012:英雄
「ランズロー? あの英雄と同じ名前じゃない」
師匠を紹介すると、フォーラが驚きの声を上げた。
「英雄?」
「始まりの七勇者よ。魔王を討伐した勇者たちの一人。まさか、知らないの?」
「……歴史の講義は、苦手だった」
フォーラが呆れている。
ガントに救いの目を向けたが、ゆっくりと首を振られた。
さすがに俺でも知っている。そう言っているようだ。
「ランズローは、魔王と相討ちになって戦死した。その功を称えて、『勇者の中の勇者』と呼ばれているわね」
死んでいるのか。
石棺のことを思い出し、一瞬まさかと思ったが、違ったようだ。
「たいそうな名前だけど、それ相応に強そうね」
ランズローの身体を見ながら、フォーラが言った。
ベルタは、ランズローの動きを観察していたが、フォーラは肉体を見て判断している。
どちらにしても、同じ結論に至っていた。
「世話になる」
ランズローが言った。意外だった。
いや、それは失礼か。石棺の中で長く寝ていたから、ボンヤリしがちなだけだ。
「状況を確認します」
ベルタが、卓の上に地図を広げた。
シルベリア領の略図。インクの滲む手書きの地図だが、街道と集落の位置は正確だ。
伯爵館のあるグランツフェルトを中心に、五つの村が点在している。
ガントが丸太に腰を下ろした。鎧の重みで丸太が軋む。
フォーラは椅子に座り、卓の上に酒瓶を置いた。
ランズローは壁に背を預け、腕を組んで目を閉じた。いつもの姿勢だ。
「まず、騎士の去就ですが、コンラートは、ラドリックと共謀です」
ベルタが言った。
コンラートは、従士の数や、霊装具の更新が進まない点で、以前から不満を述べていた。
ラドリックになれば、待遇が良くなると判断したのだろう。
「ハインツは?」
「体調を崩したと言って、引きこもっています」
風見鶏。元から、そういう類の人間だ。意外ではない。
それに、今回の騒動は、伯爵家の問題であって、騎士に関与を求める方がお門違いだ。
ベルタの指が、地図上のグランツフェルトから、各村を結ぶ街道をなぞる。
「衛兵隊は、そのまま稼働しています」
「クルトは、どうしてる?」
「解雇を申し渡されました。隻腕の兵士など、使い物にならないと」
衛兵隊長のクルト。魔物との戦いで左腕の肘から先を失い、騎士を退いた男だ。
だが、その人格と指揮力を買って、父が衛兵隊長として雇った。
面倒見が良く、公正清廉で、衛兵たちからの信望は厚い。
「クルト殿は、各村を巡回している。引き継ぎがあるからな。解雇は、その後になるだろう」
「随分と長い引継ぎね」
ガントの言葉に、フォーラが笑いながら応じた。
要するに、クルトは衛兵隊を掌握し続けているということだ。
「ジルク殿とグレーテ殿は、屋敷に残っている」
ジルクは、父の代から仕えている家宰だ。父の右腕と言って良い。
ラドリックの手綱を握るために、あえて懐に残ったと考えるべきだ。
グレーテは熟練の侍女で、ベルタでも頭が上がらないほどの人柄だ。
あの二人が残っているなら、館内のことは心配無用だろう。
私は、地図に目を戻した。館。街。村。ほとんど変わりはなさそうだ。
となると、問題は金か。
「ラドリックは、何をしようとしている?」
「まず、聖女の巡礼祭だ」
ガントが答えた。
巡礼祭。聞いたことはある。
聖霊樹教会の聖女が各地を巡り、ソウルツリーの祝福を民に授ける行事だ。帝都や南都では珍しくもないが、東部にまで聖女が足を運ぶことは滅多にない。
「巡礼祭の誘致は、ジェラルド様が保留にされていた案件ですね。教会側から、何度も打診はありましたが」
ベルタが補足した。そうだ、思い出した。
帝都と南都の聖女から、何度か話があった。しかし、費用で折り合わずに断っていた。
聖女の護衛、祭壇の設営、街道の整備、宿泊施設の確保。そして、聖霊樹教会への寄進。
とにかく、金がかかるのだ。
聖女が来るとなれば、領民も喜ぶから、父も悩んでいたのを覚えている。
「ラドリック殿は、すぐに判を押しました。ご自身の正統性を、聖女の祝福で裏付ける狙いかと」
「……シルベリアには、そんな金は無いはずだ」
「臨時徴収です」
ガントが、苦々しく言った。
「……収穫直後の麦を、市場の半値で差し押さえたと聞いています」
ベルタの声には、温度がなかった。
