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煤宮――仇討ちの果て  作者: 玉部×字
仇とは

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36/47

九 子二人


 来客の名を聞いて禮裕らいゆうは腹に落ちた。

 ここ最近の修行にて、惑わすかつての情景が何故浮かび上がるのかという理由。


――ようやくこの日が来ましたか


 若い僧に申し付け、方丈に通すように伝えると「こちらに?」と訝し気な声。常ならば、方丈で客の応対はしない。

 他の誰にも見られぬ、他の誰にも聞かれぬ、この寺の最奥で一人で会わねばならぬ相手なのだから。


「そうだ。あの愚か者にも――」


 若い僧を待たせて文机に向かい紙を広げて、筆を取る。

 禮裕は一瞬だけ身体を止めて考えてのち、一言だけ書いた。

 『来たれり』と。


「これを糟屋宿かすやじゅくの寺に」

「――はい」


 やはりどこか納得いかぬ声で若い僧は頷いて出て行った。

 一言だけの文、それがどう伝わるか、いつ伝わってくれるかの心配が残った。が、すぐに文のことは頭から消えた。

 足音がしたからだ。

 力強く踏みしめる、寺の者に有り得ぬ足音。

 怒気すら感じるような勢いのあるものだった。


「失礼致す――坂下新之丞と申す」

「愚僧は禮裕と申します」


 光を失いつつある目に映るのは若者の身体の影のみ。言葉も小さく一言放っただけであったが、ひと目みるなりある男を想起させた。

 きびきびとした慇懃な座りの所作には好感こそあるが、礼を欠く威圧感ある視線を向けてくる。今にも飛び掛からんとする獣の如きむき出しの敵意。


――おお、まさしく


 坂上典心(てんしん)という男を思い起こさせた。瓜二つの気配。血縁であると疑いようもなく――よって禮裕は床に額を擦りつけた。


「何故斯様なことをなされるのか」

「典心殿のご子息とお見受ける」

「いかにも」

「弟子の不出来は師の不始末――向ける顔などあろうはずもありませぬ」

「――もう終わった話です」

「そういうわけには行きませぬ。あれの仕出かしたこと、愚僧の頭一つで納めるには余りに大きすぎます。しからばこの首をもって」

「くどいっ! 僧とは死にたがりの集まりか? もう良いのです。それは終わった話――もう、斬り申した故」

「それは――?」

「つい先日山中然全を我が手にて斬り捨てました」


 この寺に置いて山中然全という男は既に死したと扱われている。

 然全のなした凶行はあまりに重い。幾らこの寺で生まれ育ったとはいえ破門、僧籍剥奪は免れず。いつしか新たな僧も増え、当時のことを知らぬ者が増えて、然全の名は禁句のように扱われた。

 失踪してから長い月日が経つうちに、誰しも“もう生きてはいまい”と思うようになり、それは禮裕とて同じ。

 ともに然全を育てた老僧だけの時にも然全の話をしなくなって久しい。生きているという前提を失っている。今となっては失踪の日に寺の外れの無縁仏に精魂を傾け経を上げるだけ。

 それでも『斬った』と言われて口をついて出たのは嗚咽だった。


「おおぉ――おお」


 乾ききった老体のどこにあったのか。不思議と嗚咽は漏れ続けた。供養の時でも、もはや感情に波は立たないというのに。

まだそこまでの思いがあるとは禮裕自身、思ってはいなかった。だがそれでも目の前の若者に悪感情が芽生えるかと思えばそれはない。

 若者もまた、耐えているのだから。

 父母を斬られ十六年。禮裕の修行と比しても過酷な歩みだったと想像するに難くない。

 その若者が、禮裕が嗚咽とともに想いを吐き出すのを待っている。仇を育てた相手であるというのに。

 手をきつく握りしめて、唇を強く結んで。怒って当然だというのに、ただただ我慢をして待っている。


――なんと情けない。


 この生来優しいはずの若者を、復讐の宿業に巻き込んでしまった。

 優しいからこそ、父母の死に怒り。

 優しいからこそ、人を斬ろうとも怨恨は尽きない。

 禮裕の嗚咽は止まるはずもなかった。


「失礼をば――泣きたいのは――いえ、ならば本日の御用向きは何でしょうか?」

「山中然全は何をしたいのでしょう」

「はて?」

「奴は何をしたいのかと問いております」

「何をしたい――それは、死人が今なお何か企てていると――?」

「ええ、その通り。奴は言いました。『何れ分かる』と『事成れば分かる』と。では何がこれから起こるというのか。山中の縁者は貴方方のみ。何か――そう。討った私に仇討ちでも――と思うて参りましたが――」

