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煤宮――仇討ちの果て  作者: 玉部×字
仇とは

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十四 宥仁


 川沿いの道を行く宥仁の足が止まった。


「参ったのですね。宥仁」


 目の前の枯木の如き老僧を前に足が出ない。


「――禮裕様、久しく」

「後は任せます。お前で無くば――愚僧では、あの若者は救えぬ」

「必ずや――」


 この十六年間、禮裕の身に刻まれた苦行の跡が細った身体と光映さぬ目に見えた。

故に交わした言葉は少ないが、重かった。

 道の脇に退き禮裕を見送ると、再び川を上る。


 だが、森に入ると足が竦んだ。


 いい思い出もあっただろう。だが、頭を過ぎるのは凄惨な過去ばかり。何度来ても何度通ろうとも身体は震え、先に進むのを拒絶するように足は動かない。

 それでも宥仁が足を取られず進めたのは望月のお陰。庵までの道をうっすらと月が一筋の光の道を作ってくれていたから。

 ほどなく現れた、木に包まれたような古ぼけた庵。

 止まらんとする足を拳で殴りつけて――


「よし」


 一つ声を出しては顔も叩いた。重く大きな両手で挟みながら叩きつけると鈍い音が響く。岩と岩とをぶつけたような乾いた鈍重な音でもって気合いを付ける。

 大股で進み、戸に手を掛け一息に開く。


「入るぞ」


 中は薄暗い。灯りはなかった。戸から入る月光のみでは幾ら望月でも物足りない。

だから奥に座する男に一瞬気付かなかった。まるで覇気がなかったというのもある。


「居たのか」


 戸から入る光を避けるように男は後ずさる。髪は幾分短くなり、身体は少し細ったけれど、間違いない。つい先日に会った若者。ぎらつくように光る目、強張った身体、先日会った時のような清涼さを失っていたが、間違いなくそれは弟を仇とする者。


「新之丞、少しやつれたか?」

「――御坊、何故ここに」


 開いた口から漏れた声は暑さを忘れさせるような響きを持っていた。いや、むしろ冷たさすら感じる。鋭く抉り身体の芯まで届くような。

 戸を締め、一歩前に出れば、光が失われた分だけ前に出てくる。詰め寄ってくる。 ぎらつく目で、熱のない視線。人を斬った者のそれ。人を斬ることを躊躇わぬ者のそれ。迂闊なことは言えぬ相手と分かる目になってしまっていた。


「今宵は望月。特段美しくある。どうだ。外で話さぬか」

「月なぞどうでもいい! 何故ここに来たかと聞いている」

「しかし、ここは暗かろう」

「どうでもいいと言った。用がないなら帰るがいい」


 出来得る限り、飄々と返してみるも――より強く返って来た。


「あれのことを知りたいのであろう? ならば愚禿よりも詳しい者はおらぬぞ」

「なら、本当に御坊は――」

「兄だよ。嘘は言うておらん。山を降りて久しいが、確かに愚禿はここの出である。ここであれを拾い、あれを育て、兄とも呼ばれて居った。愚かな男だ」

「ならば最初から知っていたということか!」

「だから居場所も知っていた」

「だから仇討ちを辞めさせようとしたのか」

「だが居場所を教えたであろう」

「だが、あれだけの数を揃えていた。ははっ! あれだけ居れば斬れると思うたか? 残念だったな。煤宮を舐めた。数がおっても引き剥がせば同じこと」

「あれだけの数?」

「そうよ。都合七人。山で斬り捨てたわ。経はそこらの獣の腹に聞かせるといい」

「そうか。七人を相手取って、五体満足とは。強いのだな」

「当たり前だ。何年修行していたと思っている。勝てる算段がなくば仇討ちになぞ行くはずなかろう」


 “なぞ”と軽んじる発言。やけに強がりばかり先に立つ態度。あらかた禮裕から何を聞いたかは分かった。

 だから宥仁は目を落とした。この新之丞の勢いは既に虚勢であると分かったから。


「だが意味はなかったな。あれは既に死んでおった」

「はっ、生きておったわ。動いて斬りかかって来たわ!」

「動いたとしてもあれは死人よ。お主の父母を斬った時――いや、もっと前だ。あれの妻が死した時に死んでいたのだ」

「それは――」


 目を瞑れば今も思い起こされる。今も鼻をつく匂いすら思い起こしてしまう。

 それはとても見ていられず、吐き気すら催す。

 しかし、今日この日はそれを細部まで思い起こさねばならない。

 何故なら、もう誰も知らないからだ。もはやこの世で知っているのは宥仁ただ一人。

それを新之丞にも教えねばならない。


「あれの妻さわはな――およそ人がしていい死に方ではなかった」

「――ど」


 何かを発しようとしたが新之丞は黙った。


「この庵の裏でな。恐らくは逃げようとしたのではないか。いや分からぬがな。結局何も調べることもなく荼毘に付したのだから。誰も見せることもなくな。ゴザを掛け焼いたよ。あまりに酷かったからの」

