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煤宮――仇討ちの果て  作者: 玉部×字
仇へと

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7/16

七 七沢


 伊勢原いせはらから北に数里すうり進むと七沢ななさわという地がある。

 山に挟まれた南北に細長い地。耕作に向かぬ土地故、生計を立てるために炭焼きと石切りが盛んである。

 そんな七沢を川沿いに上っていくこと半日。幾つか目の石切り場を通ると――人の住む場所は終わり、そこから先は獣の領域である。


 そんな山奥の木々のざわめきとむせ返るような緑の匂いの中。河原に直立不動の鉄太は名を呼んだ。


鉄冶てつじ――」


 そのか弱き声は、耳が痛くなるほどの蝉の鳴き声に消され届かない。

 同じ濃藍こいあいの着物の似た背格好の鉄治は、石を拾っては投げ続けた。


「そろそろ――」


 鉄太は眉をハの字のまま、再び声を小さく上げた。

 ただ鉄治と呼ばれた小男は応えることもなく、石に夢中だ。

 両手脇の二つの空の桶をじっと見るも、気付いて貰えない。


「何だぁ鉄太てった? そろそろ見つかったか? 分かってると思うが、黒い石だからな? 硬くてこいつに負けねぇ奴だ!」


 鉄治は背に差した身の丈ほどもある大刀おおがたなを軽く叩いた。

 やはり振り向きもせずに、石を拾っては捨て、拾っては捨てながら。


「違ぇ! これも違ぇ!」


 両手で交互に拾っては捨て「違ぇ」と声を上げ。鉄太が微動だにせず数えること、一三回目で再び声を掛けた。


「そろそろ」

「ああ? まだいいだろ?」

「もう、陽も高い」

「じゃまだ暮れねぇってこった。石が見やすい内にやっとかねぇとよ」

「――為右衛門ためうえもんが怒る」


 と告げるとようやく鉄冶が此方を向く。

 着物と同じ色をした濃藍のねじり鉢巻を取って汗を拭い、太く毛の立った眉の両端を跳ね上げて「為右衛門んん?」とがなり声を上げた。


「いいんだよ、あんな奴。大体水が欲しけりゃ自分で来いよってんだ。あの図体なら一人で二つ持てんだろっての! ったく食ってばっかでよぉ。なんで頭はあんなの飼ってんだろなぁ? あれこそ穀潰しって奴だぜ!」

「そうだね。克士郎かつしろうも――五月蝿い」


 鉄太が言うと今度はため息をついて座り込んだ。

 両手の石を放り出す姿を鉄太はやはり直立不動で眺めつつ話を続けた。


「奴も欲しがってたっけ?」

「うん、暑いから――後、多分機嫌が悪い」

「じゃあよぉ、あんな暑苦しい格好してんなよっての!」

「――でも」

「でもってじゃねぇよ鉄太。夏だってんだから熱い。熱いから水が減る。そりゃあ俺も分かるぜ。でも何も俺らだけが使われてやるってのは――いやまあ頭にゃあ恩もあるし使われてもいいんだけどよ。それなら俺らの用事も片そうってのがそんなに悪ぃことかぁ?」

