第12話「最強だから」
「イレギュラー・マリオネット -The Wild Guardian-」の後日談にあたる話です。
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爽やかな風と、花の香りが吹き抜ける花畑の中、レオンは大きく溜息を吐くと、話を続けた。
「俺は、見誤っていた。勘違いしていた。勇者にとって何の障害でもなかった怪物も、取るに足らないと判断していた瘴気も、一般人には死を意味していた」
言い終えたレオンは、そこで一度口を閉ざした。
視線を落とすと、墓前の花が風に揺れているのが見える。
穏やかな香りが鼻先をかすめるたびに、過去の血と泥の記憶が、遠いもののはずなのに少しも色褪せていないことを思い知らされた。
「……決して自分の強さに自惚れていたわけじゃない。ただ、それが当たり前になってしまっていたんだ。だから、いつの間にか“この程度なら大丈夫だ”と錯覚していた」
「えっと……つまり、自分がどれだけ強くなってたか、自分じゃ分かんなくなってたってことか?」
傍で聞いていたライガも、不思議そうな顔でこちらを見つめてきた。
「ああ。皮肉なことに……恋人を失って初めて、自分が誰よりも強くなっていたことを思い知らされたんだ」
「帰還したあと、村人たちの反応は一貫していた。皆ライガを賞賛し、カインの死など、勇者の栄光の前では些細な犠牲だと片づけた。いや、むしろ勇者のために死ねたのだから本望だったろうと、そう口にする者たちさえいた」
その言葉を聞いたとき、胸の奥に残ったのは冷たい石のような感触だった。慰めではなく都合のいい解釈。人々は勝利の香りに酔い、死者の名前はついでのように片隅へ押しやられていく。ライガは村の広場で拍手を受けながら、自分の手の中に残る泥と灰の感触を確かめていた。誰も、カインのことを尋ねはしなかった。
「何だよ、それ……! 自分達はただのうのうと討伐してくれるのを待ってただけなのに!」
隣に座る少年はその場面を想像したのか、憤慨したように声を荒げた。
村人達の無神経さと、矛盾した期待の軽さが彼の胸を締めつけているのだろうか。
だが怒りを向ける相手はもうどこにもいない。
言葉は空気の中で乾いて消えた。
「そうだな。現実は……いつだって理不尽だ。厳しくて、優しくなくて……辛いことが多い」
その言葉は静かで重い。
そんなことを思い知るのに、勇者の背負った損失は余りに大きかった。
朝が来るたび、また孤独に一日を生きなければならないことだけを思い知らされた。
隣には、もう使われることのない枕が残されていて、そこには薄く埃が積もっていたから。
「カインの死後、俺……いや、勇者は彼の墓標をこの想い出の地に作ったんだ。そして、生きる意味を失った」
◆◇◆◇
「グォオオオ!!!」
辺りに響く獰猛な咆哮は、ライガの胸の奥の風景を再び呼び覚ました。森の闇が深く、獣の息が湿った土に混じる。彼はその目の前に立つ魔物を見下ろし、なぜか微笑みとも嘲笑ともつかぬ声を漏らした。
「ああ、良いな。お前の牙なら……俺を殺せそうだ」
振り向く者はおらず、ただ自分自身に向けて言葉を投げるようなものだった。ライガは一切の抵抗を放棄し、なるべく静かに、なるべく無防備に立ち尽くす。だが牙は容赦なく振り下ろされる。
――しかし。
ボキッと鈍い音が響いた。魔物が悲鳴を上げ、驚愕の表情を浮かべる。牙はまるで薄い焼き菓子のように砕けてしまい、その欠片は土に散った。魔物は狼狽し、幾度も襲いかかるが、そのすべてが粉々になる。
「なぜだ……? なぜ、死なせてくれない……」
ライガの声は震えていた。目を閉じ、胸をさらけ出しても、皮膚は裂けず、血は流れない。
勇者の加護──それはジョブと共に与えられた祝福だが、今それは彼にとって逆の形で牙をむいた。強靭な肉体は、死の許しを与えない檻となっていた。
誰かが俺に言った。
――貴方様は最強の勇者様だと。
