002:追放
冷たい金属が、手首に食い込んでいる。
意識が浮上した。揺れている。車輪の走る音が聞こえてきた。
二の腕。背中。右脚。意識がはっきりしていく程に、痛みの地図が広がっていく。
肋骨が軋む。呼吸のたびに、胸の奥で何かが擦れる。
――折れてはいないな、たぶん。
目を開ける。木製の天井。窓は小さく、格子がはまっている。
手首を持ち上げようとして、金属の重さに引き留められた。
手錠。鉄製の安物だが、両手首をがっちり繋いでいる。
思い出した。決闘に負けて、それで――。
「……起きたか」
若い声。他にも、帝国の制式軍装を着た兵士が三人。全員が気まずそうな顔をしている。
リンカ・シルベリア元伯爵令嬢を運ぶ任務。単純な仕事ではないと、分かっているのだろう。
兵士の一人が、隣の仲間に小声で囁いた。
「この辺りには、確か坑道があったよな?」
「ああ、だいぶ前から、使われていないらしいが」
「追放すると言ったって、何でこんな道を……」
叔父ラドリックの顔が浮かぶ。
――まあ、そうなるな。
決闘に勝ち、領地を手に入れ、邪魔な姪を処分する。
殺さないのは、世間体を気にしているからだろう。
帝国の貴族は、体裁を重んじる。処刑より追放の方が、慈悲深く見える。
怒りは湧かなかった。あの叔父なら、そうする。それだけのことだ。
私は、手錠の重さを確かめながら、荷台の壁に背中を預けた。
火傷の皮膚が壁に擦れて、鈍い痛みが走る。
構わない。痛いのは、生きている証拠だ。
「痛みを感じるうちは、死んでいない」と、騎士団長のガントも言っていた。
窓の外に目をやる。街道の石畳が途切れ、馬車は未舗装の獣道に入って行った。
車輪が岩を噛むたびに、荷台が大きく跳ね、肋骨が悲鳴を上げる。
鬱蒼とした森。何か様子がおかしい。木々の幹が黒ずみ、空気が澱んでいる。
崩れかけの社が目に入った。苔むして、朽ちかけている鳥居。半壊した祠。
何かの目的で建てられたのだろうが、今は誰も手入れをしていない。草に呑まれかけている。
社を過ぎた辺りから、空気が重くなった気がする。
――嫌な感じだな。
理由はわからない。だが、皮膚が粟立つ。
首筋の毛が逆立つような、本能的な不快感。
兵士たちも、何か感じているらしい。窓の外を窺う目に落ち着きがない。
「この辺り、最近やばいって話だぞ」
「だから言ったんだ。この道は避けた方がいいって……」
「上に言え。俺たちの判断じゃどうにもならん」
道を決めたのは、ラドリックだろう。
魔物の出やすい廃道を通る。途中で魔物に襲われて、私が死んだとしても、「不幸な事故」で済む。
最初に気づいたのは、馬だった。
二頭の駄馬が、同時に嘶く。手綱を引く、御者の怒声が聞こえる。
馬車が急激に減速し、荷台の中で、身体が前に投げ出された。
手錠の鎖が引っ張られ、手首に鉄が食い込む。
「な、何だ?」
兵士の一人が空を見て、言葉を失った。
巨大な翼が、馬車の上空を覆っている。
石のような灰色の皮膚。眼窩が二つ、赤く発光している。
「が、石翼鬼だ!」
若い兵士が叫んだ。
急降下。馬車の屋根に、石翼鬼の爪が突き刺さる。
木材が裂ける音。天井が引き剥がされ、鉛色の空が、荷台の中に飛び込んできた。
「応戦しろ!」
兵士たちが、長剣を抜き放つ。霊孔が二つ光っている。
「【魔導弾Ⅰ】!」
剣先から、淡い紫色の弾丸が発射された。
狙い違わず、ガーゴイルの胸部に着弾する。
「……効いてねえ!」
兵士の悲鳴。石翼鬼の肌には、薄らと弾痕が残っただけだった。
