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煤宮――仇討ちの果て  作者: 玉部×字
仇とは

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十二 僧たち


 傾き始めた陽が伸びて、禮裕の目に入る。

 暗い目だというのにいやに眩しく感じながら、あの頃を思い起こした。


「ある朝、あれは兄を伴い本堂に入って来ましてな」


 それは朝の読経どきょうの時、寺の者が勢ぞろい。二人は入口にて立って待っていた。


「折角だから参加しても良かったのですよ。作太」


 禮裕は読経を終えるなり声を掛けると、皆も一斉にそちらを向く。

 皆の刺すような視線、怯むわけもない兄弟であったが。この日は違った。

 珍しく神妙な面持ちで、ともに頭を床に擦りつけて何を言うのかと思えば――


「道場を辞めました」

「辞めた? どういうことですか、いきなり。お前が好きに選んだ道でしょう」


 珍しく声を荒らげて返した。

 それでも二人はただ頭を下げるだけ。たまらず他の僧も口を出す。


「何故だ。作太よ。剣のことを話すお前は楽しそうであったではないか」

「そうだぞ。今から別の道を行くにしてもだな。また長い下積みをこなせるのか?」

「無理であろう。才ある道でも中途に投げるようでは何も続かん。改めて出家するとでも言うつもりであろう。ならば禮裕様の手を煩わせるまでもない。儂が――」

「違う違う。そういうのではないでしょうよ。金であろう、なあ? 作太よ。お前のような放蕩は金がなければ続かぬからな」


 古株の僧たちの声を遮ったのは小太りの僧。この寺生まれではなく外から来た僧で作太の幼少期も知らない。それゆえ厳しい言葉を掛けることも多い。もっともそれは当然の指摘。禮裕たちが甘いのだと理解はしている。

 が、流石に言い過ぎだと思い割って入った。


「――作太、理由を述べなさい」


 だが二人は動かない。じっと動かず、微動だにしない。石にでもなったかと思うとようやく声を出した。身体は動かさず、消え入るような声で。


「――金にございます」

「ほらみい」

「作太っ! 何故入用か」


 再び小太りの僧の声をせき止めるように声を張った。


「お前のことを『いずれ陽の下に出るべき才』とまで買っていただいていた長谷野殿に背を向けるに足る理由があるのでしょう!」

「ただ頭を下げる他ありませぬ。私はぎらつく陽の下より、柔らかい月の下を歩きとうございます」

「陽、月? ――とくれば女か」

「――はい」


 禮裕は大きくため息をついて脱力をした。あまりに想定外の答えだった。あまりに馬鹿らしい理由だったからだ。


「別に剣術を続けながらでよかろう。女房に働かせて剣術三昧は世間体が悪いか?」

「作太は気にせんでしょうが。女の方は流石に――」

「出来ない理由があるんだろう。のう、申してみい。まあ女に金とくりゃ考えはつく考えはつくが、お前さんから禮裕らいゆう様に申すが筋。ただ”金をくれ”だけではいかん」


 何故か小太りの僧は少し柔らかい態度になって作太に話掛ける。


「結納品として金を出せと向こうの家に――」

「金を?」

「そうです。ったく寺のもんじゃあ大した品はなかろうと。坊主なら金ならたっぷりあるだろうと。ああぁっ! 今思い出しても腹が立つわっ!」

「兄者は黙っていてくれと言ったはずだ」

「えぇしかしなぁ作。儂とて怒髪天を突く思い――いや髪はないがな。とにかく怒り心頭なんじゃ。やはり儂が行ってとっちめて――」

「気を鎮めなさい。また床が割れてしまいます」

「もー何時の話ですかっ! いや割ってよいでしょうこれは!」

「良いから黙っていなさい。お前が話すと先に進まない。作太幾らです。幾らの金を要求されたのです。お前と兄とで一緒になって頭を擦りつけて、二人してそんな顔で怒りを露わにするほどの金額とは、長谷野殿に頼ることも憚る金額とは」