「あまりに――とは? 何を――何をっ!」

「獣に食い散らされた。と思うほどであった」


 あの頃――作太には朝の読経に参加するという日課があった。作太が参加するならと宥仁も必ず一緒に本堂に居た。

 その日もそうだった。


「兄者、そろそろ産気付くやもしれんな」

「うむ、そうだな。なら急ぐか。先に着いた方から子を抱けることとしよう」

「えっ、おい、兄者ずるいぞっ!」

「ガハハ! 作、油断したなぁっ!」


 寺を出るなり転げるようにして坂を下る。二人していい年をした大人であるのだがまるで童のようにはしゃいで、つんのめりながら走った。


「おい、兄者! 地蔵も無視かっ」

「ああ、そうだったそうだったすまんすまん」


 すでに通り過ぎていた宥仁は、三歩戻って六地蔵の前。手を合わせようとすると。


「お先ぃ!!」

「おい、作。お前」

「俺はもう朝に祈ったからなぁ! あっはっは」


 これが宥仁の見た作太の最後の笑顔であった。


「おー戸が開いたままではないか。なんじゃひょっとして本当に産気付いたか」

「何だ。一人で産婆のところまで行ったとでも――」


 庵に近づくなりそれは不穏となった。問題は戸ではなく、脇の畑。踏み荒らしていた。産婆の下に行くならこっちに向かって来なければならない。なのに逆に向かったということ。

 作太は走った。宥仁は庵の中をちらと見た分遅れた。

 それが不味かった。


「作っ! 中にはおら――おおっおおおぉっ、な、なんという」


 宥仁が裏手に回ると目に入ったモノ――最初は塵芥だと思った。もしくは獣の獲物その食い残し。ここで獲物を持ってきて喰い散らしたようにも見えた。

 だが違う。

 決定的に違うのは何も喰らっていないということ。

 手足に穴は開き、膝も肘もおかしな方へまがり、股は会陰ごと裂かれていて、顔は腫れあがり、乳房は食い破られ膨れていた腹は破られしぼんでいても――

 どこも食われていない。すべてここにある。それらを集めれば、人となろう。今はもうその形は留めていなくとも、人が一人、いや二人分のすべてがある。

 宥仁にも分かるもの、ならば作太はひと目で分かったであろう。


「あれはもうおらんかった」

「居な――かった?」

「そうだ。愚禿が庵の中を見た少しの間に、あれはさわを見て――どこかへ消えた。

愚禿も寺の者も探したが行方はようとして知れず。かといってさわはここに在る。その内戻ってくるだろうと思いながら――もうさわを葬らねばならなくなった段になって確か三日ほどして戻って来た」


 元来は山寺では焼かずに葬るのが常。だがしかし、さわの状態を考えて禮裕が火葬を発案した。酷い状態であったから腐敗も早く、作太を待って葬るには骨にせざるを得ないという理由もあった。

 誰も言葉を発することは出来なかった。静かに心の内で経を読んでいたのだろう。

 宥仁もそうである。もっとも般若心経すら唱えること能わない身である。ただ心の中で唱えていたのは毎朝唱えていた祈りの言葉。六地蔵の前で、子の安寧を願う地蔵菩薩の真言。生まれ来るはずの子のためではなく、これからの行く先への祈り。


『オン カーカーカビサンマエイ ソワカ』


 地獄の悪鬼もかくやとばかりに全身を赤く染めた。獄門から逃れんとばかりに満身の力を込めた。奥歯を噛みしめ、頬をつりあげ、目は血走り、眉間に――いや顔中に深く、磨崖仏に入った亀裂の如く深い皺を刻みつけた。


「こうなるまで山に入れられないとは――」


 そう呟いた禮裕も一気に枯れたように見えた。誰も彼もそうだった。他の僧たちもやつれ、疲れ切った顔をしていた。

 山すらも静まり、風すら吹かない。いたたまれないのか陽すら、急いで傾いていくように思えた。

 陽は翳り、空は立ち上る火で焼かれたよう。焦げた雲が発したように、煤の匂いはいつまでも、どこまでも続くように思えた――が、それはすぐに破られた。鉄混じりのすえた匂い。血と腐った肉の香りを運ぶある一人の男が破った。


