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煤宮――仇討ちの果て  作者: 玉部×字
仇へと

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二十五 然全


 月明かりに照らされる砦。戸を手に掛け開くと板を貼られた広間。みすぼらしくもあるささくれ立った床。

 それはどこか見たことのあった。


「――道場」


 煤宮のそれを思い起こした。

 違いは庭がないこと、故に明り取りが格子窓であることくらい。ただ意匠のない縦の木を入れただけの窓。師が格子にするなら、選ぶであろう窓からは月明かりが影を落とす。一本一本が不揃いの、不格好な縦長の影。

 そこに一人の男の影――現れた。


山中やまなか――」


 まるで月明りを独り占めたように、ぼうと浮かび上がる。

 立ち上がるまで気付くことが出来なかった。

 立ち上がっても足があるのを確認せねばならないほど。

 頼りない――果たしてこんな男だったか。と疑った。


「やはり、来たか」


 声かどうかも分からぬほどの乾いた音。それでいて響く声。地の底から沸き上がるような喋りは、小さく動く薄い唇に合わない。

 どこか、ここではない場所から話しかけているような気さえした。


「ここで会ったが――」


 新之丞しんのじょうが声を震わすと。

 然全さぜんの左手が動く。腰に当て、上下させたのは見覚えのある鞘。

 七寸足らずの立鼓りゅうごがたの柄。片手打ちに適した、新之丞と同じく煤宮にて扱う拵え。

肥後ひご拵えと言う当たり前にある物ではあるが――その意匠に見覚えがあった。


「――っ!!」


 板を柄頭つかがしらから鞘尻さやじりまでぐるぐると巻きつけたよう――蛭巻ひるまき拵えと呼ばれているそれの板が銀、つばやら鞘尻やらの装具は金という色合いは見覚えがあった。

