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封印勇者と追放令嬢の下剋上  作者: 岳丈丸
第1章:逆襲の剣姫
9/20

009:試練

 翌朝、集落の奥へと案内された。

 密林の最深部。木々の密度が増し、蔓が天蓋を何重にも編んでいる。

 わずかな木漏れ日は、葉の隙間から落ちる細い糸のようだった。


 巨木が円形に並んでいる。

 どの幹も太い。百年や二百年ではない。はるか昔から、ここに立っているのだろう。


 巨木の内に入った瞬間、雰囲気が変わった。

 頭の奥にあった靄が晴れていくような、清々しい感覚を覚える。


 地面には、円形の陣が刻まれていた。淡く緑色に発光している。

 族長が先を歩く。シエラ族の戦士たちは、円陣の外縁に並んで立っている。

 ヒルデの姿もあった。


 ランズローは、いない。聖域の入口で、足を止めている。

 巨木の外側にいて、中に入ろうとしない。斧を地面に立てて、腕を組んでいる。

 いつものぼんやりした顔だが、何だか躊躇しているようにも見える。


 不思議に思ったが、今は試練に集中すべきだ。

 族長が、円陣の中心で立ち止まった。ひざまずき、祈りを捧げ始める。

 シエラ族の言語。何を言っているかは分からないが、歌のような響きだ。


 しばらくして、空から光が降りてきた。

 ゆっくりと。つまり、光ではない。その中から、鷲が姿を現した。

 大きい。翼を広げると、円陣の全形を覆いそうだ。

 動物でない。魔物に近いような気がしたが、禍々しさは無く、むしろ神々しい。


 聖獣。そう呼ぶべき存在が、目の前にいる。

 族長が一歩退いて、道を空けた。

 翼の一枚一枚が光を帯びている。風もないのに、羽毛が揺れている。

 聖獣の瞳が、私を捉える。金色の瞳。視線が触れ合った瞬間、世界が消えた。


 巨木も、紋様も、族長も、ヒルデも、その存在が消え去った。

 何もない、白い空間。上も下も分からない。ただ、浮いているような感覚。

 夢か幻か。そんな空間の中で、突如として、浮き上がってくるものがあった。


 闘技場。バニエルが立っている。

 剣が光り、スキルカード【轟炎葬】(ボルケノン)が発動する。

 地面が赤く染まり、熱波が肌を叩く。形見の鉄の剣が溶ける。


 痛みも蘇る。炎に灼かれる皮膚。

 そして、ラドリックの顔。見下した笑み。


「哀れだな、リンカ」


 叔父に見下されたまま、廃坑に落下した。

 暗闇。岩肌に叩きつけられる衝撃。骨が軋む音。

 白骨化した遺体。追いかけてくる巨大熊(ハイパーベア)

