六 寺にて
音を立て木戸が開く。
吹きこむ風でがたつく宿坊に居たため、気付いたのは戸の向こうに人影が見え――
「――っ!」
鯉口を切ったところで覗いた禿げ頭。
自分が宥仁に招かれた寺の宿坊に居たと、溜息を吐いた。
「おお、まだいらっしゃったのですか」
刃の光が映っているというのに、坊主は軽く笑って見せる。
「ああ、失礼、少し――気を張っていたもので」
「いえ、こちらこそお待たせしました」
夕刻に辿り着き、夕食を頂き、既に空には大きな丸い月。
若い割りに肝の座った坊主の提灯の後をついて本堂に行く。
寺は草木に埋もれている。花々と緑で彩られ、手入れのされていない庭園のよう。挙句、何故廊下がないのかの問いには「和尚にぶち壊されました」である。実に歩きづらい。
「こちらです」
羽でも摘まむように提灯を持った手が指した階段の先。大きな木に覆われてしまい威厳をなくした――本堂と思われる建物があった。
「どうぞ、中でお待ちです」
履き物を脱ぎ、階段に足を掛け――足が止まった。
境内に持ち込むだけでも憚られる、腰の物をどうするか迷ったからだ。
待ち受ける本尊、仏の前に刀を差して行く。仏に傾倒していない新之丞ですら遠慮を考える組み合わせ。
とはいえ、相手が僧侶だろうと、これを離すことは考えていなかった。
「お持ちください」
坊主は爽やかに笑みを作ると、そういって背を押した。
ならばと新之丞は肩を怒らせ、階段を登り本堂に足を踏み入れる。
「頼もう」
思ったより大きな本堂。まさに伽藍堂と言った場所故、声の通りが良い。思ったよりも大きい声が中に響いた。
腰に手をやり唾を飲みこむ。
響いた声が鎮座した仏を叩いたのか、こちらを見ている気がして――睨み返した。
小ぶりな仏で、周りの仏具とともに輝く金色。
誰を救えばこれだけの金を手に入れられるのか、と鼻から息が漏れた。
「――御坊」
そんな豪奢な仏、圧を感じる像の前に、負けぬ威を持つ僧侶があった。
坊主特有の足の組み方――結跏趺坐で座り、半眼で、新之丞に気付いていない。声を掛けても反応すらない。石像が如く動かない。
ここまで十二分待たされた新之丞である。逸る気持ちだらけである。常ならば叫び出すところだろう。が、これ以上何故か邪魔が出来ず立ち尽くしていた。
「――おお、来ておったか」
宥仁が気付いたのはざわざと吹く風で、仏具がカタカタと鳴ってから。揺らめく行燈が一度明滅し、ようやく目に新之丞が映った。
「座ってくれ」
丸く分厚い座蒲を乱雑に投げてよこす姿は、先刻までの触れる事の出来ない雰囲気は消えていた。
「ああ、寺の作法は気にしなくて良い。好きに座れ」
打刀を抜き、右手側に置く。さらに刃側を内側に向けた。座る時の作法――相手を斬りかからないという意思を見せ座る。
「どうにも最近は座ると周りが見えぬようになってしまう。まあしっくり来るようになったということかな。今更座ることが身につくとはな。昔はなぁ。禅など組もうものなら――こう見えて昔は悪たればかりでな」
「どう見てもそう見えますが」
「ガハハ、そうか。そう見えるか。その上聞かん坊でもあって――それも見えるか?そうか。まあ一刻と座っていられぬ性質であった。すぐに足を解いて、怒られようものなら座蒲を投げつけて外に飛び出しておった。罰として食事なぞ抜かれたり、ようここまで育ったものよ」
「――寺育ちなのですか?」
「なんだ。仏道に救いを求めた破落戸とでも思っておったか? ガハハ」
破落戸その物のような笑顔で答えた。
「まあよう言われる。だが生まれも育ちも――」
「御坊、それより」
「ふむ、そうさな。のう、新之丞。今宵の月は綺麗であろう」
「御坊! ここに参ったのは世間話のためにござらん!」
伽藍堂に響く声。揺らめく行燈。仏の顔も怒気を孕む。
が、しかし宥仁は悪びれた様子も、臆する様子もなく続ける。
