二十一 煤宮
暗闇に月の煌めき。鋼の穂先が輝き出した。だがそれでも点が線になった程度。
息が重く、喉が乾く。
瞬き一つが死に繋がる。
対峙しているだけで身が削られ、動いてもいないのに息が上がった。
「――はぁはぁ」
対して又左の動きは静か。階段の下から微動だにしない。吹く風に衣すら揺れ動いていないかのように不動。あくまでも迫らず、来らば突く構え。
一間ほどの槍と、新之丞の短めの打刀。絶対的な得物の長さの差が、即ちのまま戦力の差だ。
長ければ強い――自明の理。加えて腕にも差がある。
常ならば足働き。仮に奥に仇が居たとしても同じだったろう。
又左の手に握られた得物が槍でなければ。
――槍で良かった
そう思いながら腰を捻り上体を回し、又左に背を向ける。
技に入る――煤宮の原点となるとある技に。
『煤宮とは農民の生きる意志から生まれた術』
そう師に聞かされたのは三年と少し前。梅雨のただ中、涼しくとも蒸す雨の夜だ。
真夜中の修練場に呼び出されると師匠が一人座っていた。
「よう来た」
齢七十近いというのに、行燈の頼りない光から漏れる大きな身体。対面に座った新之丞にも未だ劣らない。太くしっかりした、しかし皺だらけの指。懐から摘まむように取り出した一冊の小さな本を投げて寄越した。
「本ですか?」
両手におさまる小さな本。長いこと丸められていたのか少し癖のついた――古びた本だった。
師に目を映すと、たくわえた髭を持ち上げるように顎をしゃくる。
”読め”と解釈した新之丞は本を開いた。
「――これは」
最初の丁には人と人が向かい合い、刀を手にしていた。更に捲ると、次も向かい合う人。ただし今度は右側だけ刀がない。代わりに手を口に当てていた。
そして上部にはこうある『口働き』と。
「修行法を記した本」
読み進めると今までの修行が載っていた。
そうして修行の先の丁に入るところで『奥伝』と文字が目に入り――閉じた。
これは煤宮の秘伝書、奥義書と理解したからだ。
「――私には早いかと」
「よい許す」
「しかし、まだ私は中許しまで」
「ならば今奥許しを与える」
「それでは、示しがつきませぬ」
「誰にじゃ? 松原や伝助は何も言わん。それとも利吉か? 昨日今日入ったばかりで何も言わんじゃろう」
「そうではなく。今までの――煤宮の歴史が」
「言わぬ言わぬ」
長谷野は足を崩し笑い飛ばす。行燈の火が消えかけるほど大きく。
「煤宮を何だと思うておる。そんな格式ばったものではない」
「例え発祥が農民だろうと順序があるでしょう。そのための許しではありませんか」
「ありはせん。許しなどというものがあるのは危険な修行をさせぬためじゃ。新之丞お主の身体は出来ておる」
そう言って腕を掴む師。その腕は確かにもはや新之丞と変わらない。
それでも新之丞は唇を噛んで、書を黙って戻した。
「やれやれ相変わらず頑固なものよ。仇討ちに行くのだろう? 幾ら止めても」
「――はい」
「そればこそ技を会得せよ。それこそが煤宮の本懐」
「本懐?」
「左様。煤宮は何故生まれたと言うたかの?」
「それは農民が野伏りから身を守るため」
「そう、ここより西に大分行ったほうにあった山の村で生まれた技」
「場所まで分かっているのですか」
深く頷くと身体を揺すって「よいしょ」と座り直す。細めた目、長い眉毛の下で、どこか遠くを見るように語り始めた。
「鎌倉殿が亡くなり京に幕府が構えられた頃という。世の侍崩れが賊と化し、力で村を奪い取る。荒れた時代よ」
「そんな昔だったのですか」
「うむ、だからのう。村は自ら武装して守るのが当たり前。その村もそうしていた。とはいえ野良仕事も休めぬ。自衛といってもやっていたことは刀を打つだけ。それも村に一人の鍛冶屋が暇を見ての」
まるで見て来たようだ。そこまで書いてあったか? と内容を思い起こす。
「ある日、野伏りの集団が襲い来る。自慢の刀で迎え撃ったのだが。まるで駄目。刃が立たぬ。何しろ戦いを知らぬ。得物だけでは戦いにはならないと知らなかった」
「それでは――村は」
「酷い目に会うただろうな。女はかどわかされ、収穫は持って行かれ」
「滅びはしなかったのですか?」
「しても意味はない。また作物を作らせて、女を生ませるほうがよかろ?」
天気について語る軽さだ、と思った。
「故に鍛冶屋は技を求めた」
「それが煤宮」
「早い早い。刀を打つだけの男と、野良仕事しか出来ぬ村人がそんな簡単に技を生みだせるものではない。だから求めたんじゃ」
「教えを乞うた。ということですか」
「左様」と応える師の口の端の皺が一層深くなった。
「そうだ。新之丞」
師は深く息を吐いた。
「要らぬ矜持で死ぬことはない。読め」
「――ですが。仮に読んだとて」
師の目は鋭い。射貫くような目に背が伸びる。
「彼奴の才は師に届くと、翻って私はどうでしょう? 凡庸です。これだけやっても伝助に並ぶがやっと。それとも師匠。伝助の才は山中に並びますか?」
師は小さく髪を左右に振り、外の雨に目をやる。
「だがな。作太は、奴は刀しか知らぬのだ。組打ちすらまともにやっていない」
「例えそうだとしても」
「では新之丞。開祖は誰に教えを乞うたか分かるか?」
「いえ」
「少しは考えい。まったく、開祖は旅をして探した。箱根の山奥に入り足柄山までを歩いてな。這う這うの体でようやく辿り着いた里。出迎えたのは七尺を超える身の丈の鬼と言われておる」
「――鬼」
「それほど恐ろしく、強かったのだろう。その鬼の里は煤宮の里よりも不毛の土地、売れるものなど――人しかおらぬような」
山奥――何もない。作物もろくに育たない。力有る者たちが、その力を蓄え、それを売る里。新之丞は「あ」と声を上げた。
「気付いたか」
「はい、先程の技の数々と合わせると」
「言うてみい」
「忍びかと」
師の口角には更に皺が寄り、同時に目じりも大きく下がる。
「奴の知らぬ技、幾らあると思うておる?」
そうしてついに新之丞は書を手に取る。
知らぬ技の数々を半信半疑で学ぶ日々に今、感謝した。
――槍であるならば
覆い隠した左腰。見えぬように下げ緒を解く。
線となった穂先を捉え、握った革紐がやけに熱かった。