 再び頭を床に擦りつけて動かなくなる。それほどの金額ということ。


「――」

「それは幾らなのです」


 長い沈黙が憂鬱を助長した。

 それは聞いているだけの若者も同じだったのか、溜まらず口を挟んで来た。


「幾らですか?」

「ええ、百両必要と言われましたよ」

「百両――!? それは大名の娘とかでしょうか?」

「いえ、蓮の葉売りをしていた娘ですからそれはありません。ただの農民の子です。八王子の方の山奥のただの農民です」

「ああ、そうでした。なら何故。とてつもない豪農の一粒種とか」

「とてつもない豪農とはある意味あってはいますね。しかし子は沢山居ったようで、しかもそのさわという娘は拾い子であったそうです」

「なのに縁談を断るようなことを。何故?」

「いいところへ出せなかったと。聞けば見栄えする娘を金で拾っては育てるそうで。そうして作った縁で権勢を奮っていたとか。どこかの御奉行とも縁戚と聞きました」

「武家の真似事か――」

「ええ、その上いい嫁ぎ先が無ければ――遊郭に行くとか。もっとも、さわは良く言って十人並みの器量でした。貰い手も見つからず、かといって遊郭にも高く売れるわけもなく。それでも働きが良くて売られなかったそうです」

「まるで売り物ではないですか」

「よくある話です。どこにでもある話です」

「しかし、買って来てまでとは――」

「少し手広い女衒ぜげんと思えば――だから、出来るだけ高く値を付けたいのです」

「しかし、幾ら何でも。その――御山に百両を要求するというのは――」

「いえ、必ず取れる。身を賭して用意する。そういう算段があったのです」


 と続きを、寺の者達の覚悟を、あの頃と同等の心持ちで話す。


「百りょっ?!!」

「そりゃ高い!」

「おい、作太。どんな女を落としたのだ。武家の、いや大名の娘でなかろうな?」

「幾らなんでもそれは――それに作太の首はまだ付いておりますよ」

「ははっ確かに。しかしならどこの娘だ」


 平伏したまま作太に言葉を浴びせる。修行をしてきた僧たちでもだ。それほどまでに百両は重い。少なくともこの山寺にとっては。


「ただの農民に――」

「馬鹿な」

「そうです。ただの農民が、どうしてそんな額を要求するのですか。強欲にもほどがあるでしょう」

「さわ――その娘は”足元を見ている”と申しておりました」

「足元を? 何か弱みでもあるというのですか」

「一つはこの寺の生まれと知られていたこと」

「構うか。元よりお上に縋っている寺ではないでしょう。嫁を連れて逃げればいい。そうでありましょう禮裕らいゆう様」


 それには同意は出来た――が、まだ何か言いたげな作太の目。禮裕らいゆうは何も言わずに先を促した。


「それに今は逃げられぬ事情もあるのです」

「それは?」

「それは――」

「作太。申せ!」


 また何も言わずに頭を床に擦りつける。


「あーそれはですな――」

「兄者いい――俺が言わねばならん」

「――ふむ、そうだな」

「さわは――身ごもっております」


 一同ざわつき、驚きの声を上げる中、ただ禮裕らいゆうは静かにうなずいた。

 さわへの話をしたときの笑顔――生まれて初めて見た表情であったからだ。幼子が腹の満たされた時の満足げなそれだったからだ。

 子が出来ても驚くことはなかった。


「子が――それで百両はどう致したのか」


 子と聞いて黙っていられなかったのか若者は口を挟む。


「すぐには返答できませんでした。寺の子の子。となれば愚僧にとっては孫も同然」

「なら一も二もなく支払うべきではありませんか」

「そうです。しかし愚僧は同時に寺を預かる立場であります。例えたまたまとはいえこの寺の主なのです。寺が傾くと分かり切っている額を二つ返事とはいきませぬ」

「しかし!」


 言葉を荒らげ床を叩きもするほどに。

 どういう筋を考えているのかは分からない。これこそが”こと”の原因と考えているのか。はたまた別の要因か。とまれ怒りは露わ、見えずとも分かった。


「何、即答できなかっただけでございます」

「では、支払ったと?」

「ええ、何せこれはもう――」


 応える代わりに口を吐いて出て来たのは話の続き。小太りの僧の断固たる台詞だ。


「寺が舐められたということですな」


 小太りの僧は女と聞いてから随分と態度が軟化した。もしや女で失敗して出家をせざる得なくなったのかと疑るほど。


「この寺が舐められたのです。いや寺だけではない。修行が、御仏がです!」

「言い過ぎですよ」

「いえ、子がいることで足元を見てきやがることがその証左。寺の者なら子があれど何も出来ない。どうせ一〇〇両も払えないと高を括ってるのですよ。これが舐めてると言わずして何を舐めると言えばいいのか――作麼生そもさん!」