「ならば、後ろの御仏を知っておるか」
「――!」
「怒るな怒るな。これはお主の知りたいことに通ずるのだ」
「知りませぬ」
「本当にか? 少しは目を向けて答えてくれんと」
「仏などどれも同じに見えましょう――ただ、不動明王ではないというくらいしか」
「――不動尊か。実に”らしい”仏様を出す」
「らしい――ですか」
「無論だ。不動尊は力を持って仏敵を制す。相応しかろう?」
岩肌のような顔が本来の高僧の如き表情を作った。
「後ろの仏はな阿弥陀如来と言う。一切の衆生を救済される仏様だ。遍く人々に光をもたらす。その光は限りなく――」
「本題がそれですか?」
「せっかちだのう。つまり阿弥陀如来が本尊、この寺は浄土宗である」
「ですからそれが何か! 仇討ちに何の関係が」
飛び掛からんばかりに身体を前に傾ける。
「無論ある。何故なら浄土宗の開祖は法然上人というお方だ。この方はな父君を討たれておる。だが仇討ちはしなかった。何故か? それがこの遺言よ」
『汝更に会稽の恥を思い、敵人を恨むることなかれ。これひとえに先世の宿業なり。もし遺恨を結ばば、その仇世々《せいせい》に尽き難かるべし』
詠い上げると宥仁は更に「仇を討っても恨みは尽きぬということよ」と続けた。
「――やはりそういう話でありましたか」
「愚禿は坊主である。仇を忘れ別の道を進むがよい。さすれば一廉の者――大丈夫になれよう」
握った手から血が滲むのが分かった。待たされた挙句のこの仕打ち。震える身体を抑えるために吐き捨てるように口を開いた。
「姑息」
「申し訳ないと思うとは思うておる。止めるが仏の道よ。そもそも仇討ちなぞ万に一つも成功しない――『曽我物』のようには行かん。今では町民農民まで仇討ち仇討ち、挙句お上まで認める始末」
「歌舞伎は関係なかろうっ!」
舞台と役者と同じと言われれば、新之丞の右手は鞘に向かう。刃を向ける方を逆だったと悔いた。
「同じことよ。人を斬る――そんなことにお主の生を浪費すべきではない。益があるのか? 討たねば職を追われるか? 家督でも質に取られたか?」
「討てば晴れて坂上を名乗れましょう」
「討たずとも名乗ればよい」
「名乗れませぬ」
「名乗れ、許そう」
「御坊に何が――」
「出来ると――言ったら?」
本気の目だ。出来るという凄みのある目。この巨僧ならばと新之丞すら信じさせる力がある。
坂上を名乗り、晴れて父母の墓前に立つ――ただ、足りない。あの夜はそんなことだけで払拭出来るようなことではなかった。
「だとしても、仇討ちは致す所存」
「無益だとしてもか」
「仇討ちは損得ではありませぬ。仇によって討たれた父母の無念。その無念を晴らさねばならない。それこそ人の道。道理でありましょう」
努めて淡々と返す。
でなければ本当に刀を手に取りそうであったから。
「それは違うな。父母は子の健やかなることを願う。報恩したくば生きる道を選べ。仇討ちなぞ――歌舞伎のようには行かぬ。曾我兄弟とて散っておろうが」
「父母の心を安んじればこそ、私は健やかなりましょうぞ」
「違うっ」
「違う? 何が違うと言うのでしょうか」
「仇討ちでは死者の心は安んじることはない」
「――今まで何度となく私の仇討ちを止めようとした者はおりました。送り出した師も、兄弟子も友ですら。しかし、それは、仇を討っても無駄とはあまりにも!」
右手は鞘を掴む。左膝は前に飛び出さん勢いでついに立つ。
いつでも飛び掛かれる態勢で睨みつけた。
「あまりにも? 何故だ? お主の父母の心は安んじることはないぞ」
「何故かっ!」
「どこにいると思っている。お主の父母はどこにいる。浄土だろう! 阿弥陀仏の下ですべての煩悩から解き放たれておる。これ以上の安らぎがあると思うてか」
「戯言を! 私が神仏を信じているとお思いか!」
