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なんちゃって落窪物語  作者: fukuneko
巻三
85/105

とことん親孝行――法華八講

●法華八講の初日


 夜が明けます。

 大納言道頼も中納言邸へやってきて、家司や従者たちにあれこれ指示を出します。


 まだ早朝というのに、公卿たちも大勢、中納言邸へ詰めかけてきます。四位、五位の人々は数えきれないほど居並んでいます。貴族たちは、扇で口元だけ隠して、何やらひそひそ囁いているようですね。どんなことを話しているのでしょう?


「中納言殿といえば、ここ数年すっかり耄碌されて、公卿の干物という感じでおいでだったが」

「参内もなさらないので、ひょっとすると、もうこの世においでにはならないのでは、とさえ想像してしまっていたが。いや、これは言い過ぎですな、ははは」

「ずいぶん影が薄くていらしたのは、事実ですな」

「それが、帝の叔父御、三条の大納言を婿取られていたとは」

「なんとも大きな運に巡り合われたようで」

「それにしても、ご覧なされ、あの新大納言のフレッシュなお姿を」

「まだ二十歳をいくつか過ぎたばかりでおられるはず」

「お若いのに、威厳もおありになる」

「威厳があって、お美しい。ふむ……絵になりますな」

「婿君の晴れやかな姿に、中納言殿が涙さえ浮かべておられる」


 そこへ、二人の若い公卿がやってきます。目上の公卿たちや同輩にあいさつをして、着座します。宰相の中将(道頼の弟)と新中納言(道頼の義弟、かつての蔵人の少将)です。二人とも、仕立てのいい上品な装束を一分いちぶの隙もなく着こなしていて、なんともスタイリッシュです。


 中納言の三の君は、几帳の陰から、かつての夫である新中納言の姿を目にして、複雑な思いに駆られます。

 私のハートを虜にしたあのクールな美貌は昔と少しも変わらない。いいえ、さらに磨きがかかったようだわ。なんて素敵なんでしょう。やはり、昔のようにお呼びしたい。蔵人の少将殿。私の永遠の押し。


 三の君は新中納言のようすをじっと見守るのですが、相手は宰相の中将やほかの公卿たちと談笑するばかりで、三の君の姿を目で捜すでもありません。三の君は人知れず涙を拭うのでした。私のこと、もう思い出してもくださらないのかしら……。何年か前のこの季節に、二人で冷凍ライチの早食い競争をしたこととか、お忘れになってしまったの……?


 厳かに、法華八講が始まります。



●五巻(提婆品だいばほん)の日の盛況


 中納言邸での八講会は、クライマックスともいうべき五巻の日を迎えます(大納言道頼が主催したこの法華八講は、四日間ではなく九日間続いたことが後段でわかります)。


 初日からセレブが大勢詰めかけていた八講会ですが、この日は満員札止めの盛況となります。車宿りはとっくに満車になっていて、ベンツもレクサスもBMWも大衆車も、築地塀の外に路上駐車されています。門前にはダフ屋まで現れる始末です。


「本日の受付は終了させていただきました。今からではお入りになれません」

 門の左右で舎人たちがメガホン片手に声をらしますが、わらわらと人が押し寄せます。


「あたし、プラチナチケット持ってるの! 入れてちょうだい」

 壺装束(外出着姿)の女性がチケットを振りかざします。

「申し訳ありません。チケットは明日も有効ですので」

「明日じゃ意味ないわよ。五巻の日のありがたいご講釈を聴聞しないことには。薪の行道※もあるんだし」


 そこへ、クロネコヤマトの配達員がやってきます。

「お届けもので~す」

 荷物を受け取った舎人に、舎人頭が尋ねます。

「どこからの届けものだ?」

「右大臣邸からのようです」

「右大臣邸から! ご捧物だ。すぐに大納言殿のところへ運べ」


「ちょっと~、お屋敷のなかへ入れてちょうだい!」

 壺装束の女性です。

「いや、もう満員なんですってば」

 そこへ、レクサスから降り立った公卿らしき貴人が近づいてきて、

「清少納言の君ではありませんか」

「まあ、中務卿なかつかさきょう!」

「ごいっしょしましょう。私なら顔パスがききますからね」

「ちょ、ちょっと、お待ちください。中務卿はなんとかご案内もうしあげますが、もうお一方は無理です。ほんと、満員なんですから」

「いやいや、こちらの淑女を門前払いしてはなりませんよ。清少納言の君は、あちこちの八講会を凸っておいででね。ブログでいろいろ発信なさっておいでだ。インフルエンサーだよ。門前払いしたと後でわかったら、大納言殿からお叱りを受けるよ」