「なんと――そこまで」

「そこまでとは?」

「いえ、それは――」


 禮裕には心当たりがある。そして僧としての矜持も。

 故に言葉に詰まった。詰まらざるを得なかったのだ。


「心当たりがおありか? あるのですな!」

「いや、しかし」

「仰ってくだされ御坊! 奴の企てを終わらせなければ私の仇討ちもまた終わることが出来ないのです。分かってくだされ! お頼み申す!」

「――ええ」


 また嗚咽のような声が漏れた。

 若者が逆に頭を下げる始末。追い込まれている。何をどうすれば仇討ちが終われるのか分からないのであろう。

 だが、それでも口は開けない。いや、分からなかった。

 どうするのが正しいのか。

 果たしてどう言葉を紡ぐのが正しいのか。

 目の前の若者にとって何がもっとも救いとなるか。

 何としてもこの若者だけは救わねばならなかったからだ。

この若者を救わねば、何のために僧として生きながらえたか分からぬ。


『――欲しい』


 ふと、声が聞こえた。

 小さき声、小さき頃の声。いまだ小さき作太の声だった。


 何も持たずに生まれた子。衣一つも掛けて貰えず、その命すらも手から離れる寸前だった子であるから。大切に育てられた。過保護と言っていい。

 泣けば誰もが寄りそう赤子を過ぎても。まるで赤子のように扱われた。

 特に悪太郎は片時も離れず、食事のみならず、厠や寝る時にも世話をする。大きくなればともに野山を駆け巡り、境内では一緒にいたずらなども。時には兄弟のようにまた時には親子のようにも思い。我がままもいたずらも大抵は許された。

 ただそのせいか、作太は我がままに育った。

 欲しがれば、それを悪太郎が叶えてしまう。


「ほら、やっぱり飲んでらぁ」


 そう悪太郎が吠えながら方丈に入って来たのは、作太が寺に生まれて五年経った頃のこと。雪のちらつく寒い夜。身体の芯から凍るような冷気の中、わざわざ方丈まで作太を伴いやってきた。

 一人、般若湯を舐めていた禮裕の元に。

 弘法大師曰く「塩酒一杯これを許す」である。幾らボロ寺といえど般若湯は欠かすことはない。唇を乾かさない程度には嗜むのである。

 その夜もそう『寒くて寝付けぬ』と半ば言い訳のように独りごちながら取り出した。般若湯――いや酒の入った土瓶を。自らが土をこねて作った不細工な土瓶。斜にしか立てない土瓶を手にもって呷る寸前のことだった。


「あ、悪太郎? 何しにここに。勝手に入ってはいかんと――」


 勢い良く戸を開いて入って来た悪太郎。そしてその背後には小さな影。


「――欲しい」


 作太は禮裕の土瓶を指差し言った。


「そうだなぁ。一人で飲むのはずるい。恐らく仏も禁じてなかったはずでは?」

「馬鹿者。これは――いやまだ早いわ! 作太は特に子供には毒――それに悪太郎、仏とはなんだ! ちゃんと名をお呼びしろとかねてから。それに何だ。恐らくとは。しっかりと教えを覚えておらんのか」

「へーへー説教は結構。こんな寒い夜じゃあ儂らだって簡単にゃあ眠れんのですよ」

「うん、喉乾いた」

「な、なら水があるでしょう」

「いや余計凍えますぜ。いいじゃないですか。どうせこっちは飲むまで帰れないし、帰らない。問答よりも飲ませてくれれば話は早いでしょうに」


 悪太郎がどかっと座ると、作太も続いて座り込む。二人して朝まで粘る心づもり。

 実際、般若湯を弟子に飲ませてはいけないという決まりはこの寺にはない。禮裕の土瓶も弟子時代からの付き合いである。


「そもそも、悪太郎。お前のがあるでしょう」

「いやぁそれが、のうなってしまいまして。こう寒いとやはり未熟者の私めでは酒をこうぐいとやらねば眠れぬというものでございまして。そこはそれ、流石、禮裕様はまだまだ十分残していると見える」