 いやその銀銅ぎんどうの拵えは見紛うことも――ない。

 新之丞の生家、一伝流の道場にて飾られた――父の刀である。

 厳しい父がもっとも大切にしていたはずの刀が仇の手にある。


「貴様、何故それを――」


 灰になるまで思考はかれ、それでも斬りかからぬのは身に染みた教え。


『煤宮の初太刀は口にて』


 師の言葉が足を止めた。

 ただ、口が働くことはなく、荒い息が出るだけ。


「お前は見ておったろう? そう新助の刀――魂。ふっ、安い刀よ」


 発した言葉の軽さと、喋った顔の軽薄さたるや。新之丞の内に止めていた瞋恚に火を付けるに十分だった。


「そんなものの為に――そんなものの為にかぁっ!!」


 喉から吹き出る憤りは、爆発したような音となり、身を突き動かす。

 柄に手を掛け、姿勢は下げて――一伝流の型にて先手を取る。

 格子の影を一息に四つ飛び越え、道場の奥へと待つ然全の元へ。有り得てはならぬ大股の五歩にて詰め寄ると、更に大きく右足を踏み込んだ。

 然全のにやけたように上がった口の端を捉えたまま、腰を切る。

 掴んだ刀を鞘に走らせ、引き抜いた荒波――月光を断ち切る。


 だが刀が切り裂いたのは月光のみだった。


 それは新之丞が持つ最速の技、剛ではないただの抜刀術。

 だというのに然全は斬撃の半歩外、刀の届かぬ場所にて不敵に笑う。


「自ら斬りかかる――長谷野(おう)はそう教えたか? お主の短刀は飾りか?」

「黙れぇ!」


 左足を引き付けて返しの刃。半歩先に届かす追撃の振り下ろし。

 それも影を斬るのみ――だが、それは折り込み済み。

 腰まで下ろすと、すぐさま刀を横に倒し突きを放った。

 後ろに避ければもはや壁。


――右か左か


 どちらかを決めて蹴り倒す、そういう算段の突きであった。

 だが鈴の風流な音が響いて刀は横に流れた。

 勢い余った新之丞の身体も流れる。既に足蹴りの準備をしていた故に踏ん張ることが出来ない。壁に向かうのは新之丞となった。


「ちいっ」


 大きく舌打ちを打って、足先を引っ掛けるようにして壁を蹴りつけ、無理矢理横へ飛んで逃げた――が、そこは角だった。気付けば追い詰められる格好。

 仕掛けた側だったというのに。左右の択を掛けに行ったというのに。

 然全の仕掛けは選ぶことも出来ぬ袋小路への道だった。


「そんなものか?」


 然全の手から月光が二つに分かたれた。銀銅の拵えから刃が抜かれていて、ようやく刀が流れた理由を察した。


「それが教わったことかと聞いている」


 銀銅の刀を下げた右手に、半身に構えて重心は後ろ。

 紛れもない煤宮の構えにて問う然全。

 対して新之丞は前掛かり、刀も心情を反映して立ってしまっている。

 然全の指摘通り、もはや何の構えか新之丞すらも分からない。


『作太とお主には差が――いや、違うのだ。あやつは違う』


 身体が落ち着いて行くのが分かった。

 相対してようやく師の言葉が分かった。

 然全を知る誰もが同じことを言った。


――天才と


 目の前の男は、遥か高みにある才を持つ。

 その天稟てんぴんを持ち、惜しまず努力した結果が――残酷なまでの差を思い知らせる。


「新助とてもう少し仕えたが」


 頭の冴えたまま、新之丞は気勢を上げて前へと出る。不格好な構えのままに、斬り掛かった。

 壁から周り込むように、逆に然全を追い込まんと動く。相手の刃に身を晒し、遠くに自らの刀を置く。完全に甘えた動き。並みの相手でも首と胴が泣き別れている。相手が煤宮でなければ。

 狙い通りの然全の動き。刀を振る気配なし。

 新之丞は刀を壁ごと切り裂く勢いで振る。

 後退する然全。

 ならば壁からは出られる――甘い考えだった。


「ふむ」


 何かを納得したような声を上げ。然全は新之丞の刀を振った右肩を左手で払った。押し込むように力が籠る。と、新之丞の勢いは更に加速し、壁を切るどころか肩から壁にぶち当たる。


「くっ――不味っ」


 流石に必殺の隙。甘えが通る形にならぬ。新之丞は壁を舐めながら身体を丸めて、床を転げた。刀を遮二無二に振るながら床を転がり、窮地を脱した格好になった。


「動きは中々、身体は出来ておる――もっとも新助も身体だけは強かったがな」


 上から見下ろすように口を開く。

 冷えた肝に頭は冴えて――ようやく気付いた。


――何故口働きが初太刀と言われるまでの技なのか。


 新之丞には分かっていなかった。

 然全が仕掛けていたことが、今の今まで。

 まず鞘の見せ方からして演技掛かってはいなかったか。

 顔の作り方は? 喋り方は?