そんなことだろうと思った。というか、それ以外の手段がない。
「加えて、序列外の孫請け勇者が三名と、傭兵も六人ほど抱えております。それから――」
ベルタの声が、僅かに冷える。
「バニエルも、まだ屋敷に残っています」
下っ端の勇者とコンラートだけでは、心許ないか。
代理決闘だけでなく、その後の護衛任務も引き受けているとなれば、けっこうな額の契約になっていそうだ。
それでも、こちらには、ガントとベルタ、そしてランズローもいる。
はっきり言って、戦ったら楽勝だ。
「力ずくで勝てる相手ですが……」
私の考えを代弁するかのように、ベルタが言った。
しかし、それでは意味がない。
「力で奪還したら、リンカが簒奪者になってしまうわ」
フォーラの言葉に、私も頷いた。
決闘で負けたことになっている以上、今はラドリックに正当性がある。
だが、あの決闘自体が不当だったと証明できれば――。
「バニエルが使った、【轟炎葬】。あれは黒級のスキルカード。明確な規定違反だ」
「お嬢様の仰る通りです。私たちは、闘技場から閉め出されていましたが、観戦者から証言は取ってあります」
さすが、ベルタは仕事が早い。
ガントが身を乗り出す。
「規定違反であれば、決闘そのものが無効だ」
「それを証明する。証拠を揃えて、決闘を所管している勇者組合に申し立てる」
ランズローが、僅かに目を開けた。
口元が、ほんの少しだけ、持ち上がった気がした。
「証言はありますが、それだけでは受理されません」
「あとは、何が必要なんだ?」
沈黙。ベルタの問題提起に対し、誰も答えを持っていなかった。
ここには、法制度に詳しい者がいない。
「ひとつ、心当たりがあるわ」
全員がフォーラを見た。
「前の東都法務長官よ。引退して、この辺りに住んでいる爺さんでね。私の患者なの」
「法務長官が、なぜシルベリアに?」
私が言うのも何だが、終の棲家にシルベリアを選ぶ理由はないと思う。
「法務長官の席が、帝都からの天下り席になっているのよ」
「ああ、そういうことですか」
ベルタが納得した。が、私にはよくわからない。
キョトンとしているが伝わったのか、フォーラが説明してくれた。
「東部は、絶賛衰退中でしょ。だから、政治的にも価値が低くて、仕事のできない怠け者ばかり寄越されるのよ」
「……どうしてだ?」
「実力者は、南都とか聖都とか、もっと旨味のあるところに行くからよ」
南都は帝国最大の商業都市、聖都は聖霊樹教会の本山がある宗教都市だ。
――なるほど、こんな廃れた田舎では、稼げないってことか。
「……ん? でも、その爺さんが、シルベリアにいる理由が分からないな」
「無能な長官たちの尻拭いをしていたけど、それが嫌になって逃げてきたのよ」
ありがとう、フォーラ。一から十まで教えてくれて、ようやく理解できた。
「政治とは、難しいものだな」
ガント、お前もか。
でも、ホッとした。私と同じくらいの仲間がいてくれて。
状況は何とか分かったが、根本的な問題は残っている。
「その方は、力を貸してくれるのか」
フォーラが肩をすくめる。
「わからないわ。ただ、あの爺さんは、まっとうな人よ。まっとうすぎて、何も変えられなかった人」
フォーラの声には、憐憫が含まれていた。
「条文の読み方も、申立書の書き方も、あの人なら知ってるわ」
「案内してくれ」
早速と私は腰を上げたが、フォーラは酒瓶を傾けて、ゴクゴクと飲んでいる。
「明日の朝ね。お年寄りは、早寝早起きだから」
「……うん、わかった」
すでに、景色は夕色だ。
元法務長官ともなれば、礼儀にうるさい可能性もある。
今から訪れては、非礼と言われても仕方がない。
「ベルタは、証人の居場所を把握しておいてくれ」
「承知いたしました」
「ガントは、ここで待機」
「承知」
そして、ランズローは、と視線を向けると、グウと腹の鳴る音がした。
「……飯は」
僅かな沈黙の後、フォーラが吹き出した。
「あはは! 面白いわね、この人。大丈夫よ、夕飯は私が作るわ」
ガントの面頬の奥から、微かに息を吐く音が聞こえた。笑ったのかもしれない。
「師匠、フォーラの飯は旨いぞ!」
「……そうか」
それだけ言って、ランズローは目を閉じた。
心なしか、恥ずかしそうに見えた。