「そう……なんですかぁ……?」

「そ。通してちょうだい。私の八凸ブログの読者登録、よろしくね」


 二人が中へ入っていったあとも、各所から捧物ほうもつ(仏への捧物ささげもの)が次々に届きます。舎人たちは、中身は何なんだろう、クール宅配便じゃなかったから冷凍ライチではなさそうだけど、などと考えていますが、黄金や白銀や瑠璃でこしらえた工芸品で、信じられないほど高価な物ばかりなのでした。


 皇太后(道頼の姉)からも、宮亮みやのすけ(高位皇族の家政担当の次官)が使者として遣わされてきます。皇太后からことづかった捧物を携えてきたのです。このお使者は丁重にもてなさなくてはなりません。


 道頼は越前守を呼びます。

左衛門佐さえもんのすけといっしょに、宮亮殿のお相手をしてほしい。ごしゅなどおすすめして。くれぐれも、失礼のないように」

「承知つかまつりました」

 左衛門佐(衛門府の次官)とは、越前守の弟、中納言の三郎君のことです。道頼の推挙を受けて大夫から昇進したのです。帯刀は左衛門尉でしたから、三等官で、左衛門佐の部下ということですね。


※薪の行道――「提婆品」中にある、仏が法華経を得るために「水を汲み、薪を拾い、じきを設け」仙人阿私に従ったという話に基づくとか。参会者が、作り物の薪を背負い、水桶を手にして、「法華経をわが得しことは薪こり菜摘み水汲み仕へてぞ得し」(行基作)と唱歌しながら、僧侶たちとともに仏の周りを時計回りに回ります。


※この物語での法華八講の描写は非常に詳細で、文化史的研究上の貴重な資料になっているようです。ストーリーと直接には関係しませんので、省略しました。中納言の三郎君が左衛門佐にまで出世したことだけ、ちょっと記憶しておいてください。右大臣は「足が痛む(脚気か?)ので参会できない」と連絡してきて、捧物を届けさせたのでした。道頼の父親にも老いが忍び寄っているという伏線ですが、この人物はまだ長生きします。老中納言はどうでしょう?



●未練は無い?


 大納言道頼は、九日間の荘厳な法華八講をやり遂げます。

 三の君は、中納言(かつての蔵人の少将)が今日こそは声をかけてきてくれるだろう、今日こそは、と期待して待っていたのですが、期待は虚しく裏切られてしまいました。落胆のあまり、魂が抜け出てしまったかのような三の君です。


 中納言は、もう帰るのでしょう、渡殿を渡っていってしまいます。――と、三の君から抜け出た魂が、中納言の頬っぺたをツンツンしたのでしょうか、中納言は足を止めます。そばに左衛門佐(三郎君)がいるのを見て、話しかけます。


「そこにいたんだ。八講会のあいだ、声をかけてもくれなかったね。そんなによそよそしくしなくても、いいじゃないか」

「中納言殿に、気安くお声をおかけするわけには、まいりません」


「昔のこと、忘れちゃったのかい? どうしていらっしゃるのかな?」

「誰のことをお話しですか?」

「誰って、決まってるじゃないか。三の君のこと」

「姉の顔は、私も最近見ておりませんので。元気にしていると思います」


「三の君に伝えてくれるかな。――昔と変わることのないあなたのお住まいを見て、あなたを恋しく思う私の心も変わっていないことに気づきました、とね」

「…………」

「でも、最後にたどりついた所が私のつい住処すみかなんだ」

 昔通っていた屋敷を見れば、ふと懐かしさを覚えるけど、私はもう大納言殿の妹御の夫だからね、と中納言は言いたいようです。


「あの――」

「すばらしい御八講だったね。今日はこれで失礼する」

 中納言は行ってしまいます。


 その背中を見送る左衛門佐は、小さくため息をつくのでした。

 伝言の返事は無用、ってか。三の君の返事を聞きたい、聞いてきてほしい、と言ってくれてもよかったのに。未練なんて、これっぽっちも無いんだ……。


 ふつうの文章にしましたが、昔と変わることのないあなたのお住まいを見て云々の部分は和歌です。和歌は贈答するもの、贈ると答えるでワンセットなので、礼儀として返歌を待つのが基本ではあるのですね。


 左衛門佐から中納言の伝言を受けた三の君は、やりきれない思いを味わいます。

 あんなに急いでお帰りにならなくても、いいのに。どうして伝言なんてお残しになったの? かえって辛いだけじゃないの、私は。

 この伝言にお返事すべきなのかしら?

 やめておこう。

 ばかみたいだもの……。

 

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