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灰の世界の機巧士  作者: yakumo


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4/40

灰の外

翌朝。


 律が工房の裏口から出ようとしたところで、父――誠司に呼び止められた。


「律」


「なに?」


 振り返ると、誠司は律ではなく、その隣に立つ機巧を見ていた。


 百四十センチほどの小柄な人型機巧。


 何度も修理と部品交換を繰り返したせいで、左右の腕どころか外装の色まで揃っていない。


 右肩には昨夜調整したばかりの駆動部。


 背部には予備電池。


 歩行も確認した。


 律としては、準備はできているつもりだった。


 誠司が機巧の腰回りを見る。


「結局、武器は用意しなかったのか」


「うん」


「昨日、武器屋でも言われたんだろ」


「聞いた」


「聞いただけか」


「犬型なら掴めると思う」


 誠司の眉間に皺が寄った。


「お前な」


「腕力ならこっちの方が――」


「待ってろ」


 誠司は工房の奥へ戻った。


 しばらくして、一本の武器を手に戻ってくる。


 鞘に収められた、短い機巧用の刀。


 人間が使う刀より太く、刃も厚い。


 形だけ見れば、刀というより大型の鉈に近かった。


「持たせろ」


「これ、店の?」


「昔使ってたやつだ。今さら売り物にもならん」


 律は受け取り、鞘から刃を少し抜いた。


 細かな傷。


 研ぎ直した跡。


 長く使われてきたのが分かる。


「黒瀬の三型?」


「よく分かったな」


「柄の接続部が古いから」


「そこじゃねえよ」


 誠司がため息をついた。


「犬型相手なら十分だ。ただし、斬り合おうとするな。脚か関節を狙え。動きを止めるための道具だと思え」


「分かった」


「あと、これ」


 今度は小さな黒い筒。


 律はすぐに分かった。


「停機器」


「工房の予備だ」


 昨日、榊の店で見た新品とは違う。


 外装には細かな傷があり、先端の金属端子も少し変色している。


「二回分しか充電してない。無駄撃ちするな」


「いいの?」


「壊すなよ」


「犬型を?」


「停機器をだ」


「そっち?」


「そっちだ」


 律は少し笑った。


 自分の腰には、いつもの整備用ハンマー。


 鞄にはスリングショットと鋼球。


 停機器。


 そして相棒には古い機巧刀。


 昨日までと比べると、少しだけ探索士らしくなった。


「行ってくる」


「ああ」


 律が歩き出す。


 誠司は何も言わず、工房の入口からしばらくその背中を見ていた。


     ◇


「遅い」


 北門前で待っていた迅が言った。


 短い黒髪は今日もところどころ跳ねている。


 昨日買った軽量防護衣を着込み、肩には八洲兵装製《K12探索短小銃》。


 腰には伸縮警棒。


 装備だけを見れば、すでに律よりずっと探索士らしい。


「父さんに止められてた」


「行くなって?」


「機巧を素手で連れていくなって」


「ほら!」


 迅が律の相棒を見る。


 腰には、先ほど渡された機巧刀が固定されている。


「俺と武器屋のおっさんが正しかっただろ」


「榊さん」


「そこ重要?」


「名前あるから」


「そうじゃなくて」


 迅は機巧刀を見る。


「でも、いいじゃん。中古?」


「うん」


「やっぱり」


「使えるならいい」


「その辺だけは一貫してんな」


 二人は北門へ向かった。


 門の脇にはすでに何台かの車両が並んでいる。


 荷台に木箱を積んだ小型貨物車。


 大きなバッテリーケースを載せた箱型バン。


 二人組の探索士が乗った四輪駆動車。


 町を出る車両は、一台ずつ門衛の確認を受けていた。


 律たちも携帯端末を提示する。


《仮探索士》


《受注依頼:北東第二区画・偵察型機巧確認調査》


 門衛が画面を見る。


「徒歩か?」


「はい」


 迅が答える。


 門衛が二人を見た。


「北東第二区画まで行くんだよな」


「はい」


「……まあ、行けなくはないか」


 その言い方が少し引っかかった。


「予定帰還は?」


「今日中です」


「日没一時間前までには戻れ。状況が悪ければ依頼は捨てろ」


「はい」


「仮探索士の死亡理由で一番多いのは?」


 迅が少し考える。


「無茶?」


「だいたい正解だ」


 門衛が通行許可を出す。


「行ってこい」


 律たちは門を抜けた。


 黒瀬の防壁の外。


 基礎学校の野外授業で農業区画までは来たことがある。


 だが、そこまではまだ黒瀬の管理区域。


 柵。


 巡回機巧。


 警備員。


 何かあっても、すぐ助けを呼べる。


 その先へ進む。


 やがて携帯端末の表示が切り替わった。


《黒瀬市内網――切断》


《オフライン地図へ移行》


 通信が切れても、保存済みの地図と現在位置は表示される。


 目的地は北東へ、およそ十二キロ。


