探索の準備
探索士試験に合格した翌朝。
久世律は、自室の机に並べた荷物を見ながら眉を寄せていた。
携帯端末。
水筒。
小型の工具入れ。
使い慣れた整備用ハンマー。
着替え。
以上。
「……少ないな」
昨日、探索士協会から送られてきた《新人探索士向け野外活動指南》を端末に表示する。
《推奨携行品》
飲料水。
携帯食。
応急処置用品。
防護衣。
武器。
予備電池。
予備の照明。
簡易雨具。
その他、活動区域に応じた装備。
律はもう一度、机の上を見る。
「全然ない」
基礎学校でも野外活動については習っている。
だが、授業で町の管理区域へ出るのと、探索士として野良機巧のいる場所へ向かうのは別物らしい。
端末が振動した。
《迅:下にいる》
律は荷物を鞄へ押し込んで、一階へ降りた。
◇
「遅い」
店先で橘迅が待っていた。
短い黒髪は今日もところどころ跳ねている。
動きやすそうな黒いパンツに、薄手の上着。
昨日の試験会場より、いつもの迅らしい格好だった。
「今来た?」
「十分前」
「早すぎる」
「お前が遅いんだよ」
帳場にいた佳奈が顔を上げた。
「迅くん、朝からごめんね。この子、機巧以外の準備になると本当に駄目だから」
「知ってます」
「なんで迅が答えるの?」
「付き合い長いからな」
佳奈が笑う。
「今日は探索用品を買いに行くんでしょ?」
「うん」
「ちゃんと必要なもの買うのよ」
「分かってる」
「機巧の部品買って帰ってきたら怒るからね」
律は目を逸らした。
「おい」
迅が笑った。
「買う気だったろ」
「見るだけ」
「その言葉、一番信用できねえ」
二人は工房を出た。
◇
探索士協会から北門へ続く通りには、一般の商店街とは少し違う店が並んでいる。
武器店。
防護用品店。
野外用品店。
機巧部品店。
電池専門店。
保存食を扱う店。
町の外へ出る人間を相手にした商売が集まる一角だった。
「まず服な」
迅が言う。
「武器じゃないの?」
「その格好で犬型に引っかかれたいなら止めない」
律は自分の服を見る。
いつもの作業着。
「丈夫だけど」
「そういう問題じゃない」
最初に入ったのは、防護用品と野外用品を扱う店だった。
律が選んだのは、濃い灰色の軽量防護衣。
胸、肩、肘、膝に薄い保護材が入っている。
値札を見る。
「一万八千円……」
「安い方だぞ」
「作業着三着買える」
「野良機巧に引っかかれた時、作業着三枚重ねる気か?」
律は黙って試着した。
少しごわつく。
だが腕も脚も問題なく動く。
「どう?」
迅が聞く。
「動ける」
「ならそれでいいだろ」
「高い」
「まだ言うか」
結局、そのまま購入した。
《-18,000円》
続いて。
携帯救急具。
四千二百円。
携帯食二日分。
三千六百円。
簡易雨具。
二千円。
探索用手袋。
二千四百円。
携帯浄水器。
八百円。
端末に表示される残高が、次々に減っていく。
「……探索士って、なるだけで金かかるんだな」
「だから稼ぐんだろ」
「まだ一円も稼いでない」
「明日からだよ、明日から」
迅は妙に楽観的だった。
◇
次に向かったのは武器店だった。
厚い金属製の扉を開く。
店内へ入った瞬間、律は足を止めた。
壁一面に銃が並んでいる。
拳銃。
短小銃。
散弾銃。
長銃。
その隣にはボウガンやスリングショット。
さらに奥には、短刀、小型斧、警棒といった近接武器も並んでいた。
「学校の訓練銃とは全然違うな」
律が言う。
「そりゃ本物だからな」
昨日の試験で握ったのは、ペイント弾を使う訓練用ハンドガンだった。
実銃を手にするとなると、やはり少し印象が違う。
「何探してる?」
低い声がした。
