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煤宮――仇討ちの果て  作者: 玉部×字
仇とは

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33/47

六 弟子二人

 新之丞は違うと言っていた。目が、未だ止まぬ憎悪に燃ゆる新之丞の目が責めるように違うと言っていた。

 あの頃を知らぬからか、知らぬからこそか、二人の仲を疑ってかかる。


「ですが、何かあったのでは――何か、恨むような何かが」

「分からぬよ。あの二人にそこまでの間になろうとは」

「そんな――では突然、狐に憑かれたとでも、それを信じろというのですか」

「仇討ちなぞという利のない行いに時を取られるくらいならのう」

「私には――利があるのですっ!」


 言い分は分かる。だが、現実どうだったか。今の新之丞は結局変わりはしない。こうなるのではという危惧が完璧に当たった姿の新之丞に、長谷野は掛ける言葉が見つからなかった。


「儂には分からぬ。分からぬのだ」

「それは何故――!」

「何故――か。あの日の二人の姿があったからかも知れぬな」


 気鋭の弟子たちの成長は著しく、もはや生半な稽古では修行にならない。二人が二十を越え、身体が出来上がってからは長谷野は余所に出かけることが多くなっていた。

 自分の、二人の修行のため、新しい技を覚えなければならないと判断したからだ。

 大抵はどちらか一方と一緒に出かける。さすれば残されていた片方は更なる研鑽を望むから。

 たまに長谷野一人で出稽古に行った帰りなどはこうなる。


「師匠、稽古を!」

「では私が相手を務めましょうぞ」

「俺だ! 俺がやる。大体作太。お前はこの間出稽古に行ったであろうが」

「お前とてその前に行ったろう。しかも江戸ではないか」


 我先にと身体をぶつけながら前に出る姿はいまだ子供のよう。


「ええい、やめよ」

「止めませぬ!」

「嫌です」

「そんなところばかり息が合いよって。よかろう双方と手を合わせる。まずは――」


 二人は手を上げ襲い掛かるようにして「はい、はい!」と声を上げた。

 苦笑いしながら少し考えた長谷野が指名したのは新助。


「よっしゃぁぁぁ!」

「なっ、師匠――」

「順番だ順番! 下がれ作太。さあさ師匠!」


 煤宮にて”稽古をつける”といえばそれは当然”受け”となる。

 逃げることを美徳に捉えるほどの剣術である。まずは受け、さらに受け、どこまで言っても受けを行うが常の修行。

 多種多様な技を受け切る多彩な防御術こそ煤宮としての力になる。

 故に長谷野は出稽古にて新しい技を覚えてくるのである。

 長谷野が扱える得物は刀だけに留まらない。

 槍、長刀、弓、鎌から柔に至るまでありとあらゆる武術を修得してきた。

 今日この時、選んだのは刀。

 二人を順に相手するのであれば同じ得物が都合よく。後腐れを残さぬように見せた技を使わないほうが良い。つまりもっとも幅広く戦える刀を使うのが良い。


「今日は十は受けますぞ」


 対峙する弟子は片手持ちの斜の構え。

 新助は力が強い。食働きの効果がもっとも顕著に出た例だろう。腕の太さは長谷野に勝るとも劣らず、膂力は煤宮随一。構えも力を全面に押し出した圧を持っていた。

 ならば圧で負けるのは頂けない。

 この立ち合いで選んだ構えは――上段。

 もっとも前掛かりな構えであった。


「新助――死ぬなよ?」


 木剣とも言えど、上段からの全力の打ち下ろしをまともに喰らえば死。少なくとも長谷野はそのつもりで息を吐いて丹田に力を込め、圧を発した。

 だが、新助もさらに前ににじる。

 この狭い道場で、周りを弟子たちに囲まれたこの場ではどこにも逃げ場はない。

 ならば圧に屈して下がれば受けそこなう。

 長谷野の本気を前にして、今までの新助ならば取る行動は二択。無理と分かっても逃げるか、ヤケと知っていて突っ込むか。

 だが今回は違った。冷静に生き残る術を探った結果に見えた。

 果たして弟子が成長を見せようという心意気に、長谷野の腕が本気の興りを選ぶ。


「おおおおおぉっ!」


 軋み、反らせた木剣を振り下ろし受け手ごと破壊するつもりの一撃。弟子への信頼の証の振り下ろしへの返答は力でなく技だった。

 振り下ろしの木剣へ、横からの一撃。ずらされた木剣は空を切り床を穿った。

 だがそれは想定内、弟子の伸びへの期待はまだ一段上にある。

 もう一つ答えを聞くために長谷野は前へと出た。

 片手打ちの弱点、両の手の間という至近への解答を。


「ここに入られてはいけないと教えなかったかな?」

「くっ!」


 この間合いでは刃で人を斬れはしない。打刀の長さでは刺すのも困難。そこで使うのが柄頭(つかがしら)での打突やぶちかまし――なのだが、これは片手では威力が出しづらい。