 嘘である。憎たらしく片眉を跳ね上げた顔は嘘と言っている。単に自分の般若湯を減らしたくないだけ。作太にかこつけて自分も飲んでやろうという悪辣な表情。

 だが禮裕も断りづらい理由はあった。

 なぜなら自分の般若湯は多いからである。他の僧の倍近く割り当てている。恐らく悪太郎はそれに勘づいていた。

 それに作太だ。何も持たせて貰えず生まれた子。それはつまりすべてをこの寺にて貰った子である。捨て子とはいえ、母親が自ら連れて来た子も多い。地蔵で生まれたとしても包む衣に名を縫い付けてあることの方が多いのだ。

 そういう意味で作太は本当にこの寺で生まれたと言える。


「仕方ないですね。舐めるだけですよ。元来子供には毒――これ」

「ありがたく!」


 ひったくるように取られた土瓶。悪太郎の大きな口に咥えられ高々と尻が跳ねた。

喉を鳴らす派手な音、口から垂れた量だけでも一晩を過ごせそうなほど。


「かぁーほら、作太も。最初は舐めるんだ」

「うん――いただきます」


 もっとも幼子に酒が合うわけもない。

 眉を寄せて渋い顔で土瓶を手放し発した言葉は「水」である。


「やっぱりなぁ。言うたろうに酒は口に合わぬぞと」


 嗜める悪太郎。度々こういうことがあった。作太は何を言われても欲するところを止めることが出来ない。他人の漬物や米など。果てはひと様の物まで。人の着物や、侍の腰の刀、寺に来た高僧の袈裟なども。欲する物も定まらず。いや本人も分かっていなかったのかも知れない。

 悪太郎をして“無理”と言い聞かせても止まぬ時さえあった。


「あれは何もかもを欲す子でした。しかし、その実何を欲しているのか分からぬ子でありました。飽きやすいといいますか。欲したものもすぐに『違う』と言って放ってしまう。そんな子でありましたから――」

「飽きやすい? そんな男が五年も怨み続けましょうか」

「五年――とは?」

「新道場を父が開いてからの年数――だから斬ったのでは? それが、父に新道場を奪われたと思ったから――斬ったのでは?」


 禮裕の目にも分かるほど若者は震えた。


「違います。それが理由ではないでしょう。少なくとも剣術に関することで、あれが痛痒も感じることはないと言い切れまする」

「煤宮は片手間と――申すか?」

「剣術は、あれの欲するところではありませぬ」

「馬鹿な! ありえぬ」

「いえ間違いなく」

「なら何故に山奥で道場を構えていたというのか」

「道場を? あれがでございますか?」

「ああ、そうだ。弟子もいれて都合七人だ。これで飽きたなどと申すのか!」

「それでも愚僧の答えは代わりませぬ」


 剣術に対する熱の無さはこの若者が怒髪天を突くことは必定なほどである。始めた理由も”僧になりたくなかったから”で、煤宮は”肉を喰らう”ところも実に都合が良かったのだろう。近かったからというのも大きい。仮に住み込みとなっても寺、兄と遠く離れることもない。

 恐らく道場の場所に鍛冶場があれば鍛冶屋に、炭焼き小屋があれば木こりになったのだろうと禮裕は思っている。


「あれだけの才を持っていながら!? 師をして褒めちぎるほどの才を持っていて?私とて腕では歯が立たぬ。奴を殺すためだけの技がなければ――」

「それは――斬り結んだということでありましょうか?」

「ああ、弟子諸共七人、七沢の山中で斬り捨てたわ!」

「なんと――鍛えてまで――」

「そうだ。あれは剣術に身を捧げねば辿り着けぬ――そういう境地!」

「しかし――」

「剣術でないならなんなんだ! 父が斬られねばならぬ理由は?! なんなんだ!!奴は何をしている。何故何も分からない! 何故――仇討ちを終えられない――もう討ったというのにっ!」


 若者の心の底よりの叫び。

 だが禮裕は口ごもった。

 果たしてこれは若者のためになるのか

 何がどうすれば若者のためになるのか

 何故なら、若者の両肩に手が見えたからだ。

 禮裕の光を失いつつある目には、若者の両肩に置かれている手が見えた。

 見慣れた、懐かしき――子の手に見えた。



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