カウンターの向こうから、一人の男がこちらへ歩いてきた。
四十代半ばほど。
律の父と同じくらいの年齢に見える。
身長は百八十センチ近くあり、灰色のシャツ越しにも肩幅の広さが分かる。
短く刈った黒髪には白いものが混じり、左の眉からこめかみにかけて細い傷跡が一本走っていた。
腰から下げているのは武器ではなく、工具と店の携帯端末。
動きは落ち着いているのに、二人を見る目だけは妙に鋭い。
胸元の名札には《榊》と書かれている。
「昨日、仮探索士になったばかりです」
迅が答えた。
「最初の武器か」
「はい」
「何を相手にする?」
「犬型」
律が答える。
榊の視線が律へ向いた。
「二人とも?」
「はい」
「機巧は?」
「俺はなし」
迅が言う。
「律は持ってます」
「人型?」
「小型の人型です」
「なら武器の選び方も変わるな」
榊はそれだけ言って、壁の銃を示した。
「まず見ろ。触りたいものがあれば言え。弾は入ってないが、勝手に引き金は引くな」
「はい」
迅は迷うことなく、一丁の短小銃の前へ向かった。
「俺、これかな」
「もう決めてたの?」
「だいたいな」
榊が棚から銃を取り出した。
「八洲兵装、K12探索短小銃」
律も昨日、端末で少し見ていたモデルだった。
探索士向けに作られた半自動式の短小銃。
二十発入りの弾倉を使用し、森林や廃墟での取り回しを重視して全長が短く抑えられている。
榊が迅へ渡す。
「構えてみろ」
迅は銃口の向きを確認してから受け取った。
肩へ当てる。
「軽い」
「約三キロだ。新人が持つなら悪くない」
律が値札を見る。
「十三万八千円」
「見るな」
「弾は?」
「見るな」
律は隣を見る。
《標準小銃弾・50発 4,800円》
「五十発で四千八百円」
「だから見るなって!」
迅が顔をしかめた。
榊が小さく笑う。
「弾代まで考えるのは悪くないぞ」
「ほら」
「でも命より安い」
「ほら!」
今度は迅が得意げになる。
「ただし、撃てば当たると思うな。昨日の試験で何発使った?」
迅の顔が止まった。
「……三発」
「訓練機の脚に?」
「はい」
「なら練習代も見とけ」
律が迅を見る。
「もっとかかるね」
「うるせえ」
迅は一度K12を棚へ戻しかけた。
だが、少し考えてからもう一度手に取る。
「これにします」
「いいの?」
律が聞いた。
「外で死んだら、十四万どころじゃねえだろ」
「センサー撃ったら壊れる」
「俺は売る前に生きて帰りたい」
律は少し考えた。
間違ってはいない。
「お前は?」
迅が聞く。
「まだ迷ってる」
「K12でいいじゃん」
律も榊から一丁持たせてもらった。
学校以来、昨日の訓練銃を除けば銃にはほとんど触れていない。
思ったより軽い。
両手で構えると、昨日のハンドガンよりずっと安定する。
犬型の薄い装甲なら十分に通るだろう。
「これなら離れたところから戦える」
「だろ?」
「でも高い」
「そこかよ」
「本体だけじゃない。弾もいる」
律はK12を榊へ返した。
隣へ移る。
ボウガン。
価格は四万円前後。
「これは?」
「銃より安い。音も小さい。矢も状態が良ければ回収できる」
榊が答える。
律は一つ持ってみた。
「……大きい」
「そりゃそうだ」
「工具も持つし、機巧の予備電池もある」
「なら邪魔かもな」
律はさらに隣へ移った。
いくつものスリングショットが吊られている。
一番安いものなら三千円ほど。
探索用にフレームを強化したものでも、一万円はしない。
律は一本を手に取った。
「これなら……」
迅が横から覗く。
「まさか、それ?」
「鋼球なら安い」
「だから値段から離れろって」
律はゴムを軽く引く。
学校で使ったことはある。
銃ほど速くはない。
