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夢のあと  作者: 緋桜
 
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Epilogue.


 水を打ったように静かな大聖堂の中、レオンハルトは一人神の像を見上げる。

 祝福と平穏をもたらす、「約束の女神」。畏敬と崇拝、信仰を込めて民は「彼女」をそう呼ぶ。

 千年の長い時間この国の歴史を見守ってきた女神は、常と変わらず美しい。色の無い瞳は、レオンハルトの罪もすべて見透かすようだった。


「お待ちください、皇太子殿下!」

「うるさい!僕に指図するな!!」

「殿下……ッ」


 大聖堂の入り口がにわかに騒がしくなる。振り返るとそこには、十三、四歳ほどの少年が立っていた。

 黒曜石のように艶やかな漆黒の髪に、アメジストを思わせる紫の瞳。

 一見少女と見紛うほどの美貌の持ち主だが、吊り上がった眉は見事に「不機嫌」と訴えている。


「こちらにいらっしゃいましたか、陛下」


 騎士たちの制止を振り切って堂内に入って来た少年は、レオンハルトをまっすぐ見つめる。否、睨みつける。

 一国の主に対して不敬甚だしい態度に、騎士たちは青ざめる。


 一方レオンハルトは胸の前で組んでいた手をほどき、立ち上がる。

 まだ成長途中の少年とは、頭一つ分ほどの身長差があった。


「どうかしたのかい?」

「陛下にお願いしたいことがあって参りました」

「それは、私の祈りの時間を妨げなくてはいけないほど大切な話なのかな?」

「……だって、こうでもしなければ陛下は会ってくださらないじゃないですか!」


 そっけないレオンハルトの態度に、少年はヒステリックに声を荒らげる。

 すぐに感情的になるところは、一体誰に似たのだろう。

 考えてみてもわかるわけはない。レオンハルトは彼の母のことなど、何ひとつ知らないのだから。


「申し訳ございません、皇帝陛下。お止めしたのですが……」

「わかっている。この子がまた我儘を言ったのだろう。本当に、いくつになっても兄離れができず、困った子だよ」

「な……ッ」

「安い挑発に乗るものではない。度量が知れるよ」


 忠告めいた揶揄に、少年は唇を噛む。

 頭の回転が早く、すぐ上の兄は簡単に言い負かすくせに、いざ言葉に詰まるとすぐそれだ。

 言いたいことをうまく言葉にできないと唇を噛む癖は、幼い頃から変わらない。


「私は忙しいんだ。用件は手短に。わかるね、ロビン」


 ロビン―――ロベルト=アメジア=ジュエリアル。

 黒い髪と濃い紫の瞳、かつて「人形姫」と謳われた母の美貌をそっくり受け継いだこの少年は、先帝の第四皇子にして現皇太子。第一帝位継承権を持つ、皇弟だ。


 ジュエリアル帝国第四十九代皇帝であるレオンハルトに皇子はいない。

 正妃との間に三人の皇女が生まれたが、結婚から十年経っても男児には恵まれなかった。


 とはいえ、皇帝陛下はまだお若い。これから側妃をお迎えすることもできましょう。


 そんな世継ぎを望む大臣たちの進言を聞き流し、ロベルトが十の祝いを迎えた頃、彼を立太子させた。

 その選択が正しかったのかどうか、今もまだレオンハルトにはわからない。


「それで?私にお願いごととは?」


 促すと、ロベルトは気圧されたように一瞬たじろぐも、すぐに気を取り直してレオンハルトを睨み返す。

 本人は睨んでいるつもりはないらしいが、なぜかいつも怒ったような表情をしている。