「作――」


 匂いの方を向けば男が門を潜って来ていた。背を曲げ足をひきずり、疲れたように歩く男が。小袖はところどころ破け、夕陽よりも赤い色に染まっている。


「作――それは」


 垂れ下がった作太の右手が掴むのは赤く腫れあがった頭。腐敗が進行し紫がかった見知らぬ顔。蛆が沸き、蠅もたかった大きな――見知らぬ首であった。


「下手人だ」


 そう言って手にした大きな丸い首を、もう興味がないとばかりに落とした。

 宥仁と目もあわさず、いや誰とも、何とも焦点をあわさない。虚ろな目でふらふらと宥仁の横を擦り抜け、禮裕の持ついびつな壷の前に膝を付いて――


「呆然としていたよ。身を震わせるでもなく、何か口にするわけでもなく。日が暮れ夜が更け朝を迎えても。壷の前でただ呆然としていた」

「父は――下手人では――ない、のか――」

「無論だ。仮にそうなら五年も猶予を与えない。あれはそんな我慢は利かない」

「なら何を――父上――何を――何をしたというのですっ!」


 宥仁は新之丞から目を離さずにゆっくり首を振るった。


「分からぬよ。お主の父親、新助が新道場の主になれたこと。それについての噂はあった」

「――一体何を――父上――何をっ!」

「闇討ちだ。道場の有力者を秘密裡に討ったとか。無論嘘だ。そもそも作太が辞めたのは新助に係わりのないこと。それに作太と新助の腕にはそこまで差はないとも」

「だが、違う――そうだろう! 何かあったのだ。何もなくば噂も立つまい」

「確かに――破落戸とともに居たとか。流人と付き合いがあったとか」

「あぁ、まさか――そいつらに――」

「嘘だ。そんなはずはない。お主なら分かろう。お主の父の腕は――」

「御託はいいっ! 闇討ちをさせたのか! どうか!?」

「――分からぬよ」


 人の噂も七十五日。暫くして立ち消えたこともあり、宥仁には結局真実は確かめることは出来なかった。


「なんの裏付けも出来ない、ただの噂だ。そもそもお主の父は腕一本でのし上がった傑物。剣の腕だけで道場を持ち、士分も得て、妻も娶る。嫉妬と羨望の渦中にあったのは想像に難くない。悪い噂の一つや二つ立とう」

「だが事実襲われたではないか。そうだ――狙ったのは本当は――」

「分からぬ。そもそも作太は道場など――どうとも思うてはおらんのだ」

「だがっ――」


 もはや新之丞に声が届いているのかも分からなかった。目は泳ぎ、焦点はあわず、どこを見ているのかも分からない。瞳は右に左に上に下に、と細かく動いて定まらず、どこか逃げ場を探すようにも見えた。

 悪さを咎められた幼子のようにも、首根っこを抑えられた野犬のようにも、仕置場に引き立てられる罪人のようにも見えた。

 だが違う。

 新之丞はそれらと違う。

 ただ生まれただけのこの若者はそれらと同じであってはならない。


「もう良いのだ。結局あれがお主の父母を斬ったことには変わりない」

「しかし――それではあまりにも」

「所詮、あれは罪人だった。咎を受けなかっただけ――いやだからこそ。誰も愚禿も寺の者もしっかりと弔うことも叶わない。お主があれを斬ってくれた。咎を受ければ罪も少しは洗い流せよう」

「だが、終わっていない。終わっていないんだ! 私はまだ――まだっ!」

「聞くな。所詮罪人の戯言。真に受けてどうする。お主はこれからを――」

「私は七人斬ったのだ」

「仇討ちの邪魔立てする相手を斬っただけであろう。むしろ武士なら誇るがいい」

「――重敵だった――」

「違う! 下手人は討ったのだ。それでも新助を斬った。母も斬り捨てられたのであろう。間違いない。仇であるのだ」

「だがっ――ぐっぅうううぅ」


 新之丞は前に身体を倒した。手で支えなければそのまま伏してしまいかねない力で

抑えつけられたように身体が折れた。


「あぁぁ、父上――」


 もやが見えた。薄っすらと月明りが差すだけの暗い室内のせいかと思った。しかし目を擦れど黒いもやに抑えつけられたように見えた。

 暗い部屋にあって尚黒く目立つもや。新之丞を捕えて離さないように纏わり付く、まるで怨念そのもののような。


「新之丞、それが何が分かるか。何がお前を押し潰さんとしているか」

「何故だ――何故なのです――」

「宿業だ。身に纏う怨念がお前に伸し掛かり、目を眩ませている」

「背負うに値する業が――あったというのにっ――」

「ありはしない! 何故に月が見えん。そもそも何故にこんなところに座っている。仇は討ったのだろう。何故にまだ仇に拘る」

「だから、それは――」

「辞めよ。それは辞めよ。己を責めるな。たとえ何があろうとお主を巻き込んだ宿業、怨念のせい。それに呑まれてはならん! それにのまれたからあれは死んだ。仇討ちという宿業の渦に巻き込まれたから、死に向かう他なかったのだ」


 宥仁は立ち上がる。もう少しで倒れる新之丞へと一歩進み、上から睨みつけた。


「だからそれを討つ。お主を捕え弟を殺した、怨念を――それが愚禿の仇討ちよ!」


 長年追って来た、ようやく捕まえた怨敵へ、拳を奮い吠えた。



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