威力も劣る。
それでも。
「犬型の外装は薄い」
「銃の方が強いぞ」
「強すぎる」
「は?」
「頭部のセンサーを撃ち抜いたら使えなくなる」
「戦う前から売ること考えてんの?」
「使うかもしれない」
「もっと悪い」
律はスリングショットを見る。
「犬型なら、センサーか関節を狙えば動きを落とせると思う」
「当たればな」
「練習する」
「初探索だぞ?」
「俺が前で戦うわけじゃないし」
その言葉に榊が反応した。
「機巧を前へ出すのか?」
「そのつもりです」
「どんな機体だ」
「百四十センチくらいの人型。古いですけど」
「戦闘型?」
「違います」
「武器は?」
律が止まる。
「……ない」
榊が眉を上げた。
「ない?」
「今は」
「素手で犬型にぶつける気か?」
「掴めるかなって」
迅が律を見る。
「お前、それ本気だったの?」
「うん」
榊はしばらく律を見ていた。
「機巧の腕力が犬型より上でも、掴むまでに脚や配線をやられたら終わりだぞ」
「……考えときます」
「考えとけ」
榊はスリングショットを指した。
「機巧を前に出すなら、それを補助武器にする探索士はいる」
律が顔を上げる。
「多いんですか?」
「いや」
即答だった。
「普通は銃を持つ」
「ですよね」
迅が言う。
「ただし、機巧を主戦力にして、自分は後ろからセンサーや関節を狙う奴なら話は別だ」
榊が律を見る。
「でも勘違いするな。中型以上にそれ一本でどうにかしようとは思うなよ」
「はい」
「それと、迷ったら部品より自分を取れ」
「……はい」
「返事が遅い」
「はい」
律はもう一度スリングショットを見る。
探索用強化型。
本体六千五百円。
鋼球百発。
千五百円。
予備ゴム二組。
合わせて九千円。
「これにします」
「本当にそれにした」
迅が呆れたように言う。
「律には合ってるかもな」
「さっきまで銃にしろって言ってたのに」
「言っても聞かねえし」
◇
次は近接武器。
迅は短刀、小型斧、警棒を順番に見た。
「これは?」
壁から一本の黒い筒を取る。
榊が答える。
「伸縮警棒。対人護身用が基本だ。機巧相手なら頭を叩いて倒そうとは思うな」
迅が腕を振る。
カシャッ。
三段の金属棒が伸びた。
「近づかれた時に距離取るくらいなら?」
「使える」
「じゃあこれ」
「即決だね」
律が言う。
「銃が本命だからな」
迅が今度は律を見る。
「お前も何か買っとけよ」
律も棚を見る。
短刀。
小型斧。
警棒。
機巧用ではなく、人間用の武器。
しばらく眺めたあと。
「いらない」
「なんで?」
律は腰へ手をやった。
普段から持ち歩いている、小型の整備用ハンマー。
「これあるから」
迅が固まった。
「……それ?」
「うん」
「武器じゃないぞ」
「ハンマーだよ」
「それは見れば分かる」
「機巧の関節叩くなら使える」
「お前、探索に行くんだぞ。工房じゃねえぞ」
「機巧には同じ」
「絶対違う」
榊が声を出して笑った。
「まあ、自分から近接戦する気がないなら、それでもいい」
「ほら」
「ただし」
榊が律を見る。
「それを武器だと思うな」
「……はい」
「逃げるために一発殴る程度だ」
「はい」
迅が笑う。
「ほらな」
「迅の警棒も似たようなものでしょ」
「俺のは最初から武器だ!」
迅は伸縮警棒も購入した。
◇
会計を待っている間。
律の視線が、別の棚で止まった。
《機巧用停機器》
黒い筒状の装置。
先端には二本の金属端子がある。
野良機巧の装甲の隙間や関節へ押し当て、瞬間的な電気負荷を与えることで保護機能を作動させる装置。
うまく使えば、機体を大きく壊さず停止できる。
「これ欲しい」
「二万八千円」
迅が値札を読んだ。