 痛みと感情も伴って、次々と記憶が再生されていく。


 夜。私室。窓から月明かりが差している。

 私の後ろに、母が座っている。髪を梳いている。

 鋼銀色の髪。私と同じ色。母の手が櫛を通す。

 剣ダコだらけの手で、優しく梳いてくれる。


「私の髪に、そっくりね」

「ほんと?」

「ええ、ほんと。枝毛が多いところまで、似なくても良いのにね」


 クスクスと母が笑う。私も、つられて笑う。

 母に髪を梳いてもらうのが、毎晩の楽しみだった。


 記憶が途切れる。

 今度は、珍しく父ジェラルドがいた日の食卓。

 フォーラのお得意料理が振る舞われているが、その中にハズレの魔物肉が紛れ込んでいた。

 あいつは、昔から変わっていない。見事に引き当てた父が、激しくむせている。

 母と私は、ケラケラと笑っていた。


 苦痛も、喪失も、温かさも。人生の断片が、目の前を通り過ぎては消えていく。

 記憶を見せられている。いや、違う。読まれている。

 私の中身を一枚一枚めくられている。


 ラドリックへの怒り。母と父を喪った悲しみ。

 今度は勝つ。勝ってシルベリアを取り戻す。

 母と父と一緒に過ごした、あの思い出の地に、必ず帰る。


 記憶の奔流が止まった。白い空間が割れる。

 木漏れ日に、風の音。地面の感触。どうやら、元の場所に戻ってきたらしい。


 目の前に、聖獣がいた。金色の瞳は、穏やかな色をたたえている。

 周囲で、ざわめきが起きた。シエラ族の戦士たちが動揺している。

 言葉は聞き取れない。だが、声の調子でわかる。

 族長の目も、丸くなっていた。


「……苦しまなかったのか」


 ヒルデだった。

 あの冷静な女戦士も、驚きの表情を浮かべている。


「……何のことだ?」


 訊いた。本当にわからなかった。

 ヒルデの目が揺れる。


「記憶を見せられただろう」

「見せられたが、それがどうかしたか?」


 ヒルデが言葉に詰まる。

 沈黙。何と言ったら良いのか、お互いに困っているような状態になった。


「負けたら悔しいし、親しい人の死は悲しい。ただ、起きてしまったことは、仕方がないだろう?」


 私の口からは、月並みの言葉しか出てこなかった。

 すると、族長が助け舟を出してくれた。


「わかったぞ、ヒルデ。この娘には、妄想がないのだ」

「妄想が、ない?」

「そうじゃ。まさに記憶を見せられただけ。試練が、試練になっておらんのだ」


 ヒルデは、得心したという風に頷いているが、私には、さっぱり分からなかった。

 そんな私を見かねて、ヒルデが話し始めた。


「帝国の密猟者が、聖域まで侵入したことがある。勇者がいたんだ。部下が迎撃したが、私は少し遅れた。間に合ったが、遅れた」


 冷静なヒルデの声。苦い記憶だが、すでに感情の整理がついている。そんな様子だった。


「あの時、一瞬だけ考えた。間に合わなかったら、どうなっていたかと……」


 ヒルデが、周囲の部下たちを見回す。

 それから、私の方へと戻ってきた。


「聖獣は、もしもの場面を見せた。部下が男たちに組み伏せられて……」


 言葉が途切れる。続きは言う必要がなかった。


「起きていないことだ。だが、私は考えた。少しだけ頭を過った」


 ヒルデの後を引き継いで、族長が言う。


「過去の記憶だけならば、耐えられる者は多い。だが、聖獣が見せる記憶は、それだけではない。もしあの時、本当は誰かが、そういった想像も記憶として再生する」


 横で、ヒルデが頷いている。

 他の戦乙女(ヴァルキリー)は、俯いて身震いしていた。


「恐れ、悲しみ、怒り。想像であっても、感情を伴えば、事実として扱われる。我々は、それを妄想と呼んで、想像と区別している。聖獣にとっての記憶とは、妄想も含むのだ」


 私は、ようやく理解した。

 記憶の再生。あれは、試練の半分でしかなかったのだ。

 本当の苦痛は、事実ではなく、妄想ということらしい。


 聖獣が動いた。巨大な(くちばし)が降りてくる。人の頭を、丸ごと咥えられる大きさだ。

 (くちばし)が、私の額に触れた。

 目の前に、忽然と羽毛が現れる。ヒラリヒラリと、空中を漂ってから、私の手の上に乗った。


「聖獣が認めた」


 族長が厳かに言った。


「お前の魂は、清い」


 聖獣が翼を広げると、金色の光が聖域を満たした。

 巨木の天蓋を突き抜けて、光の柱が空に向かって伸びていく。

 羽毛が舞う。何枚も、何十枚も。光を纏った白い羽毛が、雪のように降り注ぐ。


 戦士たちが膝をついた。族長も頭を垂れた。

 光が収束していく。聖獣の姿も、光とともに、徐々に空へと溶けていった。

 振り注いでいたはずの羽毛も、すべて消え、私の手の上の一枚だけが残った。


 誰も言葉を発さず、聖域を出た。

 巨木の円環を抜けると、密林の湿った空気が戻ってくる。

 ランズローが、同じ場所で待っていた。

 巨木の円環から一歩も中に入った形跡がない。地面に、足跡すらなかった。


「終わったのか」

「……そうらしい」


 手の中の羽毛を見た。淡く光っている。

 聖獣の残滓。これが何なのかは、まだ分からない。


「行くか」


 ランズローが、斧を担いで歩き出す。

 後ろを歩く。木漏れ日のせいか、ランズローの背中が、少し寂しそうに感じられた。

 族長は、私の魂を「清い」と言った。聖獣が、この男の魂を読んだら、何が見えるのだろう。

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