第55話 私たちの日常②
一年一組の教室の前まで来たらようやく手を離す。
「じゃあ、またお昼に迎えに来るから」
「はい」
アルの後ろ姿を見送って、私は教室に入った。
「毎日毎日お熱いですこと」
聞こえてくる、グレイシアさんのいつもの嫌味。
「ふふ、ありがとう。グレイシアさん、おはようございます」
グレイシアさんは顔を引き攣らせながら、
「なによ、褒めてる訳じゃないわよ」
と、ブツブツ言いながら去っていく。
ここまでは、もはや恒例だ。慣れてくると、これはこれで面白い。
挨拶を交わしながら席に着くと、ココルさんとレイナさんがやってくる。
「おはよう、ヴィアンカさん」
「語学の課題、やってきた?」
ホームルームが始まるまで、私たちはおしゃべりに興じるのだった。
お昼になって、アルが迎えに来た。
私たちはいつものように中庭のベンチに向かい、お弁当を広げた。
『サロン事件』以降、アルはサロンでお昼を取らなくなってしまった。アルは結構執念深い。
一度リオル様に、
「サロンに戻ってくるよう、君からも頼んでくれよぉ」
と泣きつかれたことがあったので、アルにそれとなくお願いしてみたが、決して首を縦には振ろうとしなかった。
王宮の料理人さんに頼んで作ってもらうお弁当は見た目も鮮やかで最高に食欲を唆る。高級食材がふんだんに使われていて、見てよ、お肉なんてこんなに霜降りが! 霜降りのローストビーフを口に含むと、旨味の充満した肉汁が口いっぱいに広がって、ん〜とろける〜。
頬っぺたを押さえながら味わっていると、
「ヴィーは本当に美味しそうに食べるよね」
と、アルがニコニコしながら言ってきた。
「もう最高! 感動ものだよ! アルも早く食べてみなって」
しかし、アルは自分のローストビーフをフォークに挿すと、アーンと言って差し出してきた。私はそれを条件反射で咥えた。
「ん〜! 美味しい〜!!」
私が身悶えするのを嬉しそうに見ている。
アルも自分で食べればいいのにね。食べ飽きちゃってるのかしら。なんて贅沢な。
「お礼に、イイ子のアルにはコレをあげましょうね」
コロンとブロッコリーをアルのお弁当箱に放り込んだ。思わずへへっと笑うと、アルはわずかに目を見開いて、私とブロッコリーを交互に見比べた後、何故か優しい優しいだけど少しだけ泣きそうな笑顔を向けてきた。そしてそのままパクリとひと口で頬張った。
あれ? アルってそんなにブロッコリー好きだったっんだっけ? 私は大の苦手だけど。
「たまにはヴィーが作ってよ」
ふと、アルが言った。
「いいけど……王宮の料理人と比べられるのはちょっと恥ずかしいなぁ」
「俺はヴィーの作ったものが一番美味しい。子供の頃からそうだったよ」
ほほう。嬉しいこと言ってくれるじゃないの。そんなこと言われたら、ヴィアンカさん張り切っちゃうぞ。
「うん、わかった。明日作ってくるね。私もそろそろ家に帰らなきゃって思ってたところなんだ」
そう言って、最後の玉子焼きを口に放り込んだ。優しい甘さが口に広がって、最高に美味しい。
ここ最近ずっとアルの部屋に泊まりっぱなしだったから、ちょうどいい機会なのかもしれない。そろそろお父様とお兄様の堪忍袋の尾が切れそうだ。
しかし予想に反してアルが、
「それはダメだ」
と言ってきた。ちょっと怖い顔してる。
「俺をひとりぼっちにするのか? ひとり寂しく孤独と戦って世を儚んで絶望しながら過ごさなくちゃいけないのか? ヴィーのいない、ガランとした寒々しい部屋に戻って、ヴィーの温もりを探して彷徨い歩いて、でも見つからなくて、悲観して涙に暮れながら俺は何をすればいいんだ? 辞世の句でも詠めばいいのか?」
「アルって時々ものすごく面白いよね……」
食べ終わったお弁当箱を包みながら、
「アルが言ったんじゃない。家に帰らなくちゃお弁当作れないよ?」
と、窘めた。
「王宮の厨房使えばいいだろ」
「それはちょっと気が引けるって言うか……」
「なんでだよ。しょっちゅう厨房に出入りしてつまみ食いしてるの、知ってるんだぞ」
「ギク! な、な、なんでそれを……」
ヤバい。このままだと、アルに言い負かされて、また流されてしまう!
「もー! たまには帰らせてよ。もうひと月にもなるんだよ。またお父様を怒らせたいの? そんなに寂しいならママンのおっぱいでも吸ってなさい」
「げぇ! おぞましいこと言うなよ。俺はヴィーのおっぱいしか吸いたくない」
「あ・の・ねー」
「な・ん・だ・よ」
ぐぬぬぬぬと睨み合う。アルの端正な顔が鼻先まで迫ってくる。くっ! 無駄に顔がいい奴め!
いつもはここで絆されて降参してしまうところだが、今日の私はひと味違う。負けないぞ絶対負けない。今日こそは絶対帰らせてもらうんだから! 目に力を入れてキッと睨みつける。
その時、あろうことかアルが脇腹をくすぐってきた。私は耐えられず、グハッと吹き出し身を捩ってしまった。ち、ちくしょう……
「お、お腹を狙うとは、な、なんて卑怯なの……」
身体をくの字に折り曲げ、アルに咎めるような視線を投げた。
「だってさ、そんな可愛らしい顔で情熱的に見つめてくるもんだから照れちゃって」
と言って笑っている。
全然照れてる気配なんてなさそうなんだけどなんなのさ。て言うか、見つめてないし。睨んでたんだし。般若の形相だし。
しばらくクスクスと笑った後、アルが優しく頭を撫でてきた。
「一晩だけだよ」
「……いいの?」
「そんなに可愛くおねだりされたら、聞かない訳にはいかないだろう。この小悪魔め」
ピンッと鼻先を軽く弾かれた。
でもさ、おかしな話だよね。自分の家に帰るのに、何でわざわざアルの許可を取らなくちゃならないの? 結婚してる訳でもないのに。
「私だって、全然寂しくない訳じゃないんだよ? アルと一緒にいるのが当たり前になってるもん。アルの隣が一番安心できるし落ち着く。でもたまにはみんなに顔を見せないと。アルありがとう。大好きだよ」
「……うん」
アルが私の肩口に額を押し付けて甘えくる。私はそんなアルが愛しくて、背中を優しく摩ってあげた。
「明日の朝は君の家まで迎えに行くから」
「わかった」
寂しそうなアルの声が、心を刺した。
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