とことん親孝行――七十の賀
●算賀の準備
老中納言の七十の賀に向けて、準備が着々と整っていきます。
道頼は、三河守(かつての帯刀)にも手紙を書いて、使いを三河へ走らせます。
「北の方の父君である中納言殿のために、七十の賀を催すことになった。ついては、絹を少しばかり調達してもらえないだろうか」
早速、三河守からは絹百疋が、妻の衛門からは北の方(姫君)に宛てて、茜に染めた絹二十疋が送られてきます。
算賀には、かわいらしい男児による童舞※が必須です。道頼は、舞を舞う子供たちの親※を呼び集めて、しっかり練習させるようにと発破をかけるのでした。
賀宴で用いる調度類(食器や州浜台などの飾り物と思われます)には、黄金がふんだんに使われます。金ぴかパーティになりそうですね。
右大臣(道頼の父親)は首を捻ります。大納言が何やら大仰な催し物を準備しているようだが――?
「また、盛大な催しを予定しているとか聞いたが。なぜ、こうも立て続けに?」
「今度のは中納言殿の七十の賀ですが、あの方はお体の具合がよくないようで。残り時間があまりありません」
「そういうことであったか。生きているあいだに喜んでもらわなくては、確かに、意味がないな。ウチで預かっている二郎君(道頼の次男)の支度は、微力ながら私が※しよう」
右大臣も、準備に追われる道頼に力を貸してくれるのでした。なんといっても、右大臣にとって道頼はお気に入りの嫡男であり、その子が熱心にしていることなので、支援せずにはいられないのです。
※童舞――算賀は四十歳から十年ごとに催される長寿の祝いですが、祝われる人の孫や甥が、雅楽の蘭陵王や納曽利にあわせて、舞を舞うのです。算賀での童舞というと、藤原兼家の六十の賀で起きたハプニングが有名ですね。兼家の次男(道長の兄)道兼の長男である福足君はとんでもない駄々っ子で、舞台に登場したものの、「舞なんか、やだい!」と装束を脱ぎ散らかして、とんずらしようとしたのです。多くのセレブが集まっている席です。親の道兼は真っ青になります。窮地を救ったのが、兼家の嫡男の道隆でした。暴れる甥っ子を背後からぎゅっと抱いて、二人羽織りのかたちで舞を舞ったのです。その場に居合わせた全員が、道隆の機転に喝采を送ったのでした。まさに、この物語が書かれている最中か、世に出たころに起きた事件です。
※舞を舞う子供たちの親――招集をかけられたのは、老中納言の大君(長女)の夫、中の君(次女)の夫、それに越前守でしょうか。道頼の子供たちは、長男の太郎君がまだ四歳くらいのはずですから、舞うには幼すぎますね。
※微力ながら私が――二郎君はまだ二歳くらいのはずですが、右大臣が賀宴のための装束を用意して、当日、老中納言にきちんと挨拶できるように教えておく、ということなのでしょう。
●三条殿での七十の賀
十一月十一日※、老中納言の七十の賀は、三条殿で執り行われます。老中納言家の人々全員が、初めて三条殿に集います。法華八講のときと同じように、ほかの公卿たち、四位、五位の人々も大勢、お祝いに駆けつけてきます。
見事な大和絵がほどこされた屏風のほかにも、一月から十二月まで、四季折々の風物を詠みこんだ和歌をあしらった屏風も披露されます。庭の池には竜頭鷁首の舟※が浮かべられ、舟の上では楽人がおめでたい調べを次々に奏でるのでした。
右大臣と新中納言(道頼の義弟、かつての蔵人の少将)も、贈り物を携えて、やってきます。贈り物は、この日の客人への引き出物として使える何襲もの女装束です。皇太后(道頼の姉)からも、大袿※十襲が届けられます。これも、引き出物としてお使いなさい、ということのようです。
じっさい、引き出物はいくらでもいるのです。皇太后付きの女房や女蔵人(下級女官)たちまで、「三条殿でのパーティって、どんなのかしら?」と内裏を抜け出して興味津々でやってきたのです。彼女たちも手ぶらで帰すわけにいきません。引き出物は足りるでしょうか?
一日、管弦の遊びがつづきます。
左衛門佐(老中納言の三郎君)が、ようやくマスターした『夜に駆ける』©を筝の琴でみごとに演奏します。ザ・ロッキング・ジジューズは『マツケンサンバⅡ』©や『パリピ孔明』©や『ニホンノミカタ・ネバダカラキマシタ』©などなどを演奏します。
華やかな宴が終わり、夜更けて、客人たちは三条殿を辞去していきます。大納言道頼は、父右大臣と新中納言に、それぞれ、すばらしい馬一頭と筝の琴一振りをセットにして、引き出物として贈るのでした(贈り物より引き出物のほうが高くついたんじゃね?などというセコイつっこみは、お控えくださいませ)。
越前守は、帰っていく賓客の従者たちに、引き出物の腰差し(軸に巻いた絹地)を案配して与えます。事前に、腰差しの用意は越前守に任せる、と道頼から言われていたのです。老中納言家は誰にも礼を失することなく、宴をしめくくることができたのでした。
老中納言はさらに二、三日、三条殿でゆっくり過ごしたあと、自邸へ帰っていきます。嬉しくてアドレナリンがいっぱい出たせいか、少し、元気が戻ったようです。
※十一月十一日――法華八講は八月二十一日でしたし、物語のなかで日付を明示するのは、月齢をイメージさせるためでしょうか。理由は、浅学にして、わかりません。『源氏物語』などでも日付は頻出しますね。
※竜頭鷁首の舟――それぞれ竜と鷁を船首にあしらった舟。二隻で一対。鷁は中国の想像上の鳥で、水難除けの守り。ところで、げきしゅ、をIMEで一発変換できたのには驚きました。竜頭鷁首は、りゅうとうげきしゅ、りょうとうげきす、とも読みます。
※大袿――小袿だと、いちばん上に羽織るしかないですが、大袿なら、受け取った人が好きな丈に仕立てなおせます。
この段では、はじめて三条殿に招かれた鬼ババ北の方の心境や、童舞のできばえなどが描かれていないのが、残念ですね。このあと、鬼ババ北の方の登場場面はまだたくさんありますので、お楽しみに♪
なお、『夜に駆ける』の筝曲バージョンはYouTubeにいくつか動画が載っています。どなたもすばらしい演奏を披露なさっていますが、筆者は中国人古筝演奏者の動画をリピート視聴しています。神業的な演奏技術です。『落窪物語』から、まったく脇道へそれてしまって、ずびばせん……。