「うらの用事じゃない」

「ちっ! じゃあ待ってろよ。一人でやるからよぉっ」


 やってしまった。

 また鉄治を怒らせてしまった。


 鉄太は目を閉じ溜息を吐きたいのをぐっと我慢して――また待った。


 鼻に獣の臭いが漂えばきもが冷え、耳に茂みの揺らぎが響けば背が凍る。

 そんな人の埒外らちがいの地に、鉄治を一人置いていくことは出来ない。


「あー糞っ! 中々ねぇな。いっそ麓まで行って石切り場から奪うか?」


 直立不動で、鉄治を見守り続ける。


「冗談だっつの。笑えよなぁ。あ、冗談だぜ。笑うなよ鉄太」

「うん」


 再び石を拾い出す鉄治を眺めていた。その間、鉄太は背を森に向けている。

 もっとも獣の濃い森に無防備を晒している――と見えるがそうではない。


 鉄太には鼻がある。


 山からの吹き降ろしは、様々な情報も運んでくる。

 獣の位置も、数も、見えているように分かっていた。

 更には強い日差しの匂いの中に、爽やかな甘い香りを捉えた。ついに桑の実が熟したのだと喜びが鼻を膨らませる。

 拾って帰る――いやそれだと為右衛門に食われて終わり。鉄治と食べてしまおう。

 などと考えていると、鼻が新たな匂いを捉えた。


「――鉄治っ!」


 身体をびくりと震わせ警戒を必要とする匂い――獣だ。

 ただ少し匂いは薄い。塩気と鼻に付くくどくて甘い――髷付油びんづけあぶらの香り。


「うぉっ?」


 頓狂とんきょうな声を上げた鉄治に目を合わせたまま、右手を匂いの方へと差した。

 指が差したのは河原の先。苔むした岩を越え、背の高く茂った草の向こうの大木。

 陽を一杯に浴びようと枝振りが川の半分まで掛かる木の根本を指は差していた。


「ああん、あそこって茂みじゃねぇーか何もって――あれか?!」


 根本の茂みの中にその下に目があった。

 夏の緑の中に溶け込むような着物を着た――男の目。

 幾ら紛れようと異様に際立つ眼光は鋭く暗い。

 まるで獲物を見つけた飢えた獣。おどろおどろしい眼光をした男。

 鉄太は目を合わせ「あそこだ!」と声を張った。


 見つかった――一瞬で見抜かれた新之丞しんのじょうは目も耳も疑った。


「よもや見つかるとはな」


 よもや見つかる距離とは思って居なかった驚きと、よもや人が見つかるとは思って

なかった喜びが思わず口をついて出る。

 昨夜の宥仁ゆうじんの言葉、嘘ということも十分にあった。

 この場所を告げる時の血を吐きそうな苦しい顔、奥歯を噛み砕きかねない顎、脂汗が垂れた額。まるで拷問をされたような顔は僧であっても真実ではない言葉を吐いてもおかしくなかった。


