二十四 怨念
毒の対処――まずは毒血を抜かねばならない。とはいえ今のどこに傷がある状態では口で啜れない。
しかも、千本の傷は小さく既に塞がりかかっている。
「ならば――」
突き刺さった刀の前に膝を付く。傷の周りに刃を宛がい――下へとずらした。
六人との戦闘を経てもまだ刃の切れ味鋭く、腫れた傷を両断。更に右手の指で腫れを押すと、ドス黒い毒血が迸った。
が、眉根を寄せる結果となった。
痛みがない。斬ったのに、傷を押しているのに、あるのは毒によって齎された熱感のみ。ぼうとした緩い感覚しか手には無かった。
「くっ――何か――」
苛立ちながら木に拳をぶつけると、同時にかつんと音を立てぶつかるものがあった。
――根付だ
印籠に再び目をやった。三段になっている印籠の別の段に思いを馳せる。
『これは舶来ものじゃ』
そう言っていた師の言葉に、急かされるように印籠を取り出す。片手で解く根付の紐が少し邪魔に思いながら。
印籠を分けて下の段から取り出したのは金色の丸薬。
飲みこむことに抵抗ある色――ただ今は迷う暇なく放り込んだ。
乾いた口の中をするりと通り、喉を転がり、胃へと、存在感ある大きな丸薬が溶けて広がる気がした。
「果たして――いや、大丈夫、大丈夫だ。わざわざ用意して下さった物なのだから、効かぬわけがない」
まだ熱っぽい身体を休めるために木に身体を預けた。沈めるように座り込み、目を
閉じた。
手には印籠を感じながら。ふと考えた。
師は意匠の凝ったものを好まない。理の塊の術にて利を取るために最短で動く。なら何故この印籠の根付は鳥なのか、と。
根付ならば”帯に止まればいい”とそれ以上の役目を求めない。この目と嘴と羽の模様までも細工されている凝った根付を付けたりはしない。
ならこれには意味があるはずだ。
この小さく丸いどこか不格好な鳥に意味があるはず。
と考えれば――ある鳥が浮かんだ。
「何故――ウズラ」
鳥の名にある顔が浮かんだ。
目が線になるまで大きく、溌剌と笑う顔が。
髷を結う前の天辺で丸めて結んだだけの髪型だった時の。
七歳か八歳の頃のかやの顔が浮かんだ。
その頃、天水屋にはウズラが一匹いたからだ。
店先の畳の上に並べた小間物の一角、商品を取り除いてまで籠を置いていた。
『あれ、この鳥は――売りものですか?』
『違う違う。これはウズラだ。私のだよ』
『えっ父上の。食べるの? 美味しい?!』
『ははは、かや。これは食べないぞ――食べないからな?』
『――え? 足二つだよ』
『食べません。良いかウズラは鳴き声を楽しむものだ。鶉合と言ってなウズラを持ち寄り互いの鳴き声を競ったりする。ふふふっ、こいつで荻屋に一泡吹かせて――』
『へーそんなに美しい声なの?』
『ふふ、聞いてみるか』
籠の中の小さい鳥はまだらな茶色の羽で尾も短くけして美しくはない。つまり見るための鳥ではなく、鳴き声に価値のある鳥だということ。
だから新之丞はさぞ美しい声で鳴くのだろうと思っていた。
かやと新之丞と、何故か笑みを含んだ喜助の三人で籠の前に顔を並べて待つ。
『ギョギョギョエ、ギョッギョエッーー』
何とも言い難い――大量の蛙が断末魔を上げたような声だった。
目を丸くした二人に、ウズラに負けぬ声で下品に笑う喜助。
『どうだい、この声。美しいとも下品ともいえない。なんとも微妙な鳴き声だろう? しかもこの形でこの声の大きさ。いいウズラだよこいつは』
『小さくて五月蠅い――かやみたいだ』
『誰が下品な声だって!』
もちろん怒った。
がなった大声を上げて、小さい脚をパタパタと忙しくして追いかけてくる様はまさにウズラのようで。
逃げ惑う新之丞をよそに喜助は腹を抱えて笑っていた。
店の物をひっくり返して荒れ果て三人してくらに怒られたのは昨日のことのよう。
「か――」
名を口にしようとして止めた。
血生臭い、この地獄のような戦場で呼ぶべき名ではない。
かやの思い出はここに出していいものでもない。
