八 口働き
意外にも鉄太と、鉄治すら動かず新之丞を待ち受ける。
敵は二人、飛び道具すら匂う――されど足は止まらない。
木陰を出て、草木掻き分け、開けた河原へ踏み出す。
――間抜け!
ふと声が耳に響いて、胸に熱が生まれた。
かつて、十年前の罵声に生まれた熱が蘇る。
「ばーか!」
「阿呆!」
煤宮の修行は年の大小に関係なく罵倒にて始まる。
新之丞はその時まだ舌足らずな年の頃。入門したてで袖丈短い浅葱の振袖のまま、修行を始めた。
「あー芋っぱり!」
「じゃあ、の、のろま?」
まだ十歳の新之丞、相手の伝助も同様。大して語彙のない悪口は早くも尽きて、顔を横に――縁側の老人へと向けた。
「よいぞ、よいぞ。その調子じゃ」
白髪交じりの髪、医者のような風体に、枯木のような色合いの着物。であるが、腕は二人の腰ほどにもある老人――長谷野九郎三郎大膳。
すでに還暦を迎えた煤宮の主は笑ったまま、左手を上げて悪口を促す。
「えー? えーえーと、えーと。あ! このとーへんぼくっ」
「とーへん? 何それ? 悪口なの?」
「母ちゃんが父ちゃんに言ってたもん。だから悪口だぜ。ほら新之丞の番だ」
「ししょー?」
「悪口ではあるのう」
「えぇ! じゃあ、えーと、えーと」
指を折って、頭をひねって、唸った声を上げて、身体を捩って考えていた。
が、何も思いつかない。その様子に見かねた長谷野は歩いて近づいてきた。
「ふーむ、終わりかのう?」
「――はい」
「やった! おれの勝ち!」
「はっはっは、何度も言うがのこれは修行じゃ。ただ悪口を言い続ければいいというものではないぞ。ほら見てみい。新之丞の足を。動いておらんじゃろ?」
「でもししょー。俺も動いてないです」
「その通り、単に悪口を言っても相手は動かせんということは分かったであろう?」
「でもそんな悪口なんて――」
「あるであろう? 少なくとも新之丞にはの。伝助、分からぬとは言わせぬぞ?」
「あっ――でもそれは」
師の顔は好々爺から一変、厳しい目つき――武人の顔となる。
「修行相手に手心を加えてどうする。後の禍根となろうぞ」
「でも」
「のう伝助。お主が口籠った言葉でいつか新之丞が打ち取られるやもしれぬ。それでも良いのか?」
「ええ! いや、いやです!」
「であろう? なら言わねばならぬ――ほら」
背を叩かれ一歩前に出る伝助。
とはいえである。いつもの元気はなく、おどおどとして指を合わせるだけ。
伝助は幼い頃に友誼を結んだ仲である。
そうでなくとも”その言葉”を言うのは人の道に反すること。二人の歳でもそれは分かる。それくらいには酷い言葉を言わせようとしているのも分かった。
「はぁ、まったくこれでも駄目か。松原が居ればのぅ。儂では中々に上手くいかん。どうしたものか。どうすればお主は新之丞の傷を抉れるようになるのかのう」
さらりと酷い言葉をにっこり笑顔で吐いた師に伝助は「鬼爺ぃ!」とぶつけた。
「おおっ、良いぞ伝助。儂を相手にしよるか」
「大体こんなので強くならないよ。早く刀を握らせろ!」
「はっはっは、よう言うた。悪くない言葉を選んだな。だがまだ甘いの。かつては庭一杯の弟子を相手していたのじゃぞ? そんな言葉で動かせはせん。よし、儂が手本を見せてやろう。耳を貸せ新之丞」
「――えっ?」
「儂が言っても仕方なかろう? 新之丞、お主が言うのだ。ほれ、こう言え――」
嫌だった。伝助が我慢したというのに自分から言えと言う。本当に酷い師である。
がしかしとても反対できない。
がしかし師から聞いた言葉もとても言えない。
少なくとも十歳の新之丞にはとても言えない。墓まで持っていく言葉に思えた。