 長谷野は低く、低く入って肩で右手を押し上げるように外してしまう。がら空きの新助の腹へ、木剣を握ったままの両拳をめり込ませた。

 分厚く鍛え上げられた腹の感触――いやに軽い。まるで羽を打ったかのよう。思わず口の端が持ち上がってしまう。


「ふはっ」


 軽やかに背後へと飛ぶ逃げを見せられれば、感嘆の声も漏れた。


「だがっ!」


 前に出る速度、飛んで逃げる速度。

 果たしてどちらが早いか。果たしてどちらの体勢が十分か。

 詰将棋であった。

 飛んで逃げた新助を追い掛けるように突き。身を捩って躱せば体勢は崩れ、次いでの薙ぎにはもう伏せる他ない。そして返しの下段で――


――とった


 確信の下段払いは空を斬った。

 視界から新助が消える。

 左、右と目を動かしても姿は映らない。


「上っ!」


 周りの声が導いた先、中空に新助があった。

 鴨居に引っ掛けた左手の指四本で身体を支えている。


「はっはっは! やるおるっ!」

「終わりですかな師匠!」

「いやはや、ここまでとはな。弟子の成長とはかくも早いものか。見違えたぞ」

「もっと見せますぞ。師匠は老いる。私はまだまだ強くなる! 誰よりも――」

「はっ、十にはまだ半分。受けて見せてから吠えるが良い」

「そうさせて頂こう! さあ来いっ!」


 調子乗り。それは新助の悪癖。“来い”と吠えた場所は壁際である。それを見逃す長谷野ではない。それを見過ごすは相手が弟子でも礼を欠く。

 右手側からの逆袈裟の構えると、新助は反対側に身体を振って飛ぶ。

 だが逆袈裟は見せただけ。当然、地に足の付いた長谷野が早い。逃げ道を封じるように大きく左に踏み込めば、新助の行き場は壁際のみ。


「ふんっ!」


 再度の逆袈裟に新助は左手を沿えて受けるも、それも掌中だった。

 元より決める攻撃ではない。今の新助の読めぬ動きを縛るための一撃である。両足を踏ん張り、腰を入れて、当たった木剣を持ち上げた。


「うおおおっ?!」


 新助の身体を壁に押し付けるようにして浮かび上がらせる。浮いて逃げ場をなくしてから右足での蹴りを腹に見舞った。

 無論、蹴りでは不十分。死に至らしめることは出来ないからだ。

 であるから、そのまま引き倒す。馬乗りになって振り下ろす――


「くっ、まだまだぁ!」


 上下になった鍔ぜり合い。結果は火を見るより明らかでも、気勢を上げる。弟子の気概に応えるように。木剣から右手を離して拳を顔に叩きつけた。


「見事であった。惜しかったな九手だ」

「ぐっ、くそうっ! くそくそっ! くっそぉぉ!」


 極軽くとはいえ拳が顔に当たったというのに、元気よく大の字で悔しがる。


「それだけ悔しがれれば十分。次は十手受けてみせい」

「無論!」

「よし! 作太。前に出い!」


 が、作太は他の弟子の後ろに隠れたまま動こうとはしなかった。


「どうした?」

「いえ師匠。お疲れでは? 息が弾んでおりますが」

「ふっ、抜かせ。温まったところよ」

「後で疲れてたから――と思われても溜まりませぬ。この通り新助も師を心配して退きませぬ故」

「儂の心配をするとはな。はっはっは、のけい新助――構えよ作太」


 笑って見せたのは口だけだった。

 笑えぬ冗談にいつもより低い声で脅すような口調になって、初めてこれは口働きと気付いた。


「はっはっは! なるほど、儂に仕掛けおるか」

「口を使っては行けないとはただの一度も聞いてはおりませんでしたので」