下らない喧嘩もしたが。大抵は仲良く遊んだものだ。
春には花を踏んづけ、夏には川に落とされ、秋には山で猪に追い掛け回され、冬には雪の達磨をぶつけられた。
駆け抜けた二人の思い出は新之丞が十になるまで。
『そんならもう口利かないから』
入門の意志を伝えると、そう言った。
やや強引な、言いだせば利かぬかやは、事実半年は口を利くことはなかった。
その半年の後とて最低限しか話をすることはなかった。
理由は煤宮というより――仇討ちにあったと分かったのは暫く後。
最初は迂遠に”剣術なんて危ない”とか”食べていけるの”とか。
段々と”仇は見つからない”とか”勝てるのか”とか仇討ちを否定するようになった。
その度に新之丞は頑なになり、やがて口を閉ざして決意をした。
十五になって内弟子になり、もう戻らないことにしたのだ。
そうして時は過ぎ、十七になる頃。
『かやは江戸に奉公に出るそうじゃ』
と長谷野に言われた。
行先は武家屋敷、つまり行儀見習い。
行儀見習いとはその名の通り行儀を習うということ。武家に住み込み、家の手伝いをする代わりに良家の作法を学ばせてもらうのだ。
そしてそれは専ら嫁ぐ前の修行となる。
長谷野の伏せた目の奥の寂しさが警告していた。
もう『会えぬぞ』と。
新之丞とてそれは分かっていた。言われるまでもなく、知っては居た。
それでも、この話を聞いても会いには行かなかった。いや、行けなかった。
ただより修行に打ち込んだ。
より強く、より早く強くなるために。
刀を振るって、朝も夜もなく刀を振るった。
兄弟子も止めんとする。伝助も心配する。師とて、修行の量を加減とするほど――
山を駆けて、獲物を捕らえ、肉を食らって、そしてまた駆けて、獲物を捕らえて、肉を食らって、また駆けて、倒れるまで走って――最後は吐いた。
「そうか――」
月に照らされた印籠、垂れた紐の先のウズラがこちらを見ている。
よくよく見れば彫りは甘く、不格好にも見えるウズラに目を奪われた。
爽やかに風が抜ける。
血の匂いを拭い去り、身体から熱を奪っていった。
手にも足にも力が戻る。
されど新之丞は立ち上がることはなかった。
ウズラを見たまま考えていた。
――どうするか?
ここまで来てそんな言葉が浮かべば力も抜けた。
不思議と力が抜けて来た。
ここまで、修行を始めてから、仇討ちを志してから十年余りの月日の、力を籠めて籠めて籠め続けた額の回りの険がとれる。
やはりウズラは、そのためのウズラだ。
「どうしよう」
じつとウズラと目を合わせ、まるで子供のように声を上げた。
だが風がそれを許さない。
不意に吹き付ける強い風。
風に乗って届く血の匂い。
この場の二つの死体――山に晒された四つの骸。山中すべての血が流れて来るような強烈な鉄の香りが鼻をついた。
木々を揺らし、枝を叩きつけ、葉を擦り、石を転がし、大刀を斧を刀、鎌、槍、千本を転がしながら、風は吹いた。
新之丞を苛む音を運び、新之丞に思い起こさせるように叩き付けた。
ざわざわざわざわと音を立てて。
カタカタカタカタと鳴くように。
風は雲を連れて月を覆い隠してしまえば、暗闇に血とともに閉じ込められた。
『――て』
月を隠され深い雲の下、真っ暗闇に何かが響く。
『――討て』
ごうごうと、ざわざわと鳴いた風の中から、確かに声。
『討てっ! 討ちなさい』
『討てっ山中を討てっ! 新之丞っ!』
男と女の声が聞こえた。
自らの名を呼ぶ、厳しくも強い言葉に。
「――ああぁっ――うるさい、うるさいっうるさいっっ!」
新之丞はウズラを放り投げた。まだ残る月明かりの下に置いて離れて。自らの身体を抱えるようにして震えた。
「――分かって――分かっております」
刀を手に取り立ち上がる。刀身に映る目は――あの夜の父母のような赤で、山頂を睨みつけ、足を階段へと進ませた。
月は現れたのに、とうに風は止んでいたのに。
新之丞は耳にはいつまでもカタカタと聞こえていた。




