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煤宮――仇討ちの果て  作者: 玉部×字
仇とは

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一 地獄道


 荻野川おぎのがわ――その名の通り荻野新宿おぎのしんじゅくある川。宿場の西を南北に貫通し流れる。飛び越えられるような小さい川ではないが、普段は子供が渡れるほどに浅い。長雨や嵐の後でも無ければ事故など起きようのないほど。

 ゆえに橋は少なく、街道に近い南側はともかく北側は特にである。しかも古くなりいつ壊れてもおかしくない。橋げたには穴が空き、上を渡れば不穏な音が響く。次の嵐は耐えられまいと誰もが思う。宿場の北にはそんな橋が一つだけある。

 だけども誰も直そうとしないし、お上に陳情もしない。

 あまりに人が通らないからだ。

 その橋の向こうには、川沿いの道と橋から山へ至る道の辻がある。

 川沿いの道は橋から北へは草木で覆われ、獣の通る気配もしない。南側には川岸に降りる一か所だけが草が生えていない。人が通っているのはここだけと見える。その川への道に通ずる人の足で踏み固められている地面は山へと至る道へと通じていた。


 その人の通る辻――道と道の交差する位置に張り出すように地蔵が立っている。

 大きな枯木。子が入れるほどの大きなウロの巨木の下。六体並ぶ地蔵があった。


 六地蔵は、それぞれ六道の世界を見守っている。

 良い世界でも、悪い世界でも、人は艱難かんなんあえぎ、救済を求む。

 どの世界でも六つの内のどの道であろうと、漏らさず衆生しゅじょうを助けるために地蔵六体がそれぞれを目を配り続けていた。


 六地蔵の一番右、ここの場合で言えばもっとも川下に位置し、山を背に橋を通して向こうの田畑を望んでいる地蔵。七沢石ななさわいしの特徴である白っぽい粒が目立つ――名を大定智悲地蔵だいじょうちひじぞう


 右手に錫杖しゃくじょう、左手に宝珠ほうじゅ。垂れた大きな耳、厚ぼったいまぶたを閉じ、横一直線の目に眉と一体となった長すぎる鼻筋を持つ――いわゆる地蔵と言えばの地蔵である。


 それは真夏の明け方の事。早朝のまだ暑くなりきる前のこと。川から吹く風がまだぎりぎり気持ちよい涼気を運ぶ――はずだった。

 その日のそれは石の鼻すらひん曲がりそうな匂いを伴いやってくる。

 どこか覚えのある匂い。鉄の錆びたような、それでいて生臭い――血が香った。


 大定智悲地蔵だいじょうちひじぞう六道ろくどうの一つ、地獄道じごくどうにて苦しむ衆生を救うためにいる。

 故に血には慣れている。にも関わらず鼻が曲がるほど、むせ返るほどの血の香りに歪まぬはずの石の顔すらしかめたくなった。

 ただの血の香りではない。ただ濃いだけでない。地獄の底でも滅多に嗅がぬほどの死の香り。夏の夜明けの太陽すら沈めるほどの腐った香り、早朝の爽やかさをけがしてよどませるほどの呪わしい香り。

 黒く見えるほどのまがつ風に当てられて、珍しくあった供え物の団子すら吐き戻したくなった。


 地獄道を見張る地蔵の前に地獄を行く男が来たる。


 けがれた風を伴って歩き、夏の山の力強い深緑の着物を赤黒く染め、それと同じ赤黒を底に滲ませた西瓜すいか大の麻袋を右手に提げていた。

 草臥くたびれ、疲れ果て、足取りは重い。今にも倒れそうな、地獄の底で見たような足を引きずるように地蔵の元へ歩いてくる。

 それでも目は地獄の悪鬼の如く。咎人を見下ろす怒気の色がある。負った罪と業にて責め苦を受ける罪人をけして許さぬ強い意志を持った目。唇を噛み血を流す男が通り過ぎていく。


 果たして手に持った荷物と、男のどちらを救えばいいのか――

 地獄道から数えきれぬ衆生を救って来た地蔵をして見送るより他になかった。


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