「問答することではありません」

「しかしっ、禮裕らいゆう様!」

「そうですぞ! もはやこうなったのであれば作太だけの嫁取りではありませぬ」

「そうだ! これは寺の面目に関わります。先代の、いやそれ以前のすべての僧とて捨て置かぬでしょう!」

「我ら一丸となれば百の小判――必ずや」

禮裕らいゆう様っ!」


 もはや誰しも心は一つかに見えた。


「飢饉の時のように木の皮を喰らわねばならぬやもしれませんよ」

「それも修行にございましょう」

「先人が築き守って来た寺が、更にみすぼらしくなるでしょう」

「なーに、こんな山奥に豪華すぎる寺と思っていたくらいです。修行の邪魔になると先代も仰っていたこともありました」

「なら、この冬は般若湯無しで過ごすことになったとしても?」

「ぐっ――しかし、それでも!」


 禮裕らいゆうは皆の顔を見回した。

 誰も俯かず、真っ直ぐとした視線が返って来る。誰しも作太のために一肌脱ぐ決意が既に固まっていた。


「よろしい、ならばこれから寺を上げての嫁取り三昧です!」

「おお!」

「やりましょうぞ」

「三昧、なるほどこれも修行ということでございますか」


 僧にあるまじき熱。若い者などは弾けるように飛んで拳を突きあげる。三昧という心を落ち着け、精神の集中が深まり切った状態とは正反対に見えた。

 が、禮裕らいゆうとてどこか浮ついた気分であり、頬は緩んだ。


「ありがとうございます。ありがとうございます。この御恩は必ず」

「それは今から返して貰います。お前が一番働くのですから」

「はいっ! 勿論にございます」

「よろしい。では、まずは皆で寺の必要ない物を売りましょう。寺をひっくり返して修行と生活に必要ないものはすべて売り払って下さい」

「はいっ」

「その後は托鉢たくはつ遠鉢えんぱつにも行って貰いますよ」

「勿論ですとも。お任せを、私の心当たりを共に周りましょう」

「よろしい。後は山にも入って売れる物を取ってきましょうか。今なら季節柄――」

「それは私にお任せを。寺の山にて獣を狩らせていただければ――一月で十両は」

「それもいいですが。まずお前は私の伝手を巡って貰います」

「しかし、かなり稼げます。道場で卸していた伝手もありますれば――」

「駄目です。お前が必要としている金です。お前が自ら説明して、お前が自分の頭を下げなければなりません。山に入るのは手すきの時にしなさい」

「そんな無茶な。作に寝るなと仰せですかい?」

「百両を欲するのです。無茶はして貰わねば困ります」

「はいっ! 分かりました」

「では皆! 期限は産気づくまで。急ぎますよ!」


 動き始める僧たち。そこに割って入った声があった。


「あちょちょ! 禮裕様、儂は? 儂はお供に?」

「お前が来たら話がこじれる」

「そうだぞ。最悪牢に行きかねん」


 どっと沸く僧たち。いつものように調子者が笑いを誘う――というわけではなかった。膝を付いたまま、縋りつくように禮裕の前に進み出た。


「そ、そんなことはせん! 儂も何か。後生じゃ禮裕様。儂とて何か役に立ちたい。ハレの日に兄の儂が何もできんというのは――」

「安心しなさい。お前にしか出来ないことがあります」

「おお! それは一体! 何でも仰ってくだされ」