律は黙る。
「買えば?」
「今日使いすぎた」
「そこは冷静なんだな」
「工房に中古があった気がする」
「職人の家ずるいな」
「迅は十四万の銃買ってる」
「あれは必要経費」
「これも必要経費」
「じゃあ買えよ」
「高い」
「お前ほんと金の話になると正直だな」
律は停機器を棚へ戻した。
◇
武器店を出た後。
二人は機巧用品店へ向かった。
目的は予備電池。
律の機巧には二本の標準電池を搭載できる。
一方を使いながら、もう一方を予備として保持できる仕様だ。
店内の棚には、同じ大きさの電池が何本も並んでいる。
「高性能型、七万二千円……」
「さっきの機巧部品も欲しがってたよな」
「欲しいものが多すぎる」
「探索士やめて工房で金貯めた方が早くね?」
「それだと野良機巧見られない」
新品標準型。
三万八千円。
再生品。
一万六千円。
律は再生品を持ち上げた。
「これ」
「中古電池で大丈夫?」
「保証容量八十五パーセント。予備なら十分」
「俺なら新品買う」
「迅は機巧持たないでしょ」
「そうだった」
迅は自分で戦う。
律は機巧と戦う。
改めて考えると、必要になる金の使い方まで違っていた。
◇
買い物を終えた頃には、昼を過ぎていた。
二人は探索士協会近くの食堂へ入った。
律は端末を開き、今日使った金額を見る。
「……五万円超えた」
迅も確認する。
「俺、十五万超えた」
「迅の勝ち」
「何の勝負だよ」
二人の端末には、昨日受注した依頼が表示されている。
《北東第二区画・偵察型機巧確認調査》
《対象:犬型機巧》
《危険度:低》
《仮探索士受注可》
《基本報酬:12,000円》
《回収品:探索士所有》
迅が画面を見る。
「こう見ると、一万二千円って安くね?」
「調査だけだから」
「俺、今日十五万使ってるんだけど」
「十二回くらい行けば戻る」
「食費とか弾代無視すんな」
「回収品もある」
迅が律を見る。
「やっぱ犬型倒す気だろ」
「倒すというか、止めたい」
「同じだ」
「違う」
「どう違う?」
「壊れてない方が高く売れる」
「結局金かよ」
「センサーは自分で使うかもしれない」
「そっちか」
律は食事を口へ運びながら、依頼の地図を見る。
町からおよそ十二キロ。
奏が犬型を発見した地域と、ほぼ同じ場所。
「明日、七時に北門?」
迅が聞く。
「うん」
「勝手に犬型追いかけるなよ」
「分かってる」
「本当に?」
「多分」
「多分って言ったな?」
◇
工房へ戻ると、律はすぐに自分の機巧の前へ向かった。
百四十センチほどの古い人型機巧。
左右で腕の型が違う。
外装の色も揃っていない。
廃棄される予定だったものを引き取り、何度も部品を交換しながら使ってきた相棒。
律は買った再生電池を作業台へ置く。
その隣。
スリングショット。
鋼球。
そして、いつもの整備用ハンマー。
「明日、外へ行く」
機巧は答えない。
律が端末を操作する。
「起動」
頭部のセンサーに光が灯る。
「歩行確認」
機巧が歩く。
一歩。
二歩。
三歩。
右脚が、ほんのわずかに遅れた。
「……まだ駄目か」
律はしゃがみ込み、工具箱を引き寄せる。
ふと。
武器店で榊に言われたことを思い出した。
『素手で犬型にぶつける気か?』
律は機巧の両手を見る。
「……武器、いるかな」
返事はない。
「掴めると思うんだけど」
もちろん、返事はない。
律は少し考えた。
「父さんに聞くか」
それより先に。
右脚。
外へ出るのは明日だ。
初めて見る、動いている野良機巧。
期待はある。
不安も、少しくらいはある。
だが今は。
「もう一回、調整しよう」
目の前の相棒を、できる限りいい状態にしてやりたかった。




