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なんちゃって落窪物語  作者: fukuneko
巻二
41/105

好色爺さんの不運な夜

●開かない遣戸


 そろそろ亥の一刻(夜の九時)ごろでしょうか。

「皆が寝静まったら、あの部屋へ」

 継母は典薬助に、またも意味ありげな笑みを投げ、姫君がいる小部屋の鍵を渡します。


 夜更けて。

「ひょひょ♪」

 鍵を手に、典薬助がやってきました。

 じょうを外して遣戸を引き開けようとして――

「おや?」

 開きません。


 部屋のなかにいる姫君は、どうなることかと、胸つぶれる思いでいます。


「おかしいな……」

 遣戸がうんともすんとも動かないので、典薬助は板戸のあちこちを探ります。

 あそこがつかえているのか?

 いや、こちらか? 

 下のほうだろうか?

 典薬助は、立ったりしゃがんだりしながら、あっちを押したり、こっちを押したりしています。


 あこぎは、少し離れたところから気づかれないように、そのようすを見ています。


 典薬助は遣戸の上のほうも下のほうも手探りしていますが、あこぎが楔として敷居の溝に押しこんだ物を、見つけることができません。


「おかしい。内側から鎖がさしてあるのか……。姫君、この典薬助めをこうして困らせなさるのですね。大殿も北の方もあなたとの仲を認めてくださっているこの私から、逃れることなどおできになりませんのに」


 あこぎは笑いをこらえます。そんなふうに声をかけたって、応じる人はいませんよー、だ。



●悲劇は突然に


 典薬助は、さらに遣戸を叩いたり、引きあけようとしたりします。

 しつこく繰りかえします。

 今夜はスタミナドリンクと強壮剤のほかに、イモリの黒焼きまで食べてきたのです。準備万端整えてきたのです。簡単に諦めるわけにはいきません。

 

 典薬助、粘ります。

 姫君が根負けして遣戸を開けてくれるのでは? と期待しているのです。

 刻々と時が過ぎていきます。

 板敷きの床は冷え冷えとしています。

 なにしろ、十一月といっても、今の暦では師走のころです。

 悲劇の足音が近づいてきます。


 この日、典薬助はすでに腹具合がよくなかったのです。イモリの黒焼きのせいかもしれません。

 しかも、着ぶくれしているのはみっともない、若々しくない、と考えたのか、薄着でいるのです。


 姫君、冷たいのぉ……。

 床板、冷えるのぉ……。


 悲しき六十歳に、ついに悲劇が襲いかかります。

 お腹がごぼごぼ鳴りはじめたのです。

「よわったな……体がすっかり冷えてしもうたわい」

 なんて言っているうちにも、お腹の鳴りぐあいが尋常でなくなっていきます。


 ごぼごぼ、ぐるるる、びち、びちびちびち

  

 まさか……?

 典薬助は尻を手で触ってみます。

 漏れちまう、なんてことには――


 いえ、時すでに遅し、です。


(「あなさがな。冷えこそ過ぎにけれ」と言ふに、しひてこほめきて、ひちひちと聞こゆるは、いかになるにかあらむと疑はし。掻い探りて、出でやするとて――)


「あわわ!」

 典薬助は、片手で尻を押さえながらその場を去っていきますが、大慌てに慌てているというのに、遣戸にしっかり鍵をかけていくのでした。もちろん、鍵は持っていってしまいます。

 姫君は自分のもの、誰にも盗ませるものか、と考えたようです。


 あこぎは遣戸に近づいて姫君に声をかけます。

「もうだいじょうぶでございますよ。典薬助は行ってしまいました」

「よかった!」

「下痢腹だったみたいです」

「ええ??」

「漏らして袴も汚しちゃったので、いくらなんでも今夜はもう来ないと思います。おやすみくださいませ。私の部屋に帯刀が来ておりますので、少将の君へのお返事をお伝えもうしあげますね」


 帯刀はすでに来ているようです。この部分より前に、その記述は無いのですが。



●姫君救出のチャンスは?


 あこぎを待ちかねていた帯刀が、早口に問いかけます。

「あんまり長いこと戻ってこないから、どうしちゃったのかと思ったよ。姫君はまだ閉じ込められたままでおいでなの? 少将殿が『夜中に姫君をこっそり連れ出してさしあげられないだろうか、そこのところを、あこぎからよく聞いてこい』とおっしゃってね」


「姫君は今も臭い部屋に閉じ込められておいでだし、正直言って、状況は最悪よ。出入り口の鍵は北の方が握ってるんだもの。今夜、遂に起きちゃったのよ、おそろしいことが。その鍵を、北の方が老いぼれ爺さんに渡しちゃったの」

「爺さん? 誰だい?」

「典薬助。北の方の伯父よ。このお邸に住んでるの。北の方は典薬助と姫君を結婚させようとしてるのよ」

「何だって!?」


「最悪の事態だけはぎりぎり免れたわ。姫君と私とで、出入り口を内から外から工夫して固めたの。典薬助の奴、なんとかして遣戸を開けようとして、けっこう粘ってたけど。何が起きたと思う? 爺さんたら、体が冷えちゃったんでしょ、下痢腹になっちゃって袴汚しちゃって」

「およよ……ビチ〇ソを漏らしたってこと?」

 あこぎは顔をしかめて頷きます。


「あのいやらしい爺さん、慌てふためいて退散したわ。姫君は、典薬助との結婚話を聞いたときから、お胸を痛めて苦しんでおいでなの」

 またも、あこぎは涙声になってしまいます。


 帯刀は、状況の深刻さに愕然としつつも、好色な老人が下痢便で袴を汚した場面を想像すると、笑いをこらえることができません。

 

 帯刀は真顔に戻って、

「少将殿は『早く姫君を救出して、北の方へリベンジを果たすぞ』とおっしゃっているんだ」

 リベンジ。 

 あこぎにとっても胸熱(むねあつ)のワードです。


「明日、大殿や北の方やほかの姫君がたは、賀茂の臨時祭を見物に、お出かけになるはずなの」

 どう? と問いかけのまなざしで帯刀を見上げるあこぎです。

 帯刀の顔が輝きます。

「絶好のチャンスだ! こりゃ、夜明けが待ち遠しい」



●真夜中の洗濯爺さん


 真夜中です。

 北側の庭の隅っこにある洗い場です。

 典薬助、鼻水をすすっています。

 みっともない粗相は誰にも知られてはならじ、というわけで、自分で汚れた袴を洗っているのです。

 あまりの水の冷たさに、指は千切れんばかりです。


「情けないのぉ……寒いのぉ……早く火桶のそばへ戻りたいものじゃのぉ」

 姫君への懸想の気持ちは、一昨日おとといの方向へ飛び去っていきにけり、です。

 ごしごし洗っても黄ばみも臭いも取れません。

「くたびれたわい」

 典薬助、その場に、ばったり突っ伏します。

「もう動けん……」

 

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