鬼ババ継母、独り息巻く
●老中納言と越前守が帰宅して
帰宅した老中納言は、この日にあったこと、聞かされたことの全てを北の方に話します。
「落窪の君、いや、今はそんなふうにお呼びしてはならんな。衛門督殿の北の方は、そのご身分にふさわしい貫禄を備えておいでだった。実にお美しいお方であったぞ。お子が、これまた、なんともかわいらしい。かつてこの屋敷に仕えていた侍女たちの姿も見かけたが、みな楽しそうにしておった。幸せなのだろう。ところで――典薬助と衛門督殿の北の方を結婚させようとしたというのは、まことか? とんでもなく恥ずかしい思いをしたぞ!」
北の方は面白くなさそうな顔をしています。眉間に皺が寄っていますね。
「うんざりするようなお話ばかりですこと。殿も、あの子のことは、ご自分の娘ともお思いになっては、いらっしゃらなかったではありませんか。部屋に閉じ込めてしまえとおっしゃったのは、どなたですの。こんな子のことは知らぬ、どうとでもせよと、殿がお見放しになったんですわ。だから、典薬助だか何だかも、機をうかがって近づいたんでしょう。今、衛門督殿があの子を大切にするからといって、ご自分がなさったことを私がしたようにおっしゃるなんて、どういうことですの? 落窪だって、羽振りがいいのは今だけでしょうよ。浮き沈みが世の常。長続きするもんですか!」
そばには、まだ酔いが醒めきらない越前守もいます。脇息にもたれかかって、衛門督邸で経験した楽しいサプライズについて、饒舌に語ります。母北の方は、もう衛門督邸の話はたくさんだと言いたげですが、三の君と四の君は、几帳の陰で聞き耳を立てているのでした。
「女房四十人※に取り囲まれてしまいましてね。とことん、飲まされてしまいました。見知った女房たちがいましたよ。三の君に仕えていた、あれは誰だったかな? 四の君に仕えていた何とかいう女房も見かけました。何とかのおもと、それに、そうそう、下仕えのまろや、か。あの者もいたな。みんな美しく着飾って、いきいきと楽しそうにしていましたよ」
その夜、子の刻(午前零時前後)ごろになっても、三の君と四の君は寝る気にもなれず、あれこれと語りあうのでした。
「皮肉なものね、この世は。あの人が落窪の間に籠りきりでいたころ、私たちよりはるかにいい目を見て、私たちの侍女を奪って召し使うことになろうとは、思いもしなかったわ。それが、今はどう? 私は夫の心をつなぎとめることすら、できなかった……。父上と母上が手をかけて育ててくださったのは私たちのほうなのに。父上と母上のお気持ちを想像すると、自分が恥ずかしいわ。ご期待を裏切ってしまったんですもの。もう、尼になるほかないわ」
「尼になる……私も一度はそう決心したのに。身籠ってしまったんですもの。あの子が物心つくまでは見届けたい。そう思うと、出家の決心がゆらいでしまって……。潔い始末もつけられずに、昨日今日を暮らしている。そんな感じ」
「若いころは、不幸を背負いこむのはいつも他人、と思ってた……」
「誰に辛い運命が待ち受けているか、わからないのがこの世なのね……」
いまだ反発のエネルギーを枯らすことのない母親とちがって、娘二人は落ちこむばかりなのでした。
※女房四十人――二十人だったはずですが。単なる誤記、越前守がわざと大袈裟に言った、どちらにも解釈できます。
●衛門督邸からの手紙
翌日――。
衛門督邸からの使者が、老中納言宛ての文を携えて、やってきます。
「衛門督殿の使いの者ですが」
中門の外で使者が来意を告げると、数人の女房たちが駆けつけてきます。
「あたくしが――」
「いえ、あたくしが――」
「いえ、そのお文はあたくしが――」
「いいえ! あたくしが取り次ぎます!」
どの女房も、使いの者と顔なじみになって、あわよくば衛門督邸へ出仕の糸口を、と考えているようです。
老中納言が開封すると、三条殿の地券が同封されていて、次のようなことが書いてあるのでした。
『昨日は、積もる話をすべて申しあげることができませんでした。これからは時々お立ち寄りください。ところで、どうして地券をお忘れになられたのでしょう。早く三条殿へお移りくださいませ。そうしてくださらないと、やはりとんでもない奴と思われているのかと、私は大いに嘆かずにはいられないでしょう』
四の君のもとにも文が届きます。衛門督の北の方(姫君)からです。
『長年、とても気がかりに思っておりました。私はこうしておりますと、お知らせしたかったのですが、事情があって、ご無沙汰してしまいました。私のことなど、もうお忘れになってしまわれたでしょうか。そうだとしても、私はあなたを恋しく思っております。母上にも、ほかの方々にも、今はお目文字かなうと思うと嬉しくてなりませんと、お伝えくださいませ』
四の君宛ての文は、四人姉妹全員が居合わせたところに届いたので、かわるがわる手に取っては読むのでした。姉妹たちは興奮ぎみです。
「私にもお文を書いてくださればよろしかったのに」
「私もいただきたかったわ」
「私のことは、お忘れかしら?」
そのようすを見ていた下仕えの者たちは、目引き袖引きするのでした。
「あの姫君が落窪の間にいらしたときは、どなたも、お声をかけることさえなさらなかったのに」
●老中納言と四の君、返事を書く
老中納言の返事は――
『これからは毎日でもそちらへ伺うことができると思うと、嬉しさに、寿命も延びるようでございます。お贈りくださった地券ですが、ご辞退もうしあげましたのに、やはりこのように賜るとは、恐縮するほかございません。私を強欲とお思いになり、お怒りゆえに、どうしても取れ、とおっしゃるのでしょうか。すばらしい帯も、私のような老人が身に着けては闇夜の錦で、もったいないことになってしまいます。どちらもお返ししなくては、と思いますが、せっかくのご厚意を無にするわけにまいりません。しばらく、手元に置かせていただきます』
四の君は――
『長年、目印の杉※も無く、お訪ねすることができずにおりました。私のことを気遣っていただいて、本当に本当に嬉しく思っております。あなたのことを私が忘れた? そんなふうにお思いになっては、いやです。悲しくなってしまいます。あなたは私たちを見捨ててしまわれましたが、行方知れずのあなたを思って、私は途方に暮れていたのです。恋しさは、あなた以上のものでした』
※目印の杉――古今和歌集に収録された読み人しらずの歌によるものです。
わが庵は三輪の山もと恋しくは訪ひ来ませ杉立てる門
私の庵は三輪山の麓にあります。恋しければ訪ねてきてください。杉の木が立っている門を。
平安貴族でも、古今集を丸暗記している人は多くはなかったでしょう。でも、この和歌は超有名だったようです。記憶しやすく、度忘れもしにくい歌、という感じがしますね。




