帯刀の大失態
●帯刀、姫君の文を紛失する
五日目の夜、少将道頼は姫君のもとへ通うことができませんでした。参内しなければならなかったのです。
翌朝、道頼は文をしたため、帯刀に託します。
『昨夜は参内したので、そちらへ伺うことができませんでした。また、あこぎが惟成を責めたことでしょう。あこぎの気の強さは、誰の影響なのでしょうね? 姫君でしょうか? 恐ろしや~。
今はあなたのことが恋しくて恋しくてなりません。
あなたはひどく窮屈な暮らしをしておいでですね。そんな暮らし、もうやめましょう。気兼ねのいらない生活の場を、私が捜してあげます。LOVE』
帯刀は、姫君の返しのお文をいただいて、道頼のもとへ戻るつもりでいます。
姫君は文をしたためます。
『昨夜は、あなたが私に早くも飽きてしまわれたのだと思って、涙で袖を濡らしておりました。
この邸を出ていくのは、難しいように思われます……。
私のことが、恐ろしや~、ですか?
あこぎが申しております。やましいことがあるから、恐ろしいとお思いなのだと。うふふ。LOVE』
帯刀が、姫君の文を手に中納言邸を出ようとすると、蔵人の少将から呼び出しがかかります。
帯刀はそもそも蔵人の少将の従者です。そして、蔵人の少将は三の君の婿で、中納言邸に通ってきているのでした。
「蔵人の少将の君が、何かご用がおありのようです。すぐにおいでになってください」
使いの者が帯刀を急き立てます。
帯刀は、姫君の文を、とりあえずあこぎの部屋に置いていくこともできたはずです。けれど、このときはそのひまもなく、咄嗟に懐にしまうほかありませんでした。
蔵人の少将の用事は、参内前の理髪でした。
「うなじのあたり、アホ毛がはねっかえったりしないように、ね」
「かしこまりました」
というわけで、蔵人の少将が前屈みになり、帯刀も前屈みになって、せっせせっせとスタイリングしているとき――
姫君の文を落っことしてしまったのです!
しかも、帯刀は気づかずにいたのです。
帯刀惟成、一生の不覚!
落とし物を、落とし主が気づかないうちに、蔵人の少将がさっと拾ってしまいます。
「うん、いい感じに仕上がった。ご苦労」
ポーカーフェイスでそう言って、そのまま奥の部屋へ入ってしまいます。
蔵人の少将は、当然のように、拾いものの文を読みます。
だって、当然なんだもん♪ 平安人の密かな愉しみさ。
うわぁ、この手紙、やばさと甘さが半端なくなくない?
これを帯刀が受け取った、ってか?
すみにおけないねぇ、あいつも。
てなことを思いつつ、拾得物を妻である三の君に見せちゃいます。
「この女文字、実に麗しいね」
審美眼の男、蔵人の少将は賞賛します。
「あら……これは落窪の君の筆跡だわ」
「おちくぼのきみ? 妙ちきりんな呼び名だね。そんな女性がいるの?」
「ええ。裁縫が得意な人よ」
北の方にでも仕える女房なのだろう、と蔵人の少将は想像したのかもしれません。
夫婦の会話はそれきりになりました。
じゃが、しかし。
三の君の好奇心は、それきり、にはなりません。
「この手紙、怪しすぎるわ」
一方、帯刀は――
理髪の道具類を片づけて、あこぎの部屋へ戻ろうとして、ふと懐を探ると、
無い!
姫君のお文が、無い!
慌てて、立ったり座ったり、衣を振ってみたりします。衣の紐を解いて確かめます。蔵人の少将がさっきまで使っていた敷物をひっくり返してもみます。
姫君の文は見つかりません。
帯刀が茫然としていると、蔵人の少将が奥の部屋から出てきて、
「惟成、どうした? そんなにしょんぼりとして。何か、なくしでもしたのか?」
口もとに薄い笑みを浮かべているではありませんか。
これが京都名物、いけず、でありましょうか?
帯刀にもピンときました。
あの大事な預かりものは、蔵人の少将の手に落ちてしまったのだ!
帯刀は、生きた心地もなく、懇願します。
「あの文をどうかお返しください」
蔵人の少将はそらとぼけます。
「何のことかな? ところで、浮気はよくないとか、三の君が言うんだけど、誰の心配をしているんだろうねぇ」
しれーっと言いつつ、出かけてしまいます。
どうやら蔵人の少将は、帯刀があこぎを裏切って、落窪の君と呼ばれる女性と浮気をしている、と想像しているようでした。
●帯刀とあこぎ、途方に暮れる
帯刀は、あこぎになじられると承知しつつも、相談できる相手はあこぎしかいないし、あこぎに知らせないわけにもいかないし、というわけで、事の顛末を話します。
あこぎも真っ青になります。
「どんな騒動になるかしら。ぞっとするわ。すでに、北の方は姫君のようすを怪しんでいるし」
●姫君の文、鬼ババ継母の手に落ちる
姫君の文は、三の君から北の方へと渡ってしまいます。
「帯刀が落としたものを、蔵人の少将の君が拾われたのです」
「怪しいとにらんでいたけど、やはり、そういうことだったんだね。相手は誰なんだろう? 帯刀が持っていたからには、帯刀なんだろうか?」
「お、お母さま……目つきがコワイ……」
「この邸を出るのは難しいと書いてある。相手は、落窪を家に迎えるつもりでいるんだ。チキショー! そんなこと、許すものか!」
「お、お母さま……お口に牙みたいなものが生えて……」
「落窪がいなくなったら、誰に裁縫をさせる? 召使いとして奉仕させることもできなくなる!」
「お、お母さま……おつむに角のようなものが生えて……」
「今、騒ぎたてると、相手の男が急いで落窪を隠してしまうだろうね。当分、こちらは素知らぬふりをしておこう。ふっふっふっ」
あこぎと帯刀は、姫君の文の一件が表沙汰にならないので、逆に不安を募らせます。
あこぎは姫君に、事の子細を包み隠さず話します。
「帯刀の大失態にございます。面目もございませんが、お願いがございます。少将の君さまへの返しのお文、今一度、お書きくださいませ」
姫君は、あの文を北の方にも読まれたのだと思うと、過呼吸症候群の一歩手前に突入しそうで、もう一度文を書く勇気が湧いてこないのでした。
「書けそうにないわ、今は……」
帯刀は呆然自失の状態で、道頼の前へ出ることさえできません。
しょんぼりと落ち込んで、ひきこもっています。
…………。




