四 水茶屋にて
人をなぎ倒すように現れた巨漢の坊主――というには上等な着物、金の袈裟に絹の足袋の僧侶だ。高位だろう格好をした僧が場を収めた。
「こんな見世物はしまいじゃ! 素手で刀を折る芸、堪能したであろう! よいな。これは芸、ここでは芸を披露した。よいなっ!」
新之丞をゆうに超える山のような大僧。岩のようにひび割れた深い皺の顔で凄み、熊の如き太く大きな掌で人々を散らせていく。
「お主! 分かったなっ! 芸だぞ! 愚禿が取りなしておく」
「げ、芸――あ、ああ、ああぁぁ」
曽我は揺すられると、首の座らない赤子のように頷く、何度も何度も。そうして、もう一人の侍の肩に捕まってどこかへ消えていった。
「若いの、お主――おい、何処へ行く!」
僧に構わず水茶屋へ入る。
戦いが終わって、ようやく荷物が気になり始めた。やはり頭に血が上っていた。
あれだけ混んでいた店内――今は娘だけが、寂しく一人立ち尽くしている。
「皆さん、帰っちゃいました」
あっけらかんとした声、どこか清々した顔に見えたのは、あまりに都合が良い解釈だろう。そう思ったら「茶を一杯くれるか」と口に出していた。
「はい! 勿論」
笑顔に花が咲くと、新之丞もようやく落ち着く――と、背中が押された。
「愚禿にもだ」
背後に影、入口を完全に塞がれ追い立てられて肩に足が乗る。いや、足のように太い手で抑えつけられて座らされ――
「ほれ、中にずずずっと」
「いや、某はすぐ――」
「あ、お侍様。お忘れ物ですよ」
と、荷物も膝に置かれては逃げ場なし。観念している間に、手には湯呑があった。
「どうぞ、和尚様もどうぞ」
「おお、いつもすまんな」
盆に乗せた湯呑を坊主にも渡す。が、しかしまだ一つ残っている。娘は自ら湯呑を取ると新之丞の横にちょこんと腰かけた。
「あの、御坊――」
「ん、宥仁である」
「宥仁様はこう見えて和尚様なんですよ」
「どう見てもそう見えるだろう。ガハハ」
格好は確かに和尚。だが身体はただ大きいだけじゃない。武芸者のような鍛えた跡が見える。茶を一息に呷る姿などは賊か破落戸にしか見えなかった。
「してお主は?」
「私は坂下新之丞と申します」
「坂下――ふむ”坂下”なあ?」
「意外でありますか?」
新之丞の腰の武士に似合わぬ短刀に、宥仁の目が訝しげに注がれていた。
「否、そうではない。何、そういう拵えの武芸者を知っているものでな――そうその剣術、名を煤宮と言ったか」
「――ご存知でしたか」
「意外か?」
「これは一本取られました」
そういうと宥仁は大きく肩を揺らして笑った。
「”すすみや”でございますか?」
「うむ、山三つ向こうにあった道場だ。しかし、まだあるとはのう」
「はい、何とか細々と」
目を細める宥仁は場所以上のことも知り得ている雰囲気があり、新之丞の肩に力が入った。
「なら何故かの剣術道場の者が、喧嘩をする――否、させたのかな?」
「させた? いえ、和尚様。あれはあのお侍様から突っかかって来たのであって――けして売らせたと言うような。売り言葉に買い言葉というか。でも最初はやっぱり」
「いや売らせた。そう誘導したはずだ」
「そんなまさか――」
「そういう剣術なのだ。のう新之丞よ?」
余りの詳しさに不信を覚えた。覚えたのならその身体付きも、目つきの鋭さも常人には思えず。新之丞は目を働かせ、僧侶を測り始めていた。
「あの、お侍様? 大丈夫ですか?」
「かぁ、やめんか」
「へ?」
「その言葉だ。『大丈夫』と言うのは相手を気遣う言葉ではないぞ? よいか大丈夫とは人徳のある男の――」
「あーはいはい、分かりました。分かりましたって。ね、お侍様」
「――うむ」
「おいおい、二人ともなんだその顔は、年老いたなら若者の言葉遣いに口を出すのが世の理、物の道理、人の道であるぞ。お主らもあと二十年もすればそうなる!」
「はいはい。それでお侍様、大丈夫ですか?」
「おいぃ娘ぇぇ」
笑い合う二人であったが新之丞の気は晴れない。
ただ、気を使わせないために口の端を持ち上げ笑うフリをした。
「ああ――大丈夫だ」
「おいぃぃ」
「あは」
「失礼しました和尚。まさかそこまでご存知とは思わなかったもので。この新之丞驚き申した」
「なら”売らせた”というのは?」
頷いて返した。
「ええ、しかし、戦ってしまうとは恥ずかしい限り」
「だろうのう」
「戦いが恥ずかしいのですか? その、剣術って戦うものでは? 往来で行ったのはいけないと思いますけど。恥までとは――」
「否、煤宮に置いては恥なのだ。元より生き残る剣術。背を向けて、地を這ってでも生き残れば勝ち。自ら危地に飛び込むなど愚の骨頂」