 喋る内容だけでない。恐らくはすべて相手を動かす演技、いや技そのもの。

 拵えや口で父を意識させれば、怒りに塗れた新之丞は簡単に父親の技を出す。先手を取らんとしてくる。という狙い、仕掛け。

 あまりにも使い方が違い過ぎる。

 単に相手を孤立させ、相手から攻撃させるだけではない。


 口働きの真価をようやく理解した。


 何故口働きの修行は終わらないのか。それは我慢の利かない新之丞のため――ではなかった。

 こうなれと言うことだ。こうすることだと理解させるため。

 一挙手一投足までも操る。操られてはならぬ。そういう稽古だった。


――出来得ることはなんだ


 新之丞は立ち上がって頭を巡らせる。

 気付けば右手は降りて、重心は後ろ。

 いつも通りの構えを取れれば、いつも通りに頭も回ろうというもの。

 いつもの通りに構え、いつもの通りに周囲を見回す。


『周りに何があるかを把握する』


 基礎中の基礎をするほどに余裕も生まれた。

 曇っていて目は晴れて、壁の染みも、床のささくれの一つまで見え――格子の外の空を見れば、ふと思いついた。


「――なるほど」

「また、それか?」

「ああ、それだ」


 刀を納めて腰を落とす。最初と同じ構え。

 然全の呆れた顔、だが今ならば落ち着いて見れた。

 仇の顔だろうが、心静かに見ることができた。

 慌てず、騒がず、平静な心で足を運ぶ。

 じりと寄る。

 目は然全の右手に合わせ瞬きもせずに右足を擦る。

 じりじりと寄る。

 手は柄から少し浮かせ、可能な限り力を抜いて左足を引きずるように引き付ける。

 然全もまた動かない。

 先刻の攻撃には先刻の受けであろうか。

 自信の現れた、落ち着いた構え。

 まるで座禅をしているかのように半眼にて待ち受け動かない。


――やはり、自分からは動かない。


 何故ならば煤宮であるから、何故ならばこちらが抜き打ちの構えだから。

 抜き打ちは早いからだ。

 なら何故先程躱されたか。

 抜き打ちの弱点――早い代わりに動けないからだ。

 抜刀時には腰を切る必要があり、鞘で刃を走らせない早くならない。よって動くことは至難の技。

 移動しながら抜刀しているように見えて、その実抜く瞬間は前に出ていない。抜き始めからは動けない。

 なら避けるのは簡単だ――抜き始めたら後ろに退けばいい。

 であるから、新之丞は前に出た。

 下がらず、先手を取らない相手に無遠慮に前に出た。

 下がっても避けられない位置まで前に出る。

 単純な戦法に打って出た。


「――ふぅぅぅ」


 既に二人の間は刀は届く。

 声を出すのももはや隙。

 山々のざわめきの中、互いの吐息だけが響いた。

 どちらも動かない。

 カラスが鳴いても、蝉が飛び立っても、風が木の葉を運んできても、動かない。

 動けば後の先、動けば躱される。

 動かないではなく動けないでいた。

 もはや口働きは利かぬ、出来ぬ。

 抜き打ちの新之丞なれば振りの速さに差もない。


――対等だ


 才の差を封じる位置取り。だがそれゆえにこれでは勝てぬ、返れぬ、生き残れぬ。

 新之丞の執念が、煤宮の本懐が、待った。

 動き始めれば一合で死の位置で待たせた。


――大丈夫――焦るな――来る


 一つだけある新之丞の利。

 今夜の空を知っている。風向きを知っている。そして今、風上を背に立っている。

 室内で、絶命必至のこの場所にて風を待っていた。


 ざわめく木々に期待して、だが来ることなく。それでも待つ。

 何度目かのざわめき、格子からの隙間風が髪を揺らす。頭の後ろ、短くなった髪も大きく揺れる風が。

 吹いた。

 空には雲があった。

 即ち月に叢雲、そして背から影――来たる。


「いぇぇぇぇぁぁっ!」


 影に紛れた新之丞。掛け声を上げ抜き打つ。

 明から暗に切り替わる一瞬にすべてを賭けた。

 全霊を掛けた最速の抜き打ち――だが手応えはなし。


「――だろうよっ!」


 圧倒的才の前には幾ら状況を整えようがまだ足りない。機を味方に付けてもまた届かない。

 分かっていた故に右腕を振るう。

 骨は軋みたわみかねぬほど、筋は引きちぎれんばかりの悲鳴を上げる。

 それでも刀を返し、振り戻した刃は、抜き打ちと等しき刀勢とうせいを生む。


「ほうっ!」


 その速さ、然全の顔色を変えるほど。

 然全の首から血を出させるほどだが――まだ。まだ浅い。

 手ごたえは皮一枚。然全は上体を反らして、首の皮を差し出したに過ぎない。

 もっとも結果は二の次、首を断とうが止まる気はなかった。


「でぃりゃぁっ!」


 三連目は追い手の応用――勢い余った右手を左手で殴りつけるようにして無理矢理返した。

 唐突な反転。新之丞自身初めての試み。

 それを当然のように上回る然全の刀で受けられる。

 無理な体勢だったため、身体は流れた。

 その勢いにむしろ乗って、蹴り足を放ち。

 どうせ避けられると思って、そのまま周って殴りつける。

 それも上に羽織った白の袖を掠っただけ。

 更に引いてある右手で突きを放つ。

 これは空を斬る。

 全身全霊の突きが空ぶれば体勢はやはり崩れ。

 崩れた勢いままに背を見せてでも周りながら、逆袈裟に斬り上げ。

 もはや全身隙だらけなまま前へ進みながらの上段。

 振り下ろした刃は――床に吸われた。


「終わりかな」


 然全は息一つ乱れず涼しい顔して構えていた。

 首の皮一枚以降は一度刀を使わせただけで、後は紙一重で避けられた。万全を期して大きく避ける必要すらないという差が、新之丞の息を苦しくさせた。


「はぁはぁ――まだ、まだ」


 幾ら連戦だろうと、幾ら疲れていようと。絶対に体力でだけは負けない。

 そう思い山を走ったこの十年は、圧倒的才能の前に強がりしか出せなかった。


「なるほど、剣にも新助の面影がある。その技の数々は一伝流とか言うあれの技か。無駄なことよ」

「な、何が――無駄だと言うのだ」

「その新助が敗れた相手だぞ? それを少しは考えるべきだった」

「その仇を討つと言っているのだ」

「無駄なことよ。長谷野翁は止めたろう? 何故か分かるか?」

「――知るか」

「勝てぬからだ。ここを教えたのは坊主か?」

「――ああ」

「――なるほど。兄者なら止めただろう? 優しさだけではないぞ。お主では勝てぬからだ。せめて助太刀を、長谷野翁とともにやってくれば――いや、もう歳か。討ちに来るのが十年遅い」