「麓の木を伐り、森を拓きなさい。そして大工を呼んで小さい家を建てなさい」

「なるほど、山に女を入れるわけにはいかぬ。一人で森を拓けるなど兄者を置いて他には居りますまい」

「おお! おおお! そうか。この身体、人より大きいこの身体。今このためにあったのだな! よし! 任せよ。明日には見晴らし良くして見せるわ!」

「兄者――禿げ山にするなよ」

「ガハハ! 任せろ!」

「おい、兄者! 待てっ! 獣がいのうなる!」

「冗談じゃ!」


 その兄弟の微笑ましいやり取りは本堂を揺らすような笑いを起こした。


 禮裕がこの寺に来てからというもの、大きな飢饉が起こり、老僧は皆、食を断って仏になり残された禮裕は滑るように和尚とならざるをえなかった。慣れぬ和尚。それでも止まぬ飢饉。子供は続々と生まれ。その子らを育てて外に出して――落ち着いた頃に寺の子の更に子が生まれるという僥倖ぎょうこう

 忙しく生きた禮裕の中でも、もっとも熱かった夏の記憶を語り終えた。


「少し涼しく――陽が翳って参りましたな。もう夕刻、長く話したものです」


 薄暗くなってきた庵に、少し冷えた風が吹き込んで来た。


「それで? その後はどうなったのです」

「ええ、そうしてここが建ったのであります」

「ここ――とは、この庵?」

「はい、百両を集めたのは夏の終わり。何とか産気づく前のことでした。ここで暫く暮らしました」

「それで? 父と何が――何を――!?」


 打ち震える若者の様子が禮裕らいゆうにも見えた。

 朽ちかけた小屋、妻と腹の中の子、そして作太の凶行。合わせて考えれば禮裕らいゆうの話が“めでたしめでたし”でないことは明白。

 不穏な結論に辿り着くが必然。

 今更ながらに不安にかられた。作太に植え付けられたであろうそれは、実体のない疑念だったもの。しかし禮裕らいゆうによってそれは確かな硬さを得てしまった。

 もはや戻る術はないというのに、後悔すらした。


――どす。と音が響いた。

 禮裕らいゆうの不安を消し飛ばすような、力強くある音。


「ああ――これは」

「さあ続きを、いや全てを! 夜通しでも付き合っていただくっ」

「足音が聞こえませぬか?」

「御坊!」

「聞こえませぬか。いや感じはしませぬか、地の揺れを」

「――っ! だからそれがどうしたというのです」


 自らの懐に手を入れ、片足をついて迫る若者。恐らく懐には小さな刀。それに手が掛かっているであろう。

 それでも、もはや禮裕らいゆうは揺れずに答えた。


「ふふっ、相変わらずの品のない歩き方ですね。まったく仕方のない」

「だから、この足音が何だと言うのですかっ!」

「実に愚かで未熟な者であります。仏の慈悲に縋らなければまっすぐ歩くことまかりならぬ、不道不義の者にしかなれなかったであろう者ですが。この先の話をするのにもっとも適す者であります。間違いなく作太については誰よりも――」


 段々と近寄る足音がした。恐らく若者の耳にも届いたであろう。

 まるで岩が転げて落ちて来たような大きく地を揺らすような――懐かしき愚か者の足音が、今や小屋までも軋ませた。


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