「ほれ、言わんか」
「えっ、でも――これは――」
「修行ぞこれは」
「そうだ来い新之丞! 俺には効かんっ!」
「ううぅ――」
「それではいつまで経っても刀は握れぬぞ、良いのか? 諦めるのか?」
言外に『仇は討てぬ』と言われてはさすがに観念した。
それに本人も承諾済み。もっとも内容は知らないであろうが。
だが、覚悟した。仮に縁を斬られたとしても果たさなければならないこともある。
「良いか、全部言うんじゃぞ。そして大きな声で!」
目を瞑って大きく息を吸って、素早く叫んだ。
「寝小便垂れ! 聞いたぞ伝助のかーちゃんに! ちょっと糞もついてたって!」
思い切り吐いた言葉は春の風にのって庭を駆け巡る。
恐らく外にまで響き、間違いなく伝助の耳に入ったであろう。
だが伝助の声は聞こえない。
それが怖い。
一縷の望みに賭けて恐る恐る片目を開けば、そこには振り上げられた拳があった。
硬く握られ震える拳は怒りそのものの形。
顔も真っ赤。目が会えば、野犬の如く。弾けるように拳が飛んできた。
「これこれ、殴るのは修行ではないぞ」
「ししょー! とめないでくだされ!」
頭を抱え、来たるべき衝撃に備えたが一向にやってこない。
うすら目を開け手の隙間から見えたのは、拳を握ったまま絡めとられた伝助の姿。 その顔のあまりの怒りように新之丞は少しふんどしを濡らした。
「よし少し休みを取るか。ほれ」
落ち着いた伝助を離すと、縁側に座り直す長谷野。
新之丞は小走りに長谷野の近くへ行く。まだ気配が野犬のようであったから。
「――おー、やりぃ!」
長谷野が手に取ったのは、ずっと置いてあった竹皮の包み。
ずっと気になっていた包みの中は期待通りの餅。
お陰で、伝助もすっかり機嫌が戻った。
「頂きますっ!」
子供には外れの部類の餅であるが、二人は喜び噛みついた。
が、外れは外れ中の外れだった。
餅はやや硬く、噛めども噛めども口に広がるのは薬のような苦味だけ。
期待をしていた甘味――餡子が何時まで経ってもこないまま半分を過ぎた。
「ぐええ、苦ぇぇだけじゃん」
「餡子が――ないっ?! ししょーこれ」
「餡子なぞ入っとるわけなかろ。贅沢じゃのぉ。こら伝助、ちゃんと噛んで食え」
「だってぇぇ」
「食わんと強くならんぞ。まったく、早く強くなりたいのではなかったのかの?」
「へ?」
「伝助、お主が強くなりたいと言うたのでじゃろう」
「いや――その、ははは」
「そうか。新之丞はどうだ?」
そう言われては残りの餅を一気に口にした。ヨモギの苦味に窒息しそうであったがなんとか飲み下すと、長谷野に目を向けて強く頷いて返した。
「もっと強くなる修行がしたいです。技を教えてください!」
「だよなぁ。口が強くなってもな」
「なっても?」
「いや、その――」
「言うてみい」
「怒らせるだけです」
新之丞が素直にぶつけると、師は頷きながら「だから良い」と答えた。
「良い? 怒らせるのが?」
「その――”生き残る”には合わないと思います」
「何故だ?」
「何故って相手がさっきの伝助みたいになるんじゃ?」
「そう、だから良い」
「でも、怖いです」
「はは、怖いか。確かに怒れば勢いづく。その時、相手はどう動くと思う?」
「動くって、そりゃぶっ飛ばします!」
「どうやって?」
「近づいて」
「先程の伝助のようにか?」
「そりゃ、さっきは俺――怒ってたし。みんなそうだよ。なぁ?」
それを聞いた師は三度頷き、今度は歯を見せて「そうだ。だから良い」と答えた。
「ええ?」
「何故ですか?」
「わからんか? では伝助。刀を持ったフリをしてみい」