「……なにが最強だ。……俺にとっては呪いでしかないのに」
剣を鞘に収め、ライガはただそこにいる。戦うことすら放棄された存在の姿は、傍目には尊大に見えるかもしれないが、その内側は真っ白に燃え尽きていた。魔物は最後の力を振り絞り、爪を打ち付ける。だが爪は砕け、血を流すのは獣の方だった。
拳を握りしめ、土を叩く。涙が滲み、地面を濡らしていく。嗚咽が夜の木々に吸われ、音だけが残る。世界は静かに、しかし確実に遠ざかっていくようだった。
「俺は……ただお前と一緒に居たかっただけだ。戦うのも、勝つのも、全部どうでもいい。ただ隣に……居てほしかったんだ……!」
その叫びは、かつての幸せを呼び戻すことはなく、逆に森の静寂を深めるだけだった。魔物は怯え、逃げ去った。勝利の形は変わり果てていた。
ライガはゆっくりと立ち上がり、夜空を仰ぐ。星は遠く冷たく、まるで他人事のように瞬いている。
――最強だから、誰も対等になれない。
――最強だから、誰も殺せない。
だって最強だから。
最強だから。
最強だから。
最強だから。
もう嫌だ!! 死にたい、もう生きたくない! 今すぐこの世界から……消えて、なくなりたい。
どうして? どうして俺だけがこんな目に遭うんだ? 一体、俺がこんな運命になる程の何をしたっていうんだ!?
ポッカリと開いた心に、黒い憎悪が渦巻いて満たしていく。
けれど、誰を憎んで良いのかすら分からない。
「どうか……誰でも良いから、俺を殺してくれ。カインの居ない世界なんて、もう……」
だが、世界はその願いも拒絶する。
鋼のような体は自らを傷つけることすら許さない。結局、彼はただ立ち尽くすしかなかった。
そのとき、ふと頭をよぎったのは、かつての先生の言葉だった。
『私たちは、きっと自分が思っている以上に狭い見識の中でしか生きていないの。だから疑問に思ったことは、ちゃんと自分の目で見て、調べてみてね。他人の意見や噂に惑わされず、何の情報が正しいのか、資料を集め、精査することを忘れないで』
「…………」
あの時は、あまり深く考えなかった。しかし今、絶望の縁に立つライガにとって、その一文は救いの糸口になりえた。無力感に沈むだけでなく、調べることで道が開けるのではないか。彼はふと、世界の外側を思い描いた。
「もしかしたら、他の世界なら……俺を殺せる?」
その考えは一見滑稽だが、ライガは必死にその可能性を掴もうとした。自分が無敵に近いのは、この世界における法則の話に過ぎない。文化や環境が異なる他の地ならば、ここで通じる「加護」が通用しないかもしれない。そう考えた彼は、書物と旅路へと目を向ける決意をした。
(前に記録を調べた時に、勇者は次元の壁を越えて他の世界に渡れると書いてあった。調べる価値はあるかもしれない)
◆◇◆◇
「他の地上世界? じゃあ、勇者は実際に次元を超えて他の世界に行ったってことか?」
ライガは興味津々で尋ねる。
「そうだ。『テラアース』以外に『テラグランド』、『テラガイア』、『テラソイル』。それらの世界に実際に渡り、様々な資料を持ち帰った」
「すっげぇ……! 並の労力じゃねーだろそれ」
「そうだな。けれど……あの時の俺は死ぬことしか頭になかった。結局目ぼしい情報は見つからなくて徒労に終わったが」
レオンは拳を握りしめる。ライガ自身の言葉を引用する形で彼は続けた。情報は集められたが、答えは出なかった。そして――とうとう、ライガが辿り着いたキーワード。
「けれどついに、ある存在に辿り着いた。冥界ヘルフレイルに住むというその存在は、魂の管理者とも呼ばれている。そう、勇者を唯一殺せるのは……冥王だったんだ」
遠い伝承にひっそりと記されていた「冥王」という存在。
名前だけでも重く、城壁のように立ちはだかる概念。そこに辿り着いたとき、勇者の旅は終わりを迎えようとしていた。
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