 けれど表情はともかく顔立ちそのものは、成長するにつれて母親に似てくる。生き写しと言ってもいいかもしれない。


 日に日に母親の面影を濃くするロベルトを見ていると、まるで同じ(・・)だと思った。

 母の命と引き換えに生まれてきた、母に生き写しのレオンハルトと。


 いったい何の因果なのだろう。


「……姉上のことです」

「クリスティーナの?」

「姉上の婚約を取りやめてください」

「……何?」


 ロベルトの同母姉でありレオンハルトの異母妹であるクリスティーナは、来年の春にジュエリアルの同盟国エメディウスの国王に嫁ぐことが決まっていた。

 五年前即位した国王はレオンハルトよりも幾つか年上で、クリスティーナとは一周り以上年が離れている。

 しかも即位前に一度妃を迎えていた。その妃は三年前に病で亡くなってしまっているが。


「姉上は、アレンのことがおすきなのです。アレンだって、姉上のことを愛している。それなのに……」

「くだらん」

「陛下!」


 一刀両断に切り捨てると、ロベルトはなおも声を上げる。声替わりを終えていない未発達の少年の甲高い声は、耳に障る。


「では代わりにお前が嫁ぐか?」

「な……ッ」

「国王は聡明で慈悲深い御方だと聞く。それに王妃殿下に先立たれてお淋しいともな。お前のこともきっと可愛がってくださるさ」

「何を……」

「お前が言っているのはそれほど愚かなことなのだ」


 ぴしゃりと言い捨てると、ロベルトは唇をへの字に曲げた。

 今にも泣きだしそうな、けれど泣くのを必死にこらえるような表情だ。

 彼の母は、決してそのような表情しなかった。

 レオンハルトが知る彼女は、いつも何を考えているのかわからない、何も感じていないかのような瞳で世界を見ていた。


「ロベルト。皇家の姫として生まれた者が、想う相手と結ばれるなど夢物語だよ。コーネリアもマーガレットも……他の姉様たちもそうして嫁いで行っただろう」

「……兄上は、横暴です」

「何?」

「どうして姉上たちの結婚相手を兄上が決めるのです!?どうして……ッ」


 レオンハルトが目を丸くしたのは、ロベルトの述べた青臭い非難に心打たれたからではない。

 彼の言葉が、いつかのキャロライナが言ったことと同じだったためだ。


 昔、前帝皇妃のセレスティアが、レオンハルトの見合いを密かに画策したことがあった。

 そのときキャロライナはなぜか当事者よりも怒り狂って反抗した。

 兄妹の中で一番気が強く気が短く直情的な性格をしていたキャロライナもまた、いつも何かに怒っていた。

 理不尽な我儘を言うような子ではなかったが、受け流すということができず、怒ってばかりいた。

 そういうところは、ロベルトと少し似ていたかもしれない。


 不思議なものだ。

 キャロライナとロベルトは、血を分けた姉弟などではないのに。


 そしてそれは、レオンハルトも同じだ。

 レオンハルトにとって、ロベルトは弟などではない。


 かつて「人形姫」と呼ばれていたロベルトの母の笑顔を、レオンハルトは一度だけ見たことがあった。

 たった一度だけの、花がほころぶような笑顔を見て、恋に落ちた。

 そして身勝手な愛を捧げた。


 ロベルトは、その愛が生んだ罪の証。

 たった一度の過ちが生んだ異端の皇子。

 皇帝(ルーカス)の血を引かぬまま皇子を名乗り、皇帝(レオンハルト)の血を引いているのに皇子を名乗れないロベルトは、正真正銘、レオンハルトの息子だ。


「……そんな顔をしないでおくれ、私の可愛い、愛しい小鳥(ロビン)