「ああ、それで、こう、はっと! 避ける流派なのですね」
娘が踊るように両手をひらひらをさせて腰をくねらせる。
その姿に見えていたのかと、更に恥じた。
「流派ではないらしいぞ?」
「え?」
「左様、煤宮はかつて村を襲われた民の生き残るという意志から沸き上がった物。既存の剣術の流れにない。よって流派ではない――ということだ」
師から聞かされた煤宮の成り立ち。娘の顔は曖昧な笑顔、だが反対に晴れ晴れとした顔で坊主は声を上げた。
「なるほど見事! 世の剣術斯くあるべし。立派な理念である。だがなればこそ喧嘩に至ったのが解せぬ。見たところ旅の途中であるのであろう? 切腹とはいかねど奉行の厄介にはなりかねないのだからな」
尤もであった。小さく「修行不足であります」としか返せない。
「旅の――ああ! お侍様あのことを宥仁様にお聞きになってみては? こう見えて物知りなのですから」
「見た通りであろう。ここまで色々話してまだ信じられないとはなぁ、笑えぬぞ?」
「あくまで見た目の話でございます」
「ガハハ、そうか見た目か。それでなんだ? 伊勢参りの作法でも聞きたいか?」
「ああ、いえ」
果たして聞いて良い物か迷った。
信用に足る坊主を新之丞は知らない。加えてこの宥仁は詳しすぎる。
「違うのか。まあ言うてみい。それなりに何事も詳しくあるのが坊主よ。それくらいしかやることがないとも言えるがな。ガハハ」
肩を揺らし水茶屋ごと揺らす大きな笑い。崩し兼ねないほど笑い続けていた。
だがそれは新之丞の一言でぴたりと止まった。
「賊を探しているのです」
「――何故だ?」
「何故とは?」
「何をするつもりかと問いた。まさか腕試しとは言うまいな?」
新之丞は目を膝上の丸めた荷――打飼袋に落とした。
「御坊が仰るように煤宮は”昔”は名が通っていました。道場には人が入りきらないほどの門人を抱えて稽古となれば庭で行うほうが多いと」
袋を解き中を開いて――中から、半ば千切れかかった、塵芥一歩手前の紙。茶器を触れるが如く繊細な手つきでゆっくりと取り出す。
「それゆえ、分派を作ることになりました――煤宮一伝流。その名で新しい道場を開く運び、その道場の主が斬られました」
手が震え、指先に力が入ってしまう。
壊れかけの四つ折りの紙を裂きそうになりながら。曲がった左は添えるだけで右手を何とか使って開いた。
「今より十六年前、今のような暑い時期。一伝流にこの男がやってきたのです」
人相書きである。
十六年前の事件の下手人の物。
紙の裏からでもその顔がありありと浮かぶ。
手の震えは一層大きくなり、息を大きく吐いては、力の籠った目を坊主に向ける。
その様子に声を掛けようもなく、二人はじつと新之丞の言葉を待っていた。
「この男、下手人の名を山中作太」
「下手人――では」
「ああ道場主――私の父が斬られた」
娘は悲鳴に似た声を短く発する。
宥仁はただ頑と座って、新之丞の声を受けていた。
「それで昔は――と」
「違う。それだけではない。それだけなら”生き残れなかった”と誹りはあっても、それでも本家に類が及ぶほどのことではない。問題は――この男も煤宮ということ」
「なんと――」
「挙句、山中は道場に居た他の物も斬った」
「それ――は」
「母だっ! 守り逃げる剣術が妻すら逃がせぬと謗られた」
娘の嗚咽が聞こえる。
それでも手の力は加減できず、左指の人差し指と親指は紙を破る。
目は血走り、吐く息は地響きのよう、腕には筋が走り、震えながら新之丞は言葉を吐き出した。半ば叫ぶように。
「凶刃と化した山中、父と母を斬るだけでは飽き足らず、更に四人。都合六人を斬り伏せた。名声など一夜で消えたよ。門人も弟子すらも悉く去ったとのことだ。今では私を入れて四人の弟子だけしか居らぬ」
新之丞はさらに詰め寄った。
「御坊! 何かご存知ありませぬか。この十年片時も忘れたことはありませぬ。この一月、江戸を回っては影も形も掴めず。御奉行に聞いても何も出てきませぬ。何かいや何でも良いのです。噂でも、何でも、ご存知ありませぬかっ!」
岩のように動じない。迫る新之丞にも動じない。
ただその優しくとも厳しくとも悲しくとも見える深い海の底のような瞳を――ただ人相書きに落としたまま動かないでいた。
業を煮やし、目の前に突きつけて見せれば――ようやく動く。
小さくごく小さく、大きな口を小さく動かす。
聞き取れないくらいの声で声を漏らした。
「――やはり。然全」
父母の仇、山中作太の誰も知らぬはずの人相書きにすら掛かれていない僧としての名――それが宥仁の口からついて出た。
新之丞は僧がまた苦手になると思った。




