信じられない光景
●任しとき!
帯刀は、大失態を悔やんで落ちこむうちに、体の変調さえきたしたようです。
この人のそばにいてあげたいな、とあこぎは思います。
姫君のおそばには、少納言の君がいてくれるはず。
じゃあ、半日ほど、いいかしら?
あこぎは帯刀と自室に籠っています。
姫君は、押しつけられた装束の仕立てが大幅に遅れているので、焦っています。
下襲は縫い終えましたが、袍(衣冠束帯姿のとき、いちばん上に着る礼服)が手つかずです。折り目つけから始めなければなりません。
裁断した布地には、先ず、縫っていく部分にあらかじめ筋をつけておく必要あります。
二人で協力しあったほうが、速く楽に進められる作業です。一人が布をぴんと引っ張って、もう一人が、縫い代幅を取って、折り目をつけていくのです。
今ならアイロンを使って容易にできますけれどね。
「困ったわ。あこぎを呼んでこないと。布を引っ張ってもらわないと」
すると、道頼がぱっと顔を輝かせ、
「それ、私がやる。任しとき!」
「とんでもないことですわ。殿方にお願いするなんて、できません」
道頼は、誰かにいきなり覗かれないように、几帳を襖障子の前に(あるいは遣戸の前に)据えます。ごろんちゃらんしていたのですが、ちゃんと起きて、背筋を伸ばします。
「いいから、いいから。私に任せて。何をやらせても手際がいいんだからね、私は」
というわけで、道頼と姫君は向かい合って座り、仲良く作業を始めるのでした。
こんなの朝飯前、ちょろいわ、と涼しい顔で手伝いはじめた道頼ですが、いつのまにか肩に力が入ります。
こう引っ張ったらいいかな? きつく引っ張り過ぎかな?
布を引っ張るだけなのに、えらく気を遣っています。
姫君は笑いながら、布に折り目をつけていきます。
「四の君とのご結婚話、本当でしたのね。四の君にお通いになるお許しを得ていたのに、素知らぬお顔をなさっておいででしたのね」
「あほくさ。弁の少将があなたを迎えとってしまうようなことが起きたら、私もあなたに遠慮せず、こちらへ婿入りするけどね」
●継母、信じられない光景を目にする
真夜中。
継子の監視をせずにはいられない継母が、またも、窪の間へやってきます。こういうときは、狐のように音も無く歩く継母です。
落窪のやつ、縫い物を放って寝てるんじゃないだろうね?
継母は垣間見の穴※から覗きます。
※垣間見の穴は、この段で初めて出てきます。襖障子か遣戸か、どちらかに覗き穴が設けてあるようです。怖いですね~。
おや? 少納言はどうしたんだろう? いないじゃないか。
それにしても、この手前に据えてある几帳がじゃまだね……いまいましい。
継母は監視の達人ですから、「家政婦は見た」の立ち位置にこだわらず、顔を覗き穴にぐっと寄せたりして、斜め方向からも覗きます。
姫君がこちらに背を向けて、布地に折り目をつけているのが見えます。
そして――
こ、これはどういうこと!?
姫君と向かい合って、布を引っ張っている男がいるではありませんか!
男は、目にも鮮やかな色合いの衣を重ね着していて、一枚の衣を腰回りに巻きつけています。脱いだセーターやカーディガンなどを腰巻きスタイルにする感じでしょうか。
道頼は、姫君と何度もいちゃいちゃするうちに、毎回きちんと着直すのも面倒になって、重ね着していた衣を何枚か脱いだままにしているのでしょう(おそらく)。
継母は、アホみたいに口をぽかんと開けたまま、ぼーっとしてしまいます。いきなり、顔面パンチを喰らった気分です。
灯台の明りに照らされた男の顔は、息をのむほどに、超美形なのです。
継母は、ふと、お気に入りの婿さんである蔵人の少将の姿を思い浮かべます。
蔵人の少将、負けてる……。
鼻差、首差なんていう僅差じゃなくて、ぶっちぎりの負け。
お気に入りが否定されてしまうと、なぜか自分が否定されたように感じ、動揺してしまう継母なのでした。
●継母、地団駄を踏む
継母は思います。
まあ、感づいてはいたよ。落窪のやつが男を通わせているような気配には。
でも、相手は大した男じゃないんだろうと想像していた。
ところが、なんとしたことだろう!
今、落窪の間にいるのは、どう見てもただ者じゃない。
しかも、あんなふうに落窪に寄り添って、それは女のやることと笑われるのも厭わずに、折り目つけの仕事を手伝うなんて。落窪への愛情は並みのものじゃない、ってことだ。
落窪が男に愛される?
冗談じゃない!
あれが幸せをつかんだら、こっちの思い通りにできなくなるじゃないか!
あれこれ考えるうちに、継母は、縫い物のことなど忘れ、忌々しさの沼へどっぷりはまりこんでしまうのでした。その場から、動けません。
室内から二人のやりとりが聞こえてきます。
道頼は姫君に話しかけます。
「慣れないことをして、さすがにちょっと疲れてきた。もうギブアップ。あなたも、縫い物はおしまいにしてやすんだほうがいい。北の方に、いつものように腹を立てさせたらいいよ」
「北の方さまがご立腹なさるのを見るのは、いやです。辛い……」
姫君は縫い物を続けようとします。
すると、灯火が消えてしまいます。
道頼が扇であおいで、消してしまったのです。
「無茶をなさいますね。縫い物をちゃんと片づけてもおりませんのに」
「そんなもの、その辺に引っかけておけばいいさ」
道頼は姫君が縫っていた袍をくるくると丸め、几帳にかけてしまいます。
「さあ、おいで――」
やさしくささやいて姫君を抱き寄せ、ハグ&キス&ほにゃららを始める道頼なのでした。
二人の会話を漏れ聞いてしまった継母は、忌々しさの沼の泥にまみれます。
いつものように腹を立てさせたらいい?
いつものように、という部分に継母はカチンときています。
やたらに腹を立てるくせに、わかっているのです。腹を立てる人間は醜い、と。
自分=醜い。
やだわ! 受け入れられない!
あの男は以前から、あたしが腹を立てると噂に聞いていたのだろうか?
それとも、落窪があの男に話したのか?
きっと落窪のやつだわ。そうに決まってる!
継母のこめかみに、ブチ切れマークが刻まれます。