「おい! 見えてんだよ!」


 黒に等しい濃藍の着物の小男二人の片割れが一歩前に出て叫んだ。

 背中に身の丈ほどもあろう刀。獣を斬るにしても人を斬るにしても大きすぎる。

 堅気かたぎでは有り得ぬ得物えもの。逆立った髪と眉で猛る姿はまずもって破落戸ごろつきか賊。


「おい! 斬られてぇのか!」

「あ、ああ、すまんすまん」


 思わず笑いそうになった。その表情を利用して温厚な顔を作る。いや遅すぎたとは思っていたがそれでも目つきと顔を整え無害を演じた。

 打刀うちがたなを背に回し、短刀のみを見せて木陰から出ていく。


「こんなところに人がいるとは思わなくてな――あゆを取っているのか?」

「ああ? 誰が鮎売りだってんだよ!」

「ん? ここの鮎は将軍様にも献上していると聞いたが、違うのか?」


 と聞くと後ろの直立不動の小男が頷いた。


「そうなのか。いやだから鮎売りじゃねぇよ!」

「そう言うな。こんな山奥まで来たのだ。せっかくだから一つ譲ってくれまいか? 美味いと聞いてなぁ。是非に、一度食してみたいと思っておったのよ」


 新之丞は一歩近づいた。

 後ろの男も足まで見え、その足元の桶まで見えた。

――水汲みか。それにしても大きい。

 二人分とは思えない桶の大きさにまたしても頬が緩み、足取りは軽くなった。


「だから違ぇ――ちっ嫌なこと思い出したな」

「嫌なこと何だ?」

「こっちの話だよ。鮎を釣ってこいって無理押し付けた奴が――」

「――鉄治」

「ああ、んだ? 鉄太ぁ! ちょっ! 何だ手前ぇづかづかとよっ」

「すまんすまん、見ての通りの私は旅の者だ。某、新之丞と申す」


 良く見えるように短刀の柄を押し下げ更に一歩。

 笠を上げ、顔を晒し、両手も、口角も上げて敵意のない証を見せて更に一歩。制止の言葉を無視して前に進んだ。


「――寄るなっ」

「そうだ寄るなってんだっ! 足を止めろ。大体なんだってこんなところに――ああ 手前ぇさては忍か!? そうだな。それなら分かるってもんよ」

「――違う。風上に立つ間抜けな忍はいない」

「なるほど風か、匂いか? なるほどそれで――しかし、お主随分と鼻が利く。それこそまるで忍のようではないか?」


 出来得る限りおどけて見せたが、時既に遅し。

 鉄太は腰を下げ臨戦態勢、鉄治も背の大刀に目を向けた。


「なぁにがだ! 手前ぇは一体何者だよ! 間抜けな旅人の面じゃねぇぜ!」

「そうは言っても面は替えられないからな。川を上って来てみれば人の声がするではないか。こんな山奥でだぞ? 居るとしたら化生けしょうもの。そっと木陰から探るが人のさがではないかな?」

「へっなんだ肝っ玉が小せぇな。ばんと出て来やがれってんだ」

「こんな山奥だ。臆病くらいで丁度良い」

「――だからこんなに山奥に何しに来たの?」

「そうだ、そうだ! 何しに来たんだ。鮎なら下で幾らでも取ってろうがよ!」


 鉄治は黒い柄巻つかまきと磨き抜かれた鍔を見せつけるように身体を前に倒し、今にも斬りかかってきそうな体勢を取る。

 だが、新之丞の警戒は後ろの鉄太にあった。

 背も低く五尺もない。腕も首も足も細く、子供と言われても分からない体格。突きだした細い顎に眠たげな目。その上にハの字の眉は弱気にも見えた。

 だが雰囲気がある。刀も帯びていないのにも関わらず、ぼんやりとした顔のどこを見ているか分からない目が刺さるように痛い。

 使えるのは此方こちら――と警戒した。


「確かに鮎を求めていたわけではない」

「やっぱりそうだぁ! 手前ぇ見たいな面した奴が商いなんざぁおかしいわなっ!」

「凄むな凄むな。実はな、人を探しているのだ」

「人だぁあ? こんなとこでか? 誰だよそいつは?」

「この辺りに居ると耳にしてな。知らぬか? 歳の頃はそうさな。我らから見れば親くらいの年齢であろうか」

「我ら? はっ手前ぇより上だぜ? 俺らは」

「ほう、そうか? 私はまたてっきり最初はわらしかと」

「誰がぁぁ餓鬼だってぇ?!」

「いやいや喧嘩を売るつもりはない。最初はと言うたであろう」


 両手でどうどうと抑えながらまた一歩寄ろうとする。


「――寄るな」

「分かったここからで良いか。ここからなら見えるであろう。実は――」

「荷に手をやるな」

「そうは言ってもなぁ。人相書きを持ってるのだ。それを見て知っているか――」

「――要らない」

「おいおい、それはないだろう。噂を聞いたと言ったろう。折角ここまで来たのだ。見てくれまいか? な、少しでいいから」

「うるせぇ黙れ! 要らねぇっていってんだよ。人探しならよそでやりな」


 更に歩を進めようと足を上げる。

 と、鉄太の左手が上がったのが見えた。

 鉄治の大刀の影にふっと隠れながら、ふところに伸びたであろう。

 互いの距離は未だ二十歩は距離ある。

 だが確信があった。間違いなくここから先に進めば攻撃が来る。

 あの位置から攻撃を出来る。その射程があると。

 ならばと、打飼袋うちかいぶくろに手を入れた。


「その男の名はな。山中――」


 山中、そう言っただけで鉄治は目を見開き驚嘆きょうたんの表情をした。挙句鉄太を振り向いてしまうほど――明らかに知っている。

 旅立って一月、仇討ちを志してより十年、父母が斬られてより十六年。その間を思えばこらえられるはずもなく。


「ははっ、確かに人相書きはいらなかったなぁ」


 笑った。呆気に取られる二人をよそに声を上げて笑った。笑いながらも歩み寄り、打刀を見せつけるようにして背から回す。

 刀を抜き、笠とともに旅の男の仮面を脱ぎ捨て現れたのは――煤宮の剣士。


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