第26話 狂気①
ここ3日ばかり、正妃教育を体調不良で休んでいる。本当は体調なんて悪くない。食欲もあるし、身体は元気だ。ただ、心が追いつかない。アルに会いたくない。いや、違う。会いたい。でもアルに対して立つ瀬がない。
王宮に行くとアルに会ってしまうから。彼の顔を見たら、全てをぶち撒けてしまいそうで、それが怖い。こんな気持ちのまま、会えないよ。
ウジウジとベッドに寝転んで芋虫みたいに丸まって過ごしている。
一度、お兄様が様子を見に来た。
「大丈夫か? 主治医、呼ぶか?」
「いえ、大丈夫です」
お兄様は多分、私の仮病に気がついている。ベッドの端に腰掛け、シーツに包まったままの私の頭を優しく撫でてくる。
「……お前は一体何を悩んでいるんだ?」
その声色もとても優しくて、私は涙が出そうになる。
「お兄様……」
「ん?」
「今から言う事、話半分に聞いてくれますか? 決して本気にしないで」
「なんだい」
私は大きく息を吸い、思い切って口を開いた。
「もし……もし、私が婚約破棄したいって言ったら、うちはどうなりますか?」
「…………お前……」
お兄様は息を呑んでいた。無理もない。
「…………」
「…………」
「……そうだなぁ。まず多額の慰謝料を請求されるだろうな。うちでは払い切れない額なのは想像に難くない。相手は王家だからな。爵位を返上しろとまでは言われないとは思うが、少なくとも俺や親父は王宮に出入り出来なくなるだろう。……まあ、全てはあいつの胸三寸にかかってくるんだが」
「……そう、ですか」
「お前もタダでは済まないぞ。今後まともな縁談などないと思え」
「……はい」
「…………」
「…………」
沈黙が続く。
「何があったんだ?」
「何も」
「何もって、お前……あいつに何かされたのか? この前まで順調にいっているもんだと思っていたんだが」
「順調です。何も問題ありません。ご心配をおかけしまして申し訳ありません。大丈夫。そんなこと申し出るつもりはありませんから」
私は鼻をズズッと啜った。
少し休みたいと言うと、お兄様は「わかった」と頷いた。部屋から出て行く時、
「ヴィアンカ。俺も親父も、何があってもお前の味方だからな」
と、優しく言い残していった。
私は……早急に覚悟を決めないといけないと思った。
コンコンコンとドアを叩かれ、目が覚めた。芋虫状態のまま、シーツから少しだけ顔を出し、「はい」と返事した。
窓の外は夕日が落ちて行く様子が見え、少し薄暗い。どのくらい寝てたんだろう……
ドアが開き、ハンナが入ってきた。
「ヴィアンカ様。お客様がお見えです」
「誰?」
とは聞いたものの、予想はついていた。
私は身体を起こし、少しだけ髪を整えた。ベッドから出ようとした時、
「そのままでいいよ」
と、アルが笑顔で部屋に入ってきた。
むせ返るような薔薇の香り。アルは両手に薔薇の花束を抱えていた。すぐに気がついた。キングダムローズだ。まさか。私は目を大きく見開いた。
「愛しい君に」
そう言って差し出された花束を、私は震える手で受け取る。薔薇の香りが一層強く感じられる。
「薔薇の香りにはリラックス効果があるんだよ。少しでも君の気扶けになるといいけど」
「こんな貴重な花を……ありがとう」
ハンナが椅子を用意しようとするのを、アルは片手で制し、ベッドに腰掛けた。ギシッとベッドが軋む。
「具合はどう? まだ顔色が悪いかな」
アルが優しく声をかけてくる。多分、私が意図的に避けていたことにアルは気づいているはずだ。お兄様にも何か聞いているかもしれない。
若干の気まずさを感じ、思わず顔を逸らすと、隣でアルがビクッと震えたのがわかった。
私はハンナに花束を渡した。ハンナが一礼して部屋を出て行くのを見計らって、
「ヴィー」
と、アルが手を強く握ってきた。
「俺は君に何か、してしまっただろうか。言ってくれ。悪いところは直すから、俺を拒まないで」
「拒んでなんか……」
「どうして俺を避けるの? 俺を嫌いになった?」
「えっ?」
私はアルを凝視してしまった。どうしてそういうことになるの? アルを嫌うだなんてあり得ないのに。
「あー……えっと、お兄様に、何か、言われた?」
「…………」
「……アル?」
俯くアルの表情が見えない。
「……君が……婚約を解消したがってるって。何かしたんじゃないかって、詰め寄られた。でも俺には何も心当たりがなくて……混乱してる。無意識に君を傷つけているのか? だから避けるのか? 俺のどこが悪い? 言ってくれなくちゃわからないよ!」
「アル……ち、違う……」
「婚約は絶対に解消しない。俺から離れようだなんて、絶対許さない。絶対に別れない、絶対だ」
アルは私を押し倒すと、馬乗りになって組み伏せてきた。それは、あっという間の出来事だった。苦痛に歪んだ視線を向けられる。そして、アルの手が私の首に伸び、そのまま締め付けてきた。
「あ…る……」
「君が逃げ出しても地の果てまで追いかけて探し出してやる。見つけ出して閉じ込めて、泣いても喚いても、逃げないように君の両手足折ってでも絶対に離さない。それでも俺を拒絶するなら君を殺して俺も死ぬ。俺は本気だ」
アルの両手が更に力を増す。苦しい。でも私は抵抗しなかった。アルをここまで追い詰めてしまったのは私だ。後悔が押し寄せてくる。アル、ごめんなさいごめんなさい。そんなつもりじゃなかったのに。
悲しくて切なくて、涙がひと筋、溢れ落ちた。するとハッとしてアルが手を離した。ケホケホと咳き込む私を、絶望したような表情で眺めてくる。消え入る声で「ごめん……」と言って、自分の顔を手で覆った。
「俺はおかしい。狂ってるんだ。自分でもよくわかっている。君のことになると見境がなくなる。止められないんだ。俺は自分が怖い。君を大事にしたいのに、同時にめちゃくちゃに壊したくなる。君の目に映るもの、手に触れるもの、全てに嫉妬してしまう。君の世界には俺だけいればいい。君は俺のものだ。俺だけのものだ」
アルの悲痛な叫び。
「ヴィーを愛してる。ずっとずっと好きだった。君は俺の全てなんだよ。わかってくれ……」