 微笑みながら、レオンハルトはロベルトとの距離を詰める。名前を呼ばれたロベルトは、怯えたように肩を揺らした。華奢な手が胸元のタイを握りしめる。

 直情的なロベルトだが、決して頭は悪くないし、勘もいい。幼い頃から悪意に晒されて育ってきたため、むしろリスクには人一倍敏感だ。


「クリスティーナのことは諦めなさい。もう決まったことなんだ。

 大丈夫。エメディウスの国王陛下はよき御仁だ。不自由はさせないし、生涯かけてクリスティーナを幸せにすると約束してくださったよ。

 ……それより」

「……?」

「『アレン』とは、クリスティーナの近衛騎士だったかな?いけないね。騎士の身で主に愛を捧げるなど」

「―――ッ」

「身の程を弁えなければ」


 レオンハルトの言葉に、ロベルトはようやく自らの失言―――失態に気付いたのだろう。


 きっとこの直訴は、ロベルトの独断だ。

 クリスティーナがこんなことを望むわけない。

 なぜならば、もしも騎士との仲が露見すれば罰せられるのは騎士の方なのだから。

 姫と騎士の恋など、許されるわけはない。許されたいと願うのなら、相応の手順を踏むべきだ。

 「姫」と言っても、クリスティーナは皇妹。いくらでも、やり方はあったはずなのに。


「さて。大切な妹をたぶらかし、あまつさえ君をそそのかして私に刃向かおうとした罪、どうやって償わせようか」

「やめ……やめてください……ッ」


 悲痛な声を上げるロベルトの顔は、蒼を通り越していっそ白い。

 ―――その顔が、見たかった。

 絶望に震えるロベルトの顔を見つめ、レオンハルトは一人ほくそ笑む。



―――私の可愛いレオンハルト


―――このことは私とそなたの二人だけの秘密だよ


―――何度お前の首を絞めてやろうかと思ったことか……ッ



 今もまだ、頭の中で響く声がある。消えることも癒えることもなくレオンハルトを苛む声は、この世で最も美しく、気高く、畏れていた父のもの。


 父がレオンハルトに最期に遺したのは、呪いの言葉。

 父の言葉に、レオンハルトは愛されていないことに絶望し、憎まれていることを嘆いた。

 けれど今ならわかる。


 レオンハルトは確かに父に憎まれていていた。


 けれどきっと、同じくらい父に愛されていた。


 だって、レオンハルトも同じだから。


 日に日に愛した女性に似てくるロベルトのことが、いとおしい。

 そして同時に、ローズマリーとまるで違うロベルトのことが、憎らしい。


 まったく正反対であるはずの感情が、レオンハルトの中に存在していた。


(きっと)


 レオンハルトは、父によく似ている。だからきっと、父と同じことを繰り返す。


 愛しているはずの存在を、自分の手で傷付けてしまいたい。彼から大切なものを奪うことで、苦しめたい。

 けれどそれでも、手離したくない。愛した女性の面影を宿す彼に、傍にいてほしい。


 酷い矛盾だ。


 そしてレオンハルトによって傷付けられた彼もまた、同じことを繰り返すのだろうか。

 この連鎖は、いつまで続くのだろう。


「アレンは何も知りません!アレンも、姉上も……僕が勝手にやったことです!ふたりは何も……ッ」

「かばうのかい?優しいね、ロビン。君は昔から本当に姉様想いだ」

「兄上……ッ」


 蒼白な顔のロベルトを抱き寄せる。

 レオンハルトの腕の中で身をこわばらせる弟に、笑いが止まらない。


「可哀想なロビン……」


 君の願いは、何一つとして叶えられない。

 そのことに、早く気付くべきだ。


 お前一人、幸せになんてさせない。


 私に絶望を与えたお前もまた、絶望を知るべきなのだから。



ここまでお付き合いくださった方、ありがとうございます。

「夢のあと」本編 完結です。

全編通してレオンハルト視点で描かれたお話のため、レオンハルトが知りえないことは謎のままですが、ここで一区切りとさせていただきます。


今後は他の登場人物視点の番外編を不定期に更新していけたらと思ってます。

レオンが知らない裏話をこちらで描いていく予定です。

レオン視点でないのでいろいろイメージぶち壊すキャラクターもいるかもですが、よろしければそちらもお付き合いくださると嬉しいです。


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