第70話 乙女ゲームを考える。
慌てて洗面所に駆け込み、ゲホゲホと嘔吐いていると、アルが心配そうに背中を摩ってくれる。
「大丈夫?」
「うん……」
胸の不快感はまだ消えない。
鏡に映る自分の顔は驚くほど真っ青だった。
「今日はもう休んだ方がいい。部屋まで送るから」
そうして、アルに半ば抱えられるようにしながら執務室を後にした。
◇
自分の部屋ではなく、いつものアルの部屋に連れて来られ、私は寝台に身体を横たえた。身体がひどく重く感じる。
差し出された水を口に含み、空になったグラスをアルに手渡す。
「少し震えてる。寒い?」
そう言って強く抱きしめられる。
私はわずかに首を左右に振った。
「心配かけてごめんね」
アルの背中に腕を回して答えた。
アルのミントみたいな爽やかな香りが気持ちを落ち着かせる。
「もう大丈夫だから、仕事に戻って?」
顔を上げると、心配そうにした表情のアルが。それから額に口づけが落とされる。
優しい優しいアル。大好き……
「本当に大丈夫?」
「うん」
「ゆっくり休んで。ぐっすり寝てしまいなさい」
「……わかった。ありがとう」
「おやすみ」
「おやすみなさい」
傍らでアルが優しく頭を撫でてくれて、その温かなぬくもりを感じつつ、私はそのまま瞼を閉じた。
アルが居なくなって、部屋に静寂が訪れる。
私の頭の中は、あるひとつのことでいっぱいだった。そう。この世界のことを、ずっと考えていた……
乙女ゲーム『この愛を君に捧げる輪舞曲』
通称『アイロン』
ヒロインは商人の娘、ミコリリィ=ロンド。
ヒロインが事件に巻き込まれたり困難に立ち向かい奮闘し、恋愛模様を交えながら成長していく、割と地味な物語。
そんなヒロインに惹かれる攻略対象は、ライバルの商会の息子だったり、義理の兄だったり、街で出会った騎士だったり。
そして外国の王子様枠がジークフリートだ。
逆ハーレム展開はない。
ジークフリートルートでの悪役令嬢が私だ。
ジークフリートの婚約者であるヴィアンカ=パステルダールは、突然突きつけられた婚約破棄に激怒しヒロインを害そうと襲いかかる悪の女。
王太子であるジークフリートが自国に戻り、婚約破棄後、何故平民であるミコリリィとすぐに結婚できたのか。それはミコリリィの隠された出自、実はミルーシュ公国の王族だったという、プレイヤーも驚きの展開が待っていたから。
この、ミコリリィがミルーシュ大公の隠し子だったと明かされるのはジークフリートルートのみなのだ。
この世界はジークフリートルートで進んでいるみたい。
でも物語は全く変わっているはずよね。
ジークフリートは最早王太子ではないし、今更ユーイン王国に戻ることもできない存在だ。
ミコリリィとの恋は順調なのかは定かではないが、少なくともミルーシュ公国内での話なので、私には関係ない。
悪役令嬢の私も、ジークフリートの婚約者ではないわけだし。殺される心配もない、と思う。
みんなみんな、アルが変えてくれた。
私を救ってくれた。
……あ、そうだ。
待って。
戦争……
そうだ、戦争の描写もあったじゃないか。
それは本編終了から数年後の話。
『外伝』で語られる物語。
そこはジークフリートが王位を継いでユーイン国王となった世界。
主人公はシールニア王国の第二王女レイシア姫。
レイシアが王弟アルベルトの元に嫁いでくるところから物語は始まる。それは政略結婚ではあったが、慣れない異国での生活に戸惑いながらも、優しく誠実なアルベルトと少しずつ距離を縮めゆっくりと愛を育んでいく。
しかしその穏やかな日々も突如終わりを告げる。
ある日、王妃ミコリリィは夫のジークフリートにそっと囁くのだ。『わたし、シールニアが欲しいわ』と。
愛する王妃の願いを叶えるべく、ジークフリートはシールニア王国との同盟を破棄し、戦線布告をするのだ。
ミルーシュ公国と共闘し、シールニア王国に攻め込むユーイン王国軍。
王弟であるアルベルトは王命により戦地に赴いて行ってしまう。
一転して、敵国の人質のような扱いを受けるレイシア。
勝利したのはユーイン王国。
祖国を滅ぼされ、両親や兄弟たちを亡き者にされ、絶望の淵に立たされたレイシアは、ユーイン王国を恨み、夫を恨む。憎しみに心が支配される。
そうして。
戦地から帰還したアルベルトに待っていたのはレイシアの光のない澱んだ瞳と、自身に向けられた冷たい刃だった………………
カーーーーーーット!!!
ヲイヲイヲイ。
待て待て待て。
なんだそれは。
く r r r r r r r r r r r r r っ ら !
ダ r r r r r r r r r r r r rッ ル !!
この『外伝』考えた制作者出て来い。小一時間説教してやる。
本編では明るく前向きで好感度の高いミコリリィが、外伝では一転して悪役に描かれている、その対比が面白いなって当時は思ってプレイしてたけど……
よく考えたら、これってミルーシュ公国が絡んでいるんじゃない? 諸悪の根源はミルーシュで、ミコリリィはただの傀儡だったに過ぎない……? 考えすぎかしら。
現実では、ユーインがシールニア王国と同盟を破棄することなどあり得ない。
『アイロン』のジークフリートが愚王だっただけ。でも今は違う。アルもそうはならない。
それにアルの今の婚約者は わ・た・し なんだからね! レイシア姫との結婚なんて絶対に許しません! 認めません! アル自身もそんな話、決して受け入れることはないだろう。それくらい愛されている自信はある。何があっても私を手放すことはない。
大丈夫……だよね?
私はアルを信じてる。
アルを愛してる。
アルの為なら何でも出来る。
アルのことは何があっても私が守るから。
だから。
戦争なんて絶対に嫌だよ……
はぁと溜息が漏れる。
疲れた……
私はそこで思考を閉じることにした。
もう寝よう。明日は元気な姿を見せなくちゃ。
そういえば浮気(未遂)のこと、問い詰めるの忘れたな……と、ふと思い出しつつ。
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