「うああああっ!!」


 癇癪かんしゃくを起こした子供のように声を上げ。泣きわめく子供のように大振りの攻撃。

 それは当たるわけがない攻撃だった。

 だが何故か然全は動かず刀を上げる。

 もはや避けるまでもないと刀で受けた。

 もっとも新之丞は癇癪を起こしたのだから全力である。

 勢いも付いた全力の新之丞と、脱力した構えから受けた然全。

 刀がかち合えば弾かれるのは――新之丞だった。


「な、なん――だと!」


 もう一度打ちに行っても弾かれる。

 身の丈は同じ程度、腕の太さは勝っているにも関わらず弾かれる。

 何故勝てないのか。

 だから三撃目は素早く放った。

 本来の煤宮の振りを思い出すように振った。

 ぶつかる二本の刀の峰に左手をぶつけるように。

 然全もそれは同じく。

 互いの刀を介して手がかち合った。

 追わせた左がかち合えば、それは新之丞がもっとも得意な修行。


「うおおおおおおぉっ!」


 叫び声を上げて背を隆起させ、腕を爆発させて前へ押す。

 この修行では道場において今や敵なし。

 老いたとはいえ師にすら勝てるのだから。

 不様に叫び続けて押した――が、やはり弾かれたのはやはり新之丞。

 背後に飛ばされ、たたらを踏んで地に膝を付かされた。

 押し込んだ左手は痺れ、足腰は疲労で立てず、手を付き項垂れた。


「技の差――か」

「くっくくっ、違う。違うな。それは違う。単に力が違うのだ」

「馬鹿な、その身で。ここまでの膂力は――」

「事実有り得ている」


 言い返すことは出来なかった。


「不思議そうな顔だな? 分からぬのか?」

「何をだ」

「何故力に差があるか」

「何故――だと?」

「不思議なことなど何もないだろう? 食らっている物が違う。くくっ、そう怪訝な顔をするな。お主とて肉は食らっているのだろう。だがどれだけ食らった? 頻度は? 何日毎に山に入りどれくらい狩って食らった? 言いたいことが分からぬか? ここに畑はない。あるのは山のみよ。なれば何を食らっていると思っている。毎日毎日何を食らって生きながらえていると思うのか?」

「毎日――だと」


 煤宮においては肉は食らっても四日に一度がせいぜい。それももっとも肉を付けるに良いとされている時間である夜のみである。

 余らせた肉は売り払い金に替えねば生きては行けないからだ。


「そうだ。食らってる数が違う。食らってる頻度も違う。この身体幾ら細く見えようと毛の一本、骨の髄まで獣の肉で出来ている。力なら勝るとでも思うたか?」


 この三合の打ち合いでそれは嫌と言うほど分かった。

 この男は山であると、高く険しい山。

 上ろうとして弾かれ、然れどもすべてを受け入れる。

 ただ力強くそこにある。

 ただ受けて動じない。


――強い。まことに強い。


 才無き者に力を与えるのが煤宮。

 だがこの男は違う。違い過ぎた。


 新之丞は追った。ひたすら切りかかった。煤宮に合わぬ戦い。

 然全はただ受けた。逃げに徹し、煤宮を全うする。

 されば必然、どちらが勝つか――


 口では勝てぬ、技でも勝てぬ、力でも勝てぬ。

 煤宮として負けている、煤宮にあらぬ戦いをしている自分。

 なれば考えるまでもなく、どちらが勝つか――


 復讐に目がくらみ煤宮を曲げた凡夫ぼんぷの己と。

 ただりままに煤宮をまっとううする剣の鬼。

 ならばどちらが勝つか――考えるまでもない。


 新之丞は微かに口を上げて、誰にも聞こえぬように声を零した。


――勝てる


 よりによって同じ煤宮、力量差は歴然、明白で多大で深淵しんえんの差。

 目の前に居るのはその身まで煤宮のみついた剣聖である。


 だから勝てるのだ。



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