第1話:『残響の刃、夜を穿つ』
1
ド派手に行こうぜ。暗闇なんか、吹き飛ばすくらいの光でさ。
——不夜城『宵の極』。
そこは、昼が来ない街だ。
巨大な蒸気機関が吐き出す白い煙を、何万個もの紅い提灯と瑠璃色のネオンが鮮やかに染め上げる。三味線と太鼓のリズム、酔客の歓声、そして蒸気笛の重低音。
欲望と歓喜が渦巻くこの街で、少女は今夜も舞う。
「さあさあ、お立ち会い! 今宵の宵の極、一番華はご存知——紅蓮太夫のお通りだぁッ!」
「紅蓮ちゃーん! こっち向いてー!」
「今日も綺麗だぞーっ!」
楼閣『鳳凰閣』の回廊を、ひと際絢爛豪華な着物を纏った少女が滑るように歩く。
紅蓮——本名、あかり。
17歳の彼女が舞い始めれば、どんな荒くれ者も息をのむ。金糸の牡丹が踊る朱色の袖を翻し、彼女がくるりと一回転すると、黒髪に挿された「三本の金簪」がチリンと可憐な音を立てた。
だが、歓声の渦の中で、あかりの瞳だけは冷ややかに澄んでいた。
(……まただ。聴こえる……)
華やかな太鼓の音の裏。
ドクン、ドクンと、街の脈動に混じって聴こえる「耳障りなノイズ」。
(今夜のノイズは……デカい。鳳凰閣の、すぐ下……!)
あかりが足を止めた瞬間——
ゴガアアアンッ!!
広場の石畳が弾け飛び、悲鳴が夜空へ突き抜けた。
2
「ヒィィィッ!? な、なんだあのバケモノは!?」
「影が……影が這いあがって来るぞーっ!」
飛び散る砕石と蒸気の中から現れたのは、ドロドロとした黒い泥のような怪物——影骸。
人間の背丈の三倍はある巨躯には、無数の「人間の顔」が浮かび上がり、ギチギチと爪を鳴らしている。
「逃げろっ! 喰われるぞ!」
パニックに陥る群衆。影骸の巨大な腕が、逃げ遅れた小さな子どもに向かって振り下ろされた。
「しまっ……!」
あかりが叫び、身を乗り出そうとした——その時。
——シューーーーーッ。
煙草の煙とともに、影骸の頭上に「影」が落ちた。
「おいおい。せっかくの酒が不味くなるだろ、ブサイク」
黒い長羽織を羽織った青年が、影骸の腕の上に腕組みをして立っていた。
ボサボサの黒髪に、鋭い眼光。左耳の後ろには、痛々しい稲妻状の傷跡がある。
青年——神楽坂 蓮は、怠そうに欠伸をすると、背中の巨大な布包みに手を伸ばした。
「れ、蓮……! バカ、降りてきなさい! 今日の影骸はいつもと違うわ!」
あかりの叫びを、蓮はひらひらと片手で受け流す。
「分かってるよあかり。こいつ……『街の奥』から湧いて出やがったな。……ノイズが耳に響いて、頭が割れそうだ」
蓮は左耳の傷を指でさすりながら、布包みを一気に引き剥がした。
現れたのは、異形の二本の大刀。
刃先が二股に分かれた、巨大な音叉の形をした漆黒の刃——『響穿』。
「さあ……調律の時間だ」
3
「グルアアアアッ!」
影骸が蓮を叩き潰そうと、全身から黒い触手を解き放つ。
だが、蓮の姿はすでにそこにはなかった。
ドドドッ!!
「速い……!?」
客たちが目を見張る。
蓮は壁を走り、提灯の縄を渡り、まるで重力を無視するように不夜城の空間を疾走していた。その動きはまさに、夜を駆ける稲妻。
「ハッ!」
空中であかりと視線が交差する。あかりは瞬時に悟り、懐から鈴を取り出すと、舞のステップを踏みながら強く鳴らした。
シャン——ッ!
(影骸の視線を引きつけた……今よ、蓮!)
「ナイス、あかり!」
蓮は空中で体勢を入れ替えると、二本の音叉刀の刃先を激しく噛み合わせた。
カアアアアアンッ!!!!
静寂を叩き割るような、甲高い衝撃音が爆発する。
ただの音ではない。目に見えるほどの「金の波紋」が空気中を走り、影骸の触手を一瞬で粉砕した。
「キィヤアアアアッ!?」
「逃がさねえ。……音脈一式——『残響・千華』!!」
蓮が刀を振り下ろすと同時に、千の音波が刃となって影骸の全身を切り刻む。
切り裂かれた影骸の体内から、溢れ出す鮮やかな光。
「ア……サ……ア……タ……」
影骸が消滅する間際、小さな掠れ声で何かを呟いた。
蓮はその言葉を聞き逃さなかった。眉をひそめながら、着地と同時に刀を鞘へと収める。
チャキン。
次の瞬間、影骸の巨体は弾け飛び、夜空に数千の金色の火花となって散っていった。
まるで、打ち上げ花火のように。
「おおおおっ! やったぞーっ!」
「助かった! あの兄ちゃん、何者だ!?」
歓声が湧き上がる中、蓮は刀を担ぎ、ため息をついた。
「ハッ、派手に散りやがって……」
「ちょっと、蓮!」
着物の裾をなびかせ、あかりが駆け寄ってくる。その瞳には怒りと、隠しきれない心配の色が浮かんでいた。
「またそんな無茶して! 街の柱、少し焦げてるじゃない!」
「細けえな。助けてやったんだから、一杯奢れよ」
「もう……! でも……ありがとう」
あかりはほっと胸を撫で下ろし、笑顔を見せた。
その瞬間、彼女の髪から「チリン」と金簪が音を立てる。
蓮は一瞬だけ、その簪に視線を落とした。
(……あかりの簪。また一つ、根元の黒ずみが広がりやがっている……)
蓮は何も言わず、ただ笑ってみせた。
「さてと。焔のオッサンところに報告に行くか。今夜の影……今までで一番『ドス黒いノイズ』が混ざってやがった」
不夜城の灯火の下、二人は歩き出す。
彼らの頭上に広がる闇の奥深くで、巨大な「影」が蠢いていることを、二人はまだ知らない。
残響は、すでに鳴り始めている——。