「確かにそうは言っておらんかったな」

「――剣でも?」

「はっ、攻撃は隙を生む。忘れたわけではなかろう? 受けの数を競う稽古で自ら隙を生もうというのか?」

「必殺であれば?」

「末代まで抜かれぬ受け数となろう」


 と言うと作太は薄ら笑みを浮かべて木剣を構えて見せた。

 作太は新助に比べれば身体の出来は悪い。競うように肉を喰らっていながら、腕は大して太くならなかった。身の丈が伸びた分だけ、少し細身にすら映る。

 だがそれでも煤宮で一、二を争う腕前なのは間違いない。

 膂力と口上と体力が物を言う煤宮にあって、それらを補ってあまりある技量。構え一つとってもそれは見てとれた。

 同じ片手持ち、同じ斜の構えでありながら決定的に違う。

 力感がなく、余裕がある身体の捌き。どこを見ているか分からないようで、どこでも見ているような目。

 寺の生まれだからというのもあるだろうが、どことなく菩薩を思わせた。

 艶のある構えに、手にした木剣にも抜き身の輝きすら感じる。

 いや、気のせいではなかった。

 揺蕩う剣先から発するは――殺気。

 確かに受けの稽古に手出しは禁止しては居ない。もっとも、わざわざ手出しをしようという者は居なかった。

 来る、と確信出来た。

 故に長谷野は真剣となった。

 弟子たちもその空気を察したのか静まる道場には、二人の吐息だけが響く。

 丹田に気をため、足指に熱を送る。足指を使ってじりとにじり寄った。

 戦場さながらの緊張感に、喉が張り付くように乾く。

 道場の中心を軸に二人はゆっくりと円周を描く。


「っぷはぁぁ」


 張り詰める緊張に、最初に音を上げたのは外周の弟子。呼吸を忘れるほどであったのであろう大きく強く、どこか間抜けな吐息が漏れる。


――まだ甘い。


 吐息に作太の目から菩薩が消えた。身体にも力み――長谷野は動いた。


「っっぇぇい!」


 初手は突き。長谷野の中でもっとも早い攻撃で、もっとも殺意の高い一撃。

 未だかつて見せたことのない真に殺す気の突き。

 長谷野の最速の一撃が――ずれた。

 ずれたように見えた。作太はほとんど動かず、最小の動きで顔の横を通された。

 驚きは一瞬。更なる驚きで上書きされる。


「攻撃は隙を生む」


 作太の右手が上がっていた。

 構えで宣言した通りの反撃――それも完全な機。

 最速の突き、全力であったからこその隙。木剣で受けるには間に合わず、足を使うには遅すぎる。


「ちいっ!」


 ただ甘かったのは右手一本での横薙ぎだったということ。それと作太の腕の太さが――甘い。左手を木剣から外し、右手の肘で作太の手を跳ね上げた。


「おおおぉぉっ!」


 俄かに弟子たちは沸く。それは先程の新助相手と同じように長谷野が両手の間に入ったから。


「隙が生まれたのう」


 既に長谷野はぶちかましの構え。

 後ろに飛べば新助と同じ詰み。だがそもそも腕の違う作太には無理な逃げ方。

 故に必勝――だが、相手が作太であれば長谷野は緩めない。新助相手とよりもさらに早く強い、ぶちかましを選ぶ。

 柄頭での打突。その瞬間、突き出した肘に重み――作太の足が掛かった。


「むっ――なっ、んとっ!」


 肘に左足を掛け、ぶちかましの勢いを足し肩に駆けて空に舞う。

 一瞬でも遅ければ無防備にぶちかましを喰らうし、早ければ飛びあがる力を生まず頭から地に転げただろう。

 だが地を転げたのは長谷野の方。

