三 看板娘
昼日中、糟屋宿の東の入口の水茶屋は今日も盛況だった。
看板娘は一人店を切り盛り、ところ狭しと店を駆け回る。席に案内し、茶を持ち、時に話をして。汗を飛ばして働いていた。
強面の坊主が入って来るまでは――
「まったく、取って食わぬというのに」
宥仁がやってくるなり、その威圧的な顔と圧迫感のある身体に押し出されるように次々に客は帰っていく。
「え、食べないんですか?」
「食べぬわっ、愚禿をなんだと思っているのか。のう?」
「ひぃ、お、お代ここに置いてくよ!」
最後の客も宥仁が顔を向けるだけで逃げるように走り去っていった。
幾ら狭い店内に二人きり。幾ら狭くとも些か寂しさがある。
「そんなに怖い顔しているか? うーむ」
「顔というより――今のは馴染みの方でしたから」
「馴染みなら、猶更であろう。初対面でないなら恐れる謂れもないはず」
「でも和尚様を良く知ってるからこそですよ! この間も――お客様を投げ飛ばしたじゃないですか」
いつもなら、誤魔化すように肩を揺らして大きく笑う。ところが今日はいつもより小さく口を開くのみ。
「ふむ、まあそれはいい。ところで先日の侍であるが――」
「昨日も聞かれましたが――連絡は未だ付かないので?」
「その調子ではこっちにも来ておらぬか」
気落ちした様子の宥仁。珍しく苦虫を噛み潰したような顔をして溜息を吐いた。
あの後、あの侍と宥仁の間に何があったのか。というのは娘も気にはなっていた。
ただ、あの話の続きと考えればおいそれと首を突っ込めない。
「――はい、いらっしゃったら、言伝ておきましょうか。和尚様が探していたと」
「――ああ」
じっと地面を見つめたまま頭が上下した。
重苦しい空気の中、宥仁は茶を呷って席を立つ。
「さて――馳走になったな」
数えることもなく銭を取り出す。宥仁の大きすぎる手が掴んだ銭は明らかに多い。しかも受け取った銭には銀の輝きも混じっていた。
「え、これ――銀まで」
「何、愚禿が来れば客も帰りおるからな。少しは穴を埋めておかねばならん。ま、娘の茶の値には少し足らぬかも知れぬがな」
「もう、気を使うなんて柄にもない」
「柄にもないか?」
「ええ、まったく」
「そうか、柄にもないか。ガッハッハ」
大きく肩を揺らした笑い。いつもよりはやはり勢いが足りなく「また来る」と出て行った後ろ姿もどこか小さく見えた。北側の山へと目をやる姿は寂しく見え、残した湯呑の茶はほとんど減っていなかった。
そんな陰鬱な気分は入れ替わるようにして入って来た客が吹き飛ばした。
「頼もーう」
水茶屋に似つかわしくない大仰な挨拶、大仰な挨拶の割には可愛らしい声。入って来た客は声に似合った可憐な姿。汗が光る笑顔の眩しい女性だった。
「いらっしゃいまし。どうぞお好きな席へどうぞ。今お茶をお持ちします」
この店の女の客は珍しい。
この店が看板娘目当ての男ばかり、それを知る近くの女衆は寄り付くことはない。
大山講の客も、先導師が決めた店に流れる。ゆえに女がふらりと立ち寄ることは滅多にない。
「ん? ああ、ありがとう」
「あ、お待たせしました。ここに置きますね」
「いやー暑い。ほんと梅雨開けたと思ったらすぐこれだもん。いやになるよねぇ」
旅には似つかわしくない柄の入った桜色の着物だった。
外した笠の下の髪型が娘の目を奪う。
大きな布で髷を覆い蝶形に結んだ――紫天神という髪型。元来なら名の通りに紫の布のところ桜色の布を使っている。それがこの古い髪型、娘の親世代で流行った遊女が発祥の髪型を鮮やかに、上品に見せた。
胸元から覗く緑の小物、手にした笠の枝のような色。さしずめ頭に咲くは桜の一枝花。
「ん、女が来るのは珍しい?」
同じくらいの身の丈で、少し年上、二十くらいだろう。しゃなりとした艶やかさでなくきびきびとした出来る女の所作は娘のなりたい姿に重なった。
であるからぼうと見つめるのもやむなし。
「貴方みたいな看板娘がいるんだもんね。男衆が放っておかないわ。やっぱここでもあれ? 茶一杯に何文も何文も見せびらかせるように張り込んで男気とかいっちゃう輩が集まる感じ?」
「は、はは、まあ」
「あんなんで俺の女感だされてもねぇ」
「お客様ですから」
「あらお行儀いい子ね。やっぱお客の前で――って客いないじゃん? あ、ごめーんもう締めてた? 無理に入ってきて悪いね」
「いえ、その。今日は特別というか。それに仰る通り女性のお客様は珍しいので――むしろゆっくりしていって下さい!」
「ふふ、ありがと。じゃあもう一杯頂戴。折角だから一緒に飲みましょ」
と差し出した手と大きく笑った顔には、やはり大人の女性の余裕が浮かんだ。
「その格好――旅でございますか? その割には筥迫しかないようですが」
胸元から半分覗く深い夏山の緑を思わせる筥迫。
