道頼、大納言に昇進する
●鬼ババ継母、裁縫男子の正体に気づく
老中納言は、孫の顔見たさもあるのでしょうか、時々どころか、もう頻繁に衛門督邸を訪ねるようになります。越前守と大夫(三郎君)もお供をします。
「母上がなさったことを思うと、衛門督殿のお屋敷にしれっと出入りするのは、恥ずかしいですね」
「まあな……。だが、今をときめく衛門督殿とご縁を結ぶことができたのだ。恥の気持ちは捨てて、精一杯お仕えしよう。それしかあるまい?」
「そうですね。お仕えしましょう、精一杯」
やがて、越前守は衛門督の家司の一人になり、大夫も衛門督に従者として仕えることになっていくのです。
ある日、衛門督の北の方(姫君)が、越前守に伝言を託します。
「私は幼いころに実母と死に別れましたので、中納言殿の北の方さまを実の母上と思っているのです。母上は、ここ何年かのあいだに起きたいざこざで、私を疎ましくお思いなのでしょうか。なんとかして親孝行をしてさしあげたいと望んでおりますのに……。北の方さま、そして女君たち(四人の異母姉妹)にも、お目にかかりとうございます。こちらへおいでくださいと、お伝えください」
越前守、伝言を母北の方に伝えます。
「と、このようにおっしゃっておいでです。衛門督殿の北の方は、私や大夫のことも、ものすごく気遣ってくださるんですよ。大夫は、北の方がご自分の子供のように思っておいでなのか、大層かわいがられていますよ。筝の琴のレッスンも再開してもらってます。今、『夜に駆ける』©を習ってるんですよ。超絶技巧を教わってます。母上、とにかく一度、三条殿に参上なさってください」
「ふーん。ずいぶんと驕ってるんだねぇ、あの子は。成り上がり者の余裕ってわけか。私も落ちぶれたものだ」
「また、そんな皮肉な見方をなさる……」
待てよ、と鬼ババ継母は考えます。
落窪が私を恨んでいるなら、私の子供たちも遠ざけようとするはず。ところが、そうではないらしい。ということは――私を恨んでいるのは、衛門督なのか?
衛門督……?
もしや……?
そうか、そうだったんだ!
あの夜、落窪の縫い物を手伝って布を引っ張っていたあの男は、衛門督だったんだ!
てことは、面白の駒の一件や清水寺や賀茂祭りでのいやがらせに、落窪は関わっていなかったと考えていいんだろうか?
関わっていないなら、ま、それだけは評価してやるとするか。
ふん……。ほんじゃまあ、これからは、時候の挨拶、明けおめことよろ、くらいは書き送ってやろうかしらね。
あたしって、なんて寛大な心の持ち主なんだろう!
というわけで、衛門督の北の方(姫君)と鬼ババ継母とのあいだで、文のやりとりが始まるのでした。片や優等生オリンピック代表、片やど根性鬼ババ。文のやりとりは、さながら、狐と狸の化かし合いのよう???
●法華八講がいいですわ!
※この段ですが、特に記述がないので、落窪姫と老中納言との再会(六月)の翌月(七月)のできごと、と解釈すべきでしょうか。いろいろな事が起きるので、ちょっと窮屈な時間経過ではあります。ものすごく慌ただしい夏(旧暦なので秋ですが)が始まります。衛門督道頼は北の方(姫君)を喜ばせたくて、そして、北の方は長年の望みだったので、二人で「とことん親孝行プロジェクト」を嬉々として遂行していきます。いいかげんにせぇよ、と言いたくなるくらいの孝行ぶりです。
老中納言が三条殿で孫と戯れて帰っていったある日の晩――。
「中納言殿は、かなりお年を召されたね」
夫の道頼があらためてそう言うのを聞いて、北の方(姫君)は、早くも涙ぐみそうになります。父上はあと何年お元気でいてくださるかしら?
「中納言殿のために何か盛大にしてさしあげたいね。七十の賀は、どうだろう? 管弦や舞で楽しんでいただける。法華八講※では、写経したり仏画を描いて供養するよね。生前四十九日というのも、あるな」
「生前四十九日は、死後に供養してくれる子供のいない人が、自分で執り行うものではありませんの?」
「そうともかぎらないけど、私たちが催すのは遠慮したほうがいいかもしれないね。あなたは何をしてさしあげたいの?」
「算賀の宴での舞楽は、悪くありませんけど、来世まで父上のお役に立つものではありませんでしょう。法華八講がいいですわ! やはり、すばらしいものですわ」
「じゃ、決まり。八月に催そう。 名のある阿闍梨(高僧)を、今日にも予約を入れて押さえよう。写経も依頼して、と。仏画は誰に描いてもらうのがいいかな? 白銀、黄金、絹、さまざま取り寄せなくちゃならないな。忙しくなるぞ。いちばん重要なのは仏画だな。コンテンポラリーアートの仏画っての、どうかな? やっぱり、オーソドックスなのがいいか。なんか楽しくなってきたぞ。何かを企画して実行するのが性に合ってるんだな、私は。イベント屋に転職しようかな」
※法華八講――八講会ともいいます。法華経八巻を八回(午前と午後×四日)に分けて講義・讃嘆する法会。読師が経題を唱え、講師が経文の解説をし、問者からの質問に答えます。元々は死者のための追善供養でしたが、平安中期の人々にとっては、「法華経について深く理解できて、来世の安寧のためのポイントも貯まる、ありがたくも有意義なイベント」でした。特に、第五巻の「提婆品」を講じる日が最大に盛り上がります。繰り返し襲ってくる疫病などで、明日の命の保証のない時間を生きていた平安人たちは、極楽浄土への往生を切に願っていたのですね。その切実さを思うと、法華八講に熱心になる平安人たちが愛おしく感じられ、八講会がどのようなイベントであったかも、少しは想像できそうです。
●道頼、大納言に昇進する
このころ、帝が重い病のために、東宮に譲位します。
帝として即位したのは、道頼の姉である女御が生んだ一の宮です。
御代替わりを機に、衛門督だった道頼は大納言へと昇進します。
道頼の妹(中の君)の夫で、かつて老中納言の三の君の夫だった宰相の中将(かつての蔵人の少将)は、中納言に取り立てられました。
新帝は道頼の甥です(ようやく元服を済ませたくらいの年齢と思われます)。大納言道頼に全幅の信頼を寄せているようです。
「大納言殿は帝の叔父御。その大納言殿の舅が私なのだ。名誉なことよ。嬉しや!」
年老いた中納言の目に、久々に、いきいきとした輝きが戻ります。