「なら死者はどこだ。神仏を信じないのに御霊は信じるとぬかすか。成仏せずに怨霊としてさ迷っているのであれば、必要なのは仇討ちではなく加持祈祷であろう!」
斬る。その気持ちを断ち切るように奥歯を噛みしめた。
抜かぬように力を込め、床に鞘を押し付ける。鞘尻の尖ったコジリが床を削り取るのも構わず。そうでなければ首を刎ねていたであろう。
「お主の表情が物語っておる。父母ではなく己のために討ちたいとな」
「何を――私はっ!」
「その顔は瞋恚に侵された顔よ。毒に似た苦しみ伴う激しい怒りにな」
「当たり前だ! 何を、何を、御坊何を言ったと思っている! 仇を討っても意味がないだと。仇討ちを志して修行を続けたこの十年。すべてが無駄だったと言った! これが怒らずに居られようかっ!」
「その志そのものが瞋恚に齎されたと言っておる。その毒は苦しかろう。熱かろう。だが耐えねばならぬ。一時楽になったとて救いはないぞ」
「毒が苦しいから――逃げているとでも。そのための仇討ちだと。自分のための!」
「違うと言い切れるのか?」
「違う! 違うに決まっている! 私は父母を鎮めるために彼奴を斬るのだ!」
「それでは恨みは尽きぬ。斬らばまた別の恨みを生み世をいつか覆いつくす」
「知ったことかっ! 私には関係がない」
「あるのだ。父母を安んじるなら恨みを残してなんとする。真に父母を安んじる気があるのであれば祈れ。仏に。さあ! ここに一切をお救いになる仏がおわす!」
「黙れぇっ! なら何故最初から救わない! 一切を救うだと? なら何故最初から父母が斬られぬようにしてくれなかったのだ! 何故だ!」
かつて、同じやり取りをした。仏前の僧に猛り返した。あの日のように叫ぶ。
宥仁も、他の僧と同じように黙って、目を閉じて、頭を下げた。
だが、かつての僧たちと違う迷いが浮かぶ。
一度開いた口をまた閉じ、そうして何度かして口にした言葉は――
「些事だからだ――」
「些事だとっ!??」
「そうだ。人が生きて得る苦しみは死ねば消える。いや苦しみだけではない。すべての感情はやがて消える。消え去る物――空だ」
「ふざけるな、ふざけるなよ。では何なのだ。この怒りは瞋恚とやらは。煩悩も何も――ないと言うことではないか!」
「そうだ。死ねば消える。だから生きているこの世に恨みを残してはならぬ。永久に尽きぬこととなりかねぬ。死ねば無くなるもののために苦しむのはやめよ。諦め、受け入れ、浄土に行くその時まで心安らかに生きるのだ」
「もういい! もう、黙れ――」
瞋恚。腹の底から沸く、身を焦がすような熱がそうであるならば――この熱を覚ます方法は一つしか思いつかなかった。
頭を過ぎったそれから逃げるように、踏みつけるように座蒲から立ち上がって――
まだ右手が言うことを聞くうちに踵を返した。
「どこへ行く」
「端から坊主の話なぞ聞くべきではなかった」
「だが、まだ聞きたいことは何も聞いておらぬであろう」
「もういいと言った」
「何故愚禿が『然全』の名を知っていたかを」
その名は新之丞の足を止めるに十分であった。
最後――と決めて振り向きもせずに待つ。
「愚禿はなあれの兄だ」
その言葉に腹の底の熱が溢れ出す。
頭を灼き、全身を総毛だたせたそれは空ではなく確かな重さがあった。
新之丞が鞘を放ると――風が吹いた。
強風が吹いて堂に吹き込む。
揺れる行燈の灯は強い風に一瞬消えて風と宵闇に紛れる。
そして再び灯った時には抜き身の新之丞が立っていた。
その刃を宥仁の首に押し当てて、見下ろしながら立っていた。
「坊主だからと斬られぬとお思いかっ!!」
「坊主だから斬れぬでは困ると思っておったところだ」
刃を押し付けられて尚不敵に笑う宥仁。強がり――ではなかった。目に力はあり、手も足も震えは見えず、刀から伝わる脈にも乱れはなかった。
