでそれは自分も教室の中に居て、授業を受けているような、そんな不思議な感覚を覚えた。
ライガは興奮も冷めやらぬまま、すぐに教科書を開き、ペンでノートに黒板の字を書き写していく。
問題に挑戦し、それを解く。時には教科書を頼りに調べ、回答を出す。
……楽しい! こんなに楽しいことがこの世界にあったなんて!
(……あれ?)
ふと、黒板の片隅に読めない字を女性が書いていることに気付いた。
一見、落書きのような不思議な字だ。
まさかと思い、一枚目の鏡を見てみる。
『お勉強、頑張ってね。妖精さん』
それは、反転された鏡文字だったのだ。
胸の奥に、じんわりと温かい何かが広がっていくのを感じる。
誰かが、自分の存在に気付いてくれている。
自分を「教室の外にいる誰か」としてではなく、「教室の中にそっといる、何か」として。
その配慮が、何よりも嬉しかった。
ライガは一層、ノートに書き写す手に力を込めながら、心の中でそっと呟いた。
(……ありがとう、先生)
その日から、ライガの日課が始まった。
学校が始まる少し前に森を抜け、決まった位置にある教室の外へ向かう。
鏡が角度を変えないようにそっと位置を直し、ノートとペンを取り出す。
雨の日は葉を使って鏡を覆い、風の強い日は石で支えた。
勉強の道具は毎日持ち帰り、大切に手入れして次の日に備えた。
ある穂、窓際にノートが置いてあった。
確認すると、そこには『今までの授業で、分からなかった所はある?』との一文が添えられている。
「~~~~っ!!!」
ゴクリと唾を飲みこむ。
勘違いしてはいけない。自分は、どこまでいっても学校の侵入者で、この先生の生徒ではない。
何度も、何度も自分自身に言い聞かせてきた。
――けれど。
授業中、先生の話をまともに聞かずに関係ない話題でお喋りしだす生徒。
涎を垂らして寝ている生徒。
まともにノートもとらずに遊んでいる生徒。
気だるげに、あくびしながら何度も時計を見ては授業が終わるのを待っている生徒。
ずっと他の生徒が羨ましかった。いや、憎らしかった。
彼らはどれだけ先生が注意しても、一向に態度を改める様子はない。
そんなに授業が嫌なら、お前らの誰でも良いから、俺と席を代わってくれ! ……いままで何度も心の中で叫んできた。
(質問……したい……! 答えが欲しい……っ)
頭では分かっていても、学びへの欲求が止まらない。
ついに我慢できず、ノートにペンを走らせた。
「…………っ!!!」
まるでフラストレーションを吐き出すように、質問事項を書き殴った。
「ここの公式の使い方がわからない」
「教科書に書いてある、この文の意味が知りたい」
「どうしてここで“こうなる”のか、納得できない」
怒りとも、焦りともつかない感情が手を震わせる。
気がつけば、ノートの端は力の入りすぎたペン跡でくしゃくしゃになっていた。
(……しまった……)
書き終えたあと、ライガは我に返った。
(どうしよう、やりすぎた……)
怖くなった。
やはり、こんなもの返すべきじゃないだろうか? そう思って空いていた窓際にノートを置いた。
――そのときだった。
窓の向こうから、カツン、カツンと靴音が近づいてくる。
(……!)
慌ててノートをその場に残し、身を屈めて草むらに隠れて気配を殺す。
心臓の鼓動が耳の奥で暴れていた。
窓際で音が止まり、そっとノートが持ち上げられた。
しばらくの沈黙のあと──…。
窓の向こうの気配が、やがて遠ざかっていく。
ライガはそっと顔を上げ、窓に近づいた。
そこには、さっき自分が渡したノートが残されている。
震える手でそれを開くと、赤文字が書き足されていた。
丁寧な文字で始まる一問目の問題の解説。
例題や別の言い回し。図解。
そして、最後に添えらえた一言が目に留まる。
「理解できるまで、何度でもやってみてね」
ライガの目から、ぽろりと涙がこぼれ落ちた。
先生は、自分の疑問に答えてくれている。
しっかりと、自分の“知りたい”に向き合ってくれている。
それからというもの、ライガと先生の“交換ノート”は毎日のように続いたのだった。
ある日の放課後、いつものようにノートにまとめて復習をしていると、誰もいない筈の教室の窓際の席に誰かが座り、窓が少しだけ開いた。
「妖精さん、まだそこに居るかしら?」
優しく落ち着く声。きっとあの先生だ。
(…………)
ライガは意を決し、小さく壁をコンコンと叩いた。
「ふふっ、今日は私が宿直だから時間があるの。……特別授業をしてあげましょう」
「……っ!!」
思わず心が弾んだ。
もちろん、教室で先生から直接授業を受けられる訳じゃないけれど、それでも感謝の念で一杯になる。
「さ、まずは算術から始めましょう。教科書を開いて? 分からないところがあったら、合図をして頂戴」
もちろん、教室の廊下を誰かが通り過ぎるかもしれない。だから声を掛けられる筈もない。だから返事の代わりに、小さく1回だけコツンと壁を叩く。
そこに“居ない”筈の生徒と先生の、秘密の授業が始まったのだった。
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