第72話 それぞれの恋愛事情①
帰宅する馬車に乗り、御者にパステルダールの屋敷に向かってくれるようお願いした。今日はちょっと王宮へ帰る気分になれない。
パステルダール邸に到着し自分の部屋に入ってすぐ、侍女のハンナに、呼ぶまで決して部屋に入らないようお願いした。顔色が悪い、と心配されたが、「大丈夫だから」と伝え、やや強引に部屋から追い出した。
ひとりになって静寂が訪れると、涙が込み上げてきた。
ベッドによじ登り、私は声を上げて泣いた。
「馬鹿にするな! 馬鹿にするな!! うわぁぁぁぁぁん!!!」
まるで癇癪を起こした子供だ。
「うわぁぁぁん! うわぁぁぁん!!」
本当はよくわかっている。
アルに相応しいのは誰なのかなんて。
『アイロン』外伝のシーンが頭を過ぎる。
……穏やかに愛を育むふたりの様子……それは美男美女のお似合いの夫婦で……
レイシア姫……美しく繊細で儚げで、でも芯は強い。あんなに綺麗な方、惹かれないはずがないわ……
胸が張り裂けそうだ。涙が滝のように流れ落ちて嗚咽が漏れる。
「なんで……なんでよ……わたしの方がアルを好きなのに!!」
泣くという行為はデトックス効果がある聞いたことがある。泣いて泣いて泣き疲れるまで泣いて、心の整理を付けたかった。
どのくらい時間が過ぎただろう。
まだグスグスと枕に顔を押し付けて泣いていると、ドアがノックされハンナが入ってきた。
「ヴィアンカ様、ご加減いかがですか?」
「大丈夫だから……心配かけてごめんね」
「ですが……」
「少しひとりにしてもらえる?」
しかし、何故かハンナは出ていかない。
そして少し躊躇した声で告げてきた。
「王太子殿下がお見えになっておりますが……」
「ごめんなさい。体調が優れないの。帰って頂いて」
今はアルに会えないよ……
そう思ったのにアルは既にドアの前まで来ていて、「ヴィー」と呼びかけられてしまった。
咄嗟にシーツを頭から被り視線を遮断する。
「な、なにしに来たの?」
「君を迎えに」
遠慮なく部屋に入って来たアルは、人払いをするとベッドに腰掛けた。ベッドがギシッと軋む。
「随分と声が掠れてるな」
シーツに包まったままの私の頭を優しく撫でてくるアルの温かな手。心がじんわりと熱くなる。
その温もりに導かれるように、アルの背後に移動し、私は背中にそっと手のひらを添えた。
「お願いこっち見ないで。今、私ひどい顔してるから」
「そんなこと気にしない」
「私は気にする」
そのまま、コツンと額をアルの大きな背中に押し付ける。
「心配かけてごめんなさい。何も言わずに屋敷に戻って来てしまってごめんなさい」
「……うん」
「迎えに来てくれてありがとう。嬉しかった」
「そんなの当たり前だろ」
「そうね。それを当たり前だと言ってくれるのが何より嬉しい」
まだアルの傍に居てもいいんだって思えるから。
「ヴィー。やっぱり顔を見て話そう」
「ダ、ダダダメだって! ホントにひどい顔だから!」
「おいで」
「あっ」
強引に腕を引かれて、私はアルの膝の上に転げ落ちた。咄嗟に顔を隠そうとしたのにあっさりと阻まれる。むぅ。
アルは苦虫を噛み潰したような表情をしている。
「こんなに目を腫らして……どれだけ泣いたんだか」
「う……だから言ったのに……」
ぱんぱんに泣き腫らした顔は、百年の恋も覚めるくらい醜いに違いない。うぅ……消えてなくなりたい……
「泣きたいなら泣けばいい。だけどひとりでは泣くな。泣くのは俺の腕の中だけにしてくれないか。でないと君の涙を拭ってあげられない……」
私の涙腺、壊れているみたい。アルの優しい言葉にまた涙が溢れてきてしまって。
「う……ううぅ……」
そのまま、アルにしがみついてしばらく泣いた。
「落ち着いた?」
「……うん」
アルはずっと頭を撫でながら抱きしめてくれていた。少しずつ落ち着きを取り戻した私に、アルが言った。
「グランバードの小倅に何を言われた? 大体想像は付くが」
「…………別に」
「ヴィー。ちゃんと答えて」
「……アルの想像と多分同じだよ。アルと別れる気はないかって。ただの侯爵令嬢と大国の王女ならどちらが有益か考えるまでもないだろうって。私、悔しかった。実際その通りだもの……」
はぁぁと深く溜息を吐くアル。
「……ごめん」
「どうして謝るの? 別れるの?」
「怒るぞ」
「だって」
アルは眉間に皺を寄せ項垂れてしまった。
「君に、ほんの僅かでもそんな風に思わせてしまったなんて、自分が情け無いよ。俺は君を泣かせてばかりだ。こんなんじゃ君の恋人失格だな……」
悲しげなアルの表情。
こんな顔させたかった訳じゃないのに。
「君を愛していると数え切れないほど言葉を紡いでも、態度で示しても、幾度となく身体を重ねても、君は俺の本気を受け取ろうとしない。俺はそれがもどかしくて堪らない」
「そんなこと、ないわよ……」
「それじゃ何故、リオルなんかの言葉にいちいち傷付くんだ? 君はもっと堂々としてていいんだ。君は俺の唯一無二の婚約者なんだから。何度でも言うよ。俺はヴィーを心から愛している」
「政略結婚に色恋は関係ないって……それに、アルは優しくて誠実な人だから、たとえ政略結婚だとしても相手を大事にするに決まってる。それが私でなくても……」
「あまり俺を神聖視するな。俺はそんな博愛主義じゃない。優しくしたいのも誠実でありたいのも、それは相手が君だからだ。いつも君に見捨てられないよう必死に足掻いている」
「見捨てるだなんて……」
「本当だよ。俺は君が思っている以上に俗物だ。君に愛されたいと希う、平凡でつまらない男でしかない」
私を抱きしめるアルの腕に力がこもる。
「この件に関しては早急に対処する。憂いは全て取り去るから、俺を信じて待っていてくれないか」
顔を上げると、真剣な表情のアル。その強い眼差しに心が跳ねる。
アルは嘘をつかない。少なくとも私に対しては真摯に向き合ってくれる人。それはよくわかってるから……
「……信じる」
アルの瞳を見つめ返しながら答えると、ふっと表情を和らげた。
アルの手のひらが私の頬を包む。そっと瞳を閉じると、アルの唇が降ってくる。しばらく啄むようなキスを繰り返していると、いつの間にかベッドに押し倒されていて。次第に深くなる口づけに思わず「ん……」と吐息が漏れる。
「君は俺だけの、大事な宝物だよ……」
そっと囁くアルの声を耳元で聞きながら、そのまま私は彼に身を委ねた。
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