「安心せい。寺の者には『昼の喧嘩の仲裁に腹を召した』と伝えてある。まあ愚禿の腹であの侍の主も黙るであろう」
「――何故そこまで」
「些事だからだ。生への執着もまた死ねばなくなる。そうは思わぬか? さあ斬れ!斬って仇を討て」
「御坊は仇ではないっ。山中のことを語って貰おう。今どこにいるか。いや、最後にどこで会ったかを」
「違うな。仇だ。兄と言うたであろう。仇討ちとは復讐、意趣返しをすること。なら同じことをせねばなるまい? 父母を斬られたのだ。あれには父母がおらぬ。愚禿を兄であるこの愚禿を父母同様に斬り捨てい!」
首筋に刀があっても、岩のように動じない。汗一つかかず、むしろ涼やかな表情でじっとその時を待っていた。
だが、その潔さを持ってしても静まらぬものもある。
「どうした? 斬らぬのか」
「斬るさ。だが――」
「だが?」
「今ではない」
「今では――何故、今ではいかん」
「何故? 何故と問うたか。仇討ちとは同じことをするのであろうが」
「そうだ、だから斬れと言うた」
「だから同じようにしてやると言っているのだ」
ざわざわざわざわと木々を鳴らす風の中。
カタカタカタカタと音を立てる。
そこはあの夜の木戸の向こう。
新之丞の目はあの夜を見つめていた。
錆びた鉄の匂いに塗れ、強い風に吹かれていた。
幼き新之丞は戸にもたれて見つめていた。
『――っ』
戸の向こうから吐息が漏れた。
新之丞は息を止めた。向こうに聞こえぬように。
だが戸は開かれ新之丞の目はそれを捉えた。
大きく瞳孔までも見開かれた目、油を付けすぎたようにべっとりと光った島田髷、
赤黒く染め上げあげられた花のような着物を着た女。
仰向けでだらしなく口を開き、小刻みに震える女。
雄々しかったであろう茶筅髷は切られざんばらに、猛々しかったであろう目は力を失い垂れ下がり、隆々としていたであろう腕は鬼灯のように頼りなくなった男。
うつ伏せで女に折り重なるようにして、口を開いた男。
二人の男女と目があった。
父と母と気付くのに暫くかかった。
新之丞は立ち上がることもできず、血の海を滑るようにした下がる。
土気色した顔、光のない目、だらしなく弛緩した身体、止めどなく溢れる血。
されど二人の目は新之丞を捉え、開け閉めしていただけの口からは声を発した。
『――てっ』
『――ょう』
血の海に横たわる亡者のようにボロボロになっても新之丞を目指した。
何かを求めて這いずる姿は餓鬼のようにも見えた。
口から吐く息は荒々しく、呻く声にならぬ声は畜生のように聞こえた。
真っ赤に染まった目、落ちくぼんだ眼窩、逆立てた毛は修羅のような形相。
もはやどうにもならぬというのに生きている。
まだ生きている。ここまでされてまだ生かされていたのだ。
「だから教えて頂こう。山中の居場所を!」
「まさか、まさかまさか。いやそんなはずはない。まさかそこまで。馬鹿な――」
宥仁の岩のような顔がようやく崩れた。ひび割れたように深く刻まれた皺が歪み、禿げあがった頭には冷や汗が垂れ、噛みしめた唇からは血が流れた。
頭を抱え、目には涙を、しゃがれた喉の奥からは地響きに似た唸り声。
「しかし」
「いやまさか」
「何故」
と交互に声を上げ続ける。
その様を見て新之丞は笑った。あの男の兄が苦しむ様を見てようやく笑った。
「そうだ! ははっ、お前の弟がしたことを――同じようにしてやる」
いや到底笑いとは言えなかった。
口角を上げ、目を細め、歓喜の声を漏らしながらもそれは笑顔とほど遠い。憎悪と怨念に満ちた顔。さながら悪鬼羅刹。
「一体何を――あれは何を――」
「絶命するまで刀を突き立ててやろうと言うのだ。あやつの前でなぁ」
それは新之丞に地獄を見せた男の顔、尽きぬ瞋恚と消えぬ怨念を植え付けた男と同じ顔で宥仁を笑えば――ついにすべてを語った。