「も、もう一発だ!」
二射目。同じだった。石翼鬼は、怯む様子もない。
旧式の霊装具と、鉄級のスキルカードでは、石翼鬼の硬い皮膚を貫くには、火力が低すぎた。
こんな任務に、精鋭を回すはずがない。いや、そもそも回す必要がない。
ポンコツ装備の兵士で護送すれば、「不幸な事故」の起きる可能性が高くなる。
兵士たちの顔から、血の気が引いていく。
石翼鬼は、それを嘲笑うかのように、前脚の爪を振り下ろした。
馬車の側壁が砕け、木片が飛ぶ。
歪な長い爪が、兵士の胸甲を掠めた。
【衝撃吸収Ⅰ】が発動したようだが、兵士は荷台の反対側に叩きつけられる。
残り三人の兵士が、ジリジリと後退する。
馬車がさらに大きく揺れた。
石翼鬼の爪が、屋根の残骸を掴み、持ち上げようとしている。
車体が傾き、薙ぎ払われた兵士の身体が、私の足元に転がり込んで来た。
気絶している。その腰には、鍵がぶら下がっていた。
私は、足の指を動かした。右足の親指と人差し指で、気絶した兵士の腰帯に触れる。
鍵の輪。金属の感触を足指で探る。侍女長ベルタの訓練が蘇った。
「手が使えない状況を想定してください。拘束されたら、足が手になります」
あの女は、侍女服を着たまま、足の指だけで短刀を操り、あらゆる拘束を解いて見せた。
人間業ではなかった。同じようにやれと言われたが、一度も成功したことはない。
しかし、訓練のおかげで、足指の器用さは身についた。
鍵を挟み、引き抜いた。
馬車の揺れで、何度か滑りかけたが、膝まで持ち上げて、手に受け渡す。
錠穴に鍵を差し込む。外れた。鉄の手錠が、荷台の床に落ちる。
手首を回す。血が巡る感覚。両手が自由になっただけで、呼吸も少し楽になった。
荷台の中を見回す。残りの兵士は、石翼鬼に気を取られている。
私に構っている余裕はない。
気絶した兵士は、剣を持っていない。先ほどの衝撃で、外に飛ばされたのか。
さらに馬車が傾いた。石翼鬼の爪が、車体の骨組みを掴み、左右に揺らしている。
車軸が捻じれる音。馬が暴れ、繋がれた手綱ごと引きずられている。
兵士たちが、絶望の声をあげる。
「な、なんて力だ」
「こんなのに、勝てる訳ねえ……」
ついに、車体が横倒しになった。
荷台の中で、体が投げ出される。壁だったものが床になり、天井だったものが壁になる。
気絶した兵士の身体は、車外へと落ちていった。
私は、馬車の側壁を思い切り蹴った。
板が割れる。そこから馬車の外に這い出して、辺りの様子を確認した。
砂利と岩。それに傾斜。足元の地面が、ぼろぼろに崩れかかっている。
旧坑道の縁だ。採掘跡の崩落地帯。踏み込んだら、崩れるかもしれない。
石翼鬼が、馬車を掴んだまま飛び上がった。
大きな翼が、旋風を巻き起こす。脆い地面が、風圧で揺さぶられた。
「しまっ――」
足場が消えた。
落ちている。視界から、光が遠ざかる。上にあった空が、小さな円になっていく。
壁面に腕を伸ばした。岩を掴もうとしたが、掠っただけ。爪が剥がれた。
――このまま落ちたら、死ぬ。
空中で身体を捻って、僅かに軌道を変える。
背中が壁面に当たり、土砂が皮膚を削る。
火傷に擦過傷が重なる。ひどい痛みだが、速度は落ちた。落下から滑落に変わった。
下から湿った空気を感じる。底が近い。体を丸め、膝を抱え、首を守る。
「全身を使え」と、騎士団長のガントに叩き込まれた、受け身の技。
衝撃。砂利の地面。背中から落ちて、受け身をとる。
砂埃が舞い上がった。
本日あと3パート投稿予定です。