 地など久しく這っていなかったが、心は天にも上る気持ちだった。


「だがっ」


 即座に膝を立て、上体を跳ね起こす。長谷野に対し、作太は斬撃を選んだ。

 そんな攻撃は煤宮にはなく。幾ら作太でも精彩を欠いた斬撃となった。顔を傾けるだけで避けられるほど。挙句、無理な攻撃で体を崩し、無様な落下。そこへ立ち上がり様に無情な蹴り――壁に打ち付ければもはや作太に手は無かった。


「――参りました」

「うむ、受けも回った分も合わせて四手としようか」

「あー負けた。四手か」


 そういうとさっきまでとはうって変わって惚けた顔で大の字に倒れ込んだ。


「だがようやった。儂が地を這うなぞ何年振りか。最後はいつか覚えてもおらんぞ」

「そうだ。むしろ俺の負けだ」

「何を新助――お前は九手だろうよ。こっちは四手だぞ。半分以下だ。幾らお前でもこの数を間違えるわけなかろう」

「当たり前だ! だが俺の負けだ」

「いや、私の負けだ」

「いや、違う。俺だ!」

「私だ!」


 いつまでも互いの負けを譲らない姿に道場はいつしか笑いで溢れた。


「が、それが最後じゃった」

「最後――ですか?」

「そう、最後。二十になった年だったかな。作太は剣を置いた」

「置いたとは剣術を辞めたということで?」

「うむ、すぐ翌朝。挨拶してな。出て行った。それからは会ってすらいない」

「何故? 何故なのです? まだ父を、母を斬るまでには大分間が――」

「あるのう。だが事実会っておらん。元より寺の子。いずれ僧になる定めだっただと儂も納得していた――のだがな」


 作太は辞めたくて辞めたわけではない。言い聞かせるように長谷野は首を振った。


「そんな――一体。じゃあどこであんな恨みを――」

「分からぬ」

「父が道場を任された時は?」

「大分後のことじゃ。作太が居たら変わったと言われればそうじゃろうがの。だが、決まったのは翌年で道場の完成が二年じゃ。それで恨むであろうか」


 嘘だった。

 一伝流にて新助を斬り、その足で八王子まで行き更に四人斬る。追手に参加した者によれば、声にて誘導され、叩き伏せられたという。そうして包囲を抜け、逃げおおせた。口と足の働きたるや、ただの執念だけでは片付けられぬからだ。


「じゃあ一体、二人の間に何か――心当たりは師匠!」

「分からん。儂には分からん」


 長谷野はまた嘘を付いた。

 二人の間にあったことそれ自体は長谷野は知らない。知りたくもない。

 作太が恨んだ理由も知らない。

 だがそれは作太”が”なら知らないというだけ。

 作太が居なくなってからの荒れ様と、口汚く罵る新助を長谷野は知っている。

 その怨念ともいうべき執着は異様と言う他なかった。


「どうすれば――じゃあどうすれば一体――」


――苦しむ弟子にこれ以上苦しむことを言うことはない。

 思い出が美しくあって欲しいという願いが口を開くのを許さなかっただけなのに。自分にすら嘘を吐いている。


「行くしか――ないというのか――」

「どこへじゃ?」


 新之丞は黙した。何かを決意し、唇を噛む。

 この十年仇討ちを止める長谷野の前でしてきた所作をまた繰り返す。


「御免――っ!」


 もはや長谷野に言葉はなく何も言えることはなく。去っていく背を止めることも出来ない。

 自らの老いが心根にまで届いたことに嗚咽した。



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