 古い街道が続いていた。


 何百年も前の道路を土台にし、今の人間が必要な場所だけ補修しながら使い続けている。


 路面には無数のひび。


 新しい舗装材で埋められた箇所。


 路肩から伸びる草。


 遠くには崩れた建物。


 そのさらに向こうには森が見える。


「十二キロだっけ」


 迅が言った。


「うん」


「余裕じゃん」


「歩くだけなら」


 二人は北東へ向かった。


     ◇


 三十分ほど歩いた頃。


 後方からモーター音が聞こえた。


「車」


 二人は自然と道の端へ寄る。


 やってきたのは、荷台付きの小型貨物車。


 運転席には二人。


 荷台には大きな金属箱と工具ケースが積まれ、何本ものラッシングで固定されている。


 工房か修理業者の車だろう。


 路面の大きな亀裂を避けながら、律たちの横を通り過ぎていった。


「結構走ってるんだな」


 迅が言う。


「街道だからね」


「まあ、そりゃそうか」


 さらに二十分。


 今度は前方から車が来た。


 灰色の箱型バン。


 側面には、とある物流業者の印。


 速度を落とし、二人とすれ違う。


 その後ろから、少し間を置いてもう一台。


 荷台に木材を積んだ小型貨物車。


 黒瀬へ戻る途中らしい。


「……なあ律」


「なに?」


「車、普通に走ってるな」


「うん」


「なんか嫌な予感してきた」


「何が?」


「まだ分からん」


     ◇


 一時間を過ぎた頃。


「……遠い」


 迅が言った。


「さっき余裕って言ってた」


「十二キロを舐めてた」


「まだ半分くらい」


「言うな」


 道路自体は車が通れる。


 ただし、現代の綺麗な道路とは違う。


 舗装が盛り上がった場所。


 片側が崩れた区間。


 小さな落石。


 古い建物の破片。


 車なら避けながら進める。


 徒歩でも越えられる。


 けれど、探索士として歩くとなれば、ただ進めばいいわけではなかった。


 時折立ち止まり、周囲を見る。


 地図を確認する。


 草むら。


 崩れた建物。


 横道。


 何か動いていないか警戒する。


 思った以上に時間がかかる。


 律は相棒の状態を確認した。


《主電池:82%》


《副電池:100%》


「まだ大丈夫」


 迅が横から覗く。


「俺の脚は八十二%どころじゃねえ」


「人間は表示されないよ」


「気分の話だよ」


 その時。


 後方から、少し大きな走行音。


 四輪駆動の小型車だった。


 車体には泥。


 屋根には荷物。


 後部には予備タイヤ。


 三人の探索士が乗っている。


 こちらへ軽く手を上げ、そのまま追い越していく。


 迅が黙って見送った。


 数十秒後。


「律」


「なに?」


「俺たち、なんで歩いてんの?」


 律も少し考えた。


 さっきから。


 貨物車。


 物流のバン。


 木材を運ぶ車。


 探索士の四駆。


 普通に何台も通っている。


 律の家にも車がある。


 工房で機巧や部品を運ぶための、小型貨物車。


 荷台付き。


 二人乗り。


「……父さんの車、借りられたかも」


「今気づいたのかよ!」


「探索に使うって考えてなかった」


「いや、お前んちの車、後ろ荷台だろ?」


「うん」


「お前の機巧も乗るだろ?」


「乗る」


「俺ら二人も前に乗れるだろ?」


「乗れるね」


「なんで歩いてんだよ!」


 律はもう一度考えた。


「最初だから?」


「理由になってねえ!」


 迅が頭を抱える。


 律も少しだけ納得した。


 たしかに。


 相棒を荷台へ載せる。


 自分と迅は前。


 予備電池も多めに持てる。


 もし野良機巧を回収できれば、帰りは荷台へ積める。


「次は父さんに聞く」


「絶対聞け」


「仕事で使わない日なら貸してくれると思う」


「最初からそうしろよ……」


 二人は再び歩き始めた。


     ◇


 それから十分ほど。


 今度は、車とは違う高い駆動音が近づいてきた。


 律たちが振り返る。


 細身の車体。


 太いタイヤ。


 高い地上高。


 探索用の電動オフロードバイク。


 乗っている男は探索用防護衣を着ている。


 後部キャリアには大きめの収納箱。


 左右にも小型の荷箱。


 車体脇には予備電池。


 荒れた路面をものともせず、軽快に近づいてくる。


 律たちの横を抜け。


 数秒後には、ずっと前を走っていた。


「……」


 迅が黙った。


「迅?」


「俺、やっぱ車いらねえわ」


「さっき車で来ればよかったって言ってた」


「あれがいい」


「バイク?」


「あれ」


 迅が前方を指す。


 もう小さくしか見えない。


「速いし、荷物も結構積める」


「二人乗れるね」


「だろ?」


「でも車の方が積める」


「俺は機巧を丸ごと拾って帰る予定ないから」


「もったいない」


「そこだよ、お前と俺の違い」