「フリ? こう――?」
「よろしい。一、二の三で斬るフリをしろ。新之丞はそれを見てから避けてみい」
「はい」
長谷野は伝助の背後に立って、耳元で何か囁いた。
そして手を上げさせて上段での構えを教える。
少しずるいと思った。
「では行くぞ。一、二――」
「おりゃっ!」
”三”を待っていたが手は”二”で振られた。
身体を躱すも既に伝助の手は振り下ろされた後。刀があれば肩を通ったであろう。
「ずるいっ、二で斬りましたよ。ししょー!」
「はっはっは、ではもう一度。次は本当に一、二の三だ」
――今度も早いのでは? と腰を落として伝助の手を見ていた。
”一”でも”二”でも”の”でも警戒。だが言う通り動いたのは「三」の時。
ぴくりと動いた手を見た瞬間大きく飛び退いた。
「やった!」
「くそ――ししょー今度は三までのどこかで振るでやりましょ!」
「よし来い伝助!」
「何が”良し来い”だ。これは修行ではないぞ」
「えっ、違うの? せっかく面白い修行になったと思ったのに」
「違うわっ。先刻まで何の話をしていたと思っているんじゃ」
「餅がまじぃ?」
「違うわっ! 悪口だ。悪口。今の攻撃が何故避けられた」
「それは三で来たからです」
「ではその前は何故避けられなかった?」
「それは二で――あ」
と新之丞は長谷野の言わんとすることに気付いた。
「なんだよ。新之丞、どうした?」
「あ、いや、そのそう言うことでしょうか?」
「うむ、気づいたか」
「なんだよ? 何がそういうことなんだよぉ」
「伝助、分からぬか?」
「分かりません!」
「ええい、少しは考えよ。良いか。最初は二で振らせた。事前とは違う攻撃。これは普段の立ち合いを模した攻撃じゃ」
「普段の?」
「いちいち相手に攻撃するぞと教える阿呆はおらぬ。いつ来るか分からぬ攻撃の方が当たるであろう?」
「ああ、確かに当たりました。じゃあ二つ目のは何で教えたんですか?」
「だから――まったく。よし新之丞」
今やっている修行と合わせた教えているのだから答えは一つ。
「相手を怒らせたから」
「怒らせた? ああ、ん? さっきの俺か!」
「そうだ。怒ったから新之丞に向かって行ったろう?」
「確かに、あ、そのための悪口!」
「その通り。怒らせて、動かすことが出来れば相手から攻撃するぞと教えてくれる。ならば怒らせない手はなかろう? もっとも実戦はそう単純でもないが。それでも確実に避けることは容易くなる。振りも大きくなり、急所ばかり狙ってくるようになる。どうだ二人とも”生き残る”に役立つであろう? 強くなるであろう?」
もはや皆まで聞くまでもなく新之丞も伝助も納得していた。強くなれると。
その顔を見た師は得意げで満足げな顔しながら二人の頭を撫でる。
「これが煤宮の基本となる技『口働き』である。励め」
新之丞は口働きの修行が苦手だった。
それは我慢が利かぬから、悔しくて口の端を噛み切ったことすらある。
故に磨いた。
相手を見て言われたくないことを見つけ出す術。口で先手を取る術を。伝助にぶつけ、兄弟子にぶつけ、師にぶつけ、出稽古でぶつけて。挙句、町行く人々にすら――
自然と悪口雑言が沸いて来るまでになった。
風が頬を撫でた。
巻いた風が川から吹き戻り、冷気を運ぶ。
目の前には――まだ動かぬ二人。
口働きの修行で覚えた熱が首をもたげた。
「そうだ。そっちの箒頭の小僧」
沈黙の二人。
新之丞は更なる追撃を加えた。
「逃げるなら追わぬぞ? 山中の居場所を吐くなら――駄賃くらいはくれてやろう」
――初太刀は口にて
師の言葉を思い出し、新之丞の口は刃を放った。