出かける時に小物を入れておくものであるが、旅には心もとない大きさ。
見たところ他に荷物はない。
近場なら娘が知らぬわけもないし、ここのことを知らぬわけもない。
日帰りにしてはもう遅い。伊勢参りにしては荷物が少なすぎる。
――なればどこから? という娘の疑問を理解した女性は身の上を話始めた。
「ああ、昨日まで江戸にね。お屋敷勤めの年季が明けて実家――荻野に戻ったの」
「なるほど。お屋敷――武家屋敷ですか! いいなぁ。格好いい。女中さんですか? それで筥迫もってるんですね。羨ましいです!」
「まあ――うん」
今までのキレがなくなり歯切れ悪く、目線は湯呑の縁を這った。
「そんないいもんじゃないよ? いやむしろ悪い!」
「わる――?!」
「だって、もうちょっと聞いて? もうその武家の――息子がぼんくらで」
「ぼんくら――武家のご子息なのですよね?」
「ああ、ごめん口が悪かったわね。その”馬鹿”息子がね」
もっと悪い。と突っ込みたいところだったが女性の口は止まらない。相当溜まっていたのだろう鬱憤が小さな口から止めどなく吹き出し続ける。
「まあ? 旦那様も奥様も皆いい人――いやちょっとケチだったけど。このご時勢、ケチくらいで丁度いいんだけどさ。それに筥迫も着物も頂いておいてケチも悪いか。まあ気前がいいんだけどさ。クズ息子がね。下品で下衆で下卑た奴なのよ。こっちは針子の修行に来たんだってのに。誰もお前の妾になりに来たわけじゃないっての! 誰のケツ触ってんねんと」
「――触ってんねん?」
「とんねんだったかな? なんか上方の家だとかで変な喋りすんねん。みたいな?」
「た、大変なんですね。屋敷勤めも」
「そらそうよ。あ、まだ抜けないなぁ。それで馬鹿息子を蹴っ飛ばしたってわけ」
「えっ、無事――ですけど。何もなかったんですか?」
「頭を擦りつけて詫びるか、出てけと。勿論喜んででて来たってわけ。いやま、多分勤めを紹介してくれた伝手みたいな? なんかウチの家業をどうこう脅してたけど」
「けど?」
「伝えたら父上は腹抱えて転げてた。母上もそんなことで潰れないって余裕だったし大丈夫なんじゃない?」
「ええっ本当――でございますか?」
「まあこれだけ良いお土産貰ってるしね。怒ってるのは阿呆一人だけでしょ」
「な、なるほど」
豪気とはこういうことを言うのだろう。
見た目は可憐で、華奢な身体で、けして大きくない体躯だというのに。どこか宥仁と被る豪快さがある。
「それで実家に昨日戻って――んー人が居なくてね」
「誰も? あれでもお父様は先刻いると」
「あーそう、そうなんだけど。そろそろ戻ってないなかな? って奴が居なくてさ。ちょっと探しに出たってわけ」
それにしても手持ちがなさすぎるし、荻野からここまではちょっとにしては遠い。
なら何か。娘は考え思いついたのは――
「殿方にございますか?」
「と、殿って――んー男ではある。けど殿ってほど丁寧に言うような奴じゃないよ」
「でも殿方なのですね」
「ん、まあ?」
「どのような?」
「どのようなって」
「こちらにお見えかも知れませんよ」
「んーこういうところには来ない――と思うけど」
「分かりませんよ!」
「まあ、そうね」
「でしょでしょ。ささ、どのようなお方なのです?」
「んー何年も会ってなかったからなぁ。あー結構おっきいかも。剣術やってるしね。身体もこう腕とか、貴方の顔くらいあるんじゃない?」
「そんなに――?! それはまた」
娘の頭に浮かんだのは宥仁の腕だが、流石に違うだろう。
女性の様子から同じ年くらいのはず――
「御召し物は? その例えば色とか?」
「んーあ、これと似た色着てるって言ってたかな。目立つか。この色なら覚えてる? 緑の着物で二本差し――ん、片方が短いんだけど。それで陰気な顔してる男」
娘は「ああ!」と声を上げた。思いついたのは宥仁の探し人。震える曲がった指の精悍な侍のむすっとした顔を思い浮かべると。
この芯のある可憐な女性と、お似合いな気がした。
「あのお侍様ですね!」
「ん、見たの?! やっぱこっちかぁ。いやー正解、あいつの行動は読めてんのよ。どうせ人の多い東海道通らないと思ったし、そしたら西に行くにはここ通るしかないからね。それで西に抜けた? 私の読みなら富士の裾野にでも行きそうなんだけど、どこに行くか言ってた?」
娘は素直に宥仁との顛末を話した。
仇討ち相手を知っている宥仁の寺に向かったはず。
少なくとも宥仁が探しに毎日来ているからどこに行ったかは知っているはずと。
「そっか、ありがと行って見るよ!」
「あのお名前は?」
「ん、私? 荻野で小間物扱ってる天水屋の娘かや。こっちに来たらよろしくね」
名を告げ立ち上がり、笠をつけて立ち去る。
きびきびとした所作には颯爽という言葉が良く似合うと娘は思った。




