第2話:『地下の蠢動と消滅の残響』
1
不夜城『宵の極』の最下層。
絢爛豪華な鳳凰閣の真下に位置するその場所は、華やかな表通りとは正反対の「影の巣窟」だった。
迷路のように入り組んだ路地、湿り気を帯びた石畳、そしてどこからか漂う焦げた油と薬品の匂い。巨大な管からは「プシューッ!」と頻繁に蒸気が吹き出し、蒸気の合間にチラチラと怪しい露店の灯りが揺れている。
「……たく、相変わらずジメジメした場所だな。髪が爆発するっつの」
蓮は首の後ろを掻きながら、狭い路地を歩いていた。背中には布で包んだ巨大な音叉刀『響穿』。
そのすぐ後ろを、あかりが着物の裾を少し持ち上げながら、足元に気を配ってついてくる。
「文句を言わないの。焔さんの店に行くなら、ここを通るのが一番早いのよ」
あかりの簪が、薄暗い路地でチリンと小さな音を立てた。
蓮はその音を聞くたび、無意識に左耳の後ろの傷跡に指を滑らせてしまう。
——さっきの影骸が消える間際に残した言葉。
(『ア……サ……ア……タ……』)
あれは一体、何を意味していたのか。
これまで倒してきた影骸は、ただの意思を持たない泥の塊だったはずだ。なのに今夜のやつは、はっきりと「声」を出した。
「いらっしゃい、可愛いお嬢さん。珍しい唐国の香油はどうだい?」
「おいおい、そっちの刀男! いい鉄くずが入ったぜ、見ていかねえか?」
怪しげな商人たちの呼び込みを突っぱねながら二人が辿り着いたのは、袋小路の突き当たりにある古い仕立屋だった。
古びた木製のドアには、かすれた文字で『煙霞堂』と書かれている。
あかりが慣れた手つきでドアノブを三回叩き、一拍置いてからもう一回叩いた。
ギィ……と不気味な重い音を立てて扉が開く。
「入っていいわよ、蓮」
2
店内は、壁一面に棚が据え付けられ、見たこともない薬品の瓶や古文書、機械のギアが雑多に積み上げられていた。
部屋の奥、紫煙がくゆらせる長椅子に深々と腰掛けている男が一人。
派手な刺繍が入った羽織を羽織り、長い大煙管をくわえた男——『宵の極』の裏の顔であり、情報屋の仕切り役・焔だ。
「やあやあ、鳳凰閣のヒーロー様ご一行の到着だ。……蓮、また街の備品を壊したそうだな? 弁償代は俺のツケから引いとくぞ」
「けっ、余計なお世話だオッサン。柱の一本や二本、あかりの舞の投げ銭で一発だろ」
蓮が不機嫌そうに長椅子の向かいの丸椅子にドカリと座る。
あかりは呆れたように息を吐きながら、焔に向かって小さく頭を下げた。
「焔さん、戯言は放っておいて本題です。今夜鳳凰閣に出た影骸……いつもと様子が違いました」
焔の細い目が、煙の奥でスッと鋭くなった。
煙管を皿にカンカンと打ち付け、吸い殻を落とす。
「……ほう。違い、とな」
「ああ」
蓮が身を乗り出し、声を低くした。
「言葉を喋りやがった。『ア……サ……ア……タ……』ってな。それだけじゃねえ。あの影、鳳凰閣の外から入ってきたんじゃない。地下——俺たちの真下にある『大音脈』のろ過層から直接湧き出てきてた」
「……!」
焔の顔から軽薄な笑みが完全に消えた。
彼は静かに立ち上がると、部屋の奥にある巨大な街の立体構造図——銅板で作られた不夜城の模型へと歩み寄った。
「やはりな……。蓮、あかり。お前たちに言わねばならん『ノイズ』がもう一つある」
焔が模型の最下層、蒸気機関の集積地を示す赤い歯車を指差した。
「ここ数日、不夜城全体を支える『大蒸気炉』の出力が落ちている。だが、街の灯りは何一つ消えていない。……何故だか分かるか?」
「え……? 蒸気が減っているのに、灯りが消えていない……?」
あかりが首を傾げる。
蓮の目が見開かれた。
「おい……まさか……」
「そうだ」
焔は深くため息をつき、静かに言った。
「蒸気の代わりに『別のエネルギー』が音脈に流し込まれている。街の華やかさを維持するために、地下で『何か』が消費されているんだよ」
3
その時だった。
ズズズズズズズズ……ッ!!
部屋全体が、地響きのような激しい揺れに見舞われた。
棚から薬瓶が落ちて割れ、甲高い砕ける音が響く。
「な、なに! 地震!?」
あかりが悲鳴を上げ、倒れそうになる体を蓮が素早く支えた。
「大丈夫か、あかり!」
「え、ええ……! でも、この揺れ……下から……!」
キィィィィィィィィィン——ッ!!
蓮の頭の中に、不快極まりない超高音の金属音が突き刺さった。
「ぐっ……!? あ、あああッ!?」
「蓮!?」
蓮は左耳を押さえ、その場に膝をついた。
左耳の後ろの傷跡が、まるで灼熱の鉄を押し当てられたように熱く、真っ赤に発光している。
(なんだ……このノイズ……!? 街全体が……叫んでやがる……!!)
脳裏に、断片的な映像が濁流のように流れ込んでくる。
暗闇のなかで蠢く無数の黒い手。
赤く染まる水槽。
そして——あかりと同じ三本の金簪を刺した、見知らぬ女の背中。
『……逃げて……蓮……音を……消して……』
「がはっ……! 呼、吸が……!」
「蓮! しっかりしなさい、蓮!!」
あかりが抱きかかえ、必死に呼びかける。
焔が顔色を変え、壁の隠し棚から黒い小瓶を取り出すと、中の液体を蓮の口に無理やり流し込んだ。
「飲むんだ、蓮! 音脈の毒を抑える鎮静剤だ!」
ゴクンと音を立てて飲み干すと、数秒後、蓮の全身の激しい痙攣が次第に収まっていった。
肩で息をしながら、汗だくになった蓮が二人を見上げる。
「ハァ……ハァ……。オッサン……今のは……」
「……『始祖の音叉』が共鳴したな」
焔は重苦しい声で呟いた。
「地下の『大音脈』で、何かが目覚めかけている。……蓮、あかり。覚悟を決めろ。お前たちが追っている影の正体、そして——神楽坂一族が滅んだ本当の理由に触れる時が来た」
「神楽坂家が……滅んだ理由……?」
蓮の瞳に、揺らぐことのない漆黒の火が宿る。
その時、煙霞堂のドアがバギャン!と音を立てて外側から吹き飛んだ。
煙と木片が舞い散る中、入口に立っていたのは——黒い軍服に身を包み、背中に巨大な「音波機関銃」を担いだ、冷たい眼差しを持つ一人の男だった。
「——見つけたぞ。神楽坂の生き残り、並びに『歌の巫女』」
男の胸元には、不夜城を支配する警備総局の紋章——『葵の陰紋』が光っていた。