 迅は少し嬉しそうに続ける。


「中古なら十万くらいからあるんじゃね?」


「昨日、銃で十四万使ってたよね」


「言うな」


「K12より安いかも」


「だから言うな!」


「お金ある?」


「これから稼ぐ」


「大変そう」


「お前は?」


「父さんの車借りる」


「無料はずるくね?」


「家の車だから」


「それをずるいって言ってんの」


 迅は前方を見ながら言った。


「でも俺はバイク買う」


「そんなに?」


「格好いいだろ」


 律は少し考えた。


「車の方が便利じゃない?」


「そういう話じゃねえんだよ」


「?」


「分かんねえならいい」


     ◇


 町を出てから二時間あまり。


 車の通行は少なくなっていた。


 最後にすれ違ってから、三十分以上経っている。


 道路の状態も悪くなる。


 補修された跡がほとんどない。


 路肩は草に覆われ、一部では道路そのものに植物が侵食している。


 周囲の建物も増えてきた。


 崩れかけた倉庫。


 錆びた鉄骨。


 半分ほど地面へ埋まった看板。


 旧工業区画の外縁。


 律が端末を見る。


《北東第二区画》


《最終確認:三日前》


《偵察型機巧――犬型》


「着いた」


「やっとか」


 迅の声から、さっきまでの軽さが消える。


 肩からK12を外した。


 両手で保持する。


「ここから気をつけるぞ」


「うん」


「見つけても勝手に近づくなよ」


「分かってる」


「見たくて探索士になった奴の『分かってる』は信用できない」


 律は反論しなかった。


 たぶん正しい。


「索敵」


 律が相棒へ命令する。


《了解》


 短い機械音。


 相棒が歩行速度を落とす。


 頭部センサーが左右へ動く。


 律たちも足を止めた。


 風。


 草の擦れる音。


 遠くで鳥が鳴く。


 何もない。


 ように思えた。


 相棒の頭部が止まる。


《音響反応》


「方向は?」


《右前方。推定距離――四十六》


 迅がK12を構え直した。


「来るか?」


「まだ分からない」


 律の心臓が少し速くなる。


 怖い。


 たぶん。


 でも。


 それ以上に。


 見たい。


 草むらが揺れた。


 黒いものが姿を現す。


 四本脚。


 細い胴体。


 低い姿勢。


 灰色に汚れた薄い装甲。


 頭部には複数のセンサー。


 犬型機巧。


 工房で何度も見た。


 分解した。


 頭部も。


 脚も。


 制御核も。


 けれど。


「……動いてる」


 律は呟いた。


 目の前にいる。


 自分の脚で立ち。


 生き物のように首を動かし。


 こちらを見ている。


 犬型のセンサーが律へ向く。


 次に迅。


 そして相棒。


「律」


 迅の指が引き金へ掛かる。


「撃つ?」


「待って」


「は?」


「まだ攻撃してない」


「だからって――」


 犬型は襲ってこなかった。


 数秒。


 ただこちらを見ている。


「奏さんが言ってた通りだ」


「何が?」


「見てる」


 犬型の頭部が、わずかに傾いた。


 まるでこちらを記録しているように。


 律は一歩近づきかけ。


 止まった。


 試験官の言葉を思い出す。


『観察は武器になる。だが、生きている間だけだ』


 犬型が突然、後方へ跳んだ。


「あっ」


「追うな!」


 迅が叫ぶ。


 犬型は草むらへ飛び込んだ。


 そのまま姿が消える。


 律は無意識に一歩踏み出していた。


「……逃げた」


「よかったじゃねえか」


「もう少し見たかった」


「お前、本当に危ねえな」


「でも変だった」


「何が?」


「攻撃してこなかった」


「偵察型なんだから、そういうもんじゃないの?」


「じゃあ、何を偵察してるんだろう」


 迅が黙る。


 律は犬型が消えた方向を見る。


 工房へ運ばれてきた犬型。


 三日前に奏が見た三体。


 そして今の一体。


 ただ徘徊しているだけではない。


 そんな気がした。


 その時。


 相棒が反応する。


《複数音響反応》


「え?」


《左方。三》


 迅が振り向く。


《後方。二》


「律」


《右方。二》


 草むらの中。


 一つ。


 二つ。


 赤い光が灯る。


 さらに奥にも。


 律は数えた。


「……七体?」


 迅がK12を構え直した。


「さっきの一匹、逃げたんじゃねえな」


 周囲の草が、次々と揺れる。


 犬型たちは襲ってこない。


 ただ。


 律たちを囲むように距離を保ち、こちらを見ていた。


 迅が小さく呟く。


「仲間、呼びに行ったのかよ」


 律は腰のスリングショットへ手を伸ばす。


 相棒が一歩、律の前へ出た。


 父から渡された古い機巧刀を抜く。


 鈍い金属音が、灰色の廃墟に響いた。

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