灰猿
旧吹田、千里丘陵区域。
浪華を出てしばらく走ると、整備された道路は次第に細くなり、左右を木々に囲まれるようになった。
途中からは舗装もひび割れ、その隙間から草が伸びている。
僕たちは森へ入る少し手前で車を停めた。
僕の黒い四輪駆動車と、玲奈たちが乗ってきた車。
二台を路肩の開けた場所に並べる。
「ここから先は歩きね」
茜がA24の弾倉を確認しながら言った。
探索服の上には黒っぽい防護アーマー。
胸、肩、前腕、膝を中心に防護板が取り付けられ、頭には同じ色の防護ヘルメットを被っている。
玲奈も同じだった。
形は少し違うが、胸部や肩、前腕を守るアーマーに防護ヘルメット。
その二人を見てから、僕は迅を見る。
いつもの探索服。
たぶん、僕も同じようなものだ。
茜がこちらを振り返った。
「……ちょっと待って」
「何?」
「あんた達、その格好のままなの!?」
僕と迅は顔を見合わせた。
「いつもこれだけど」
迅が答える。
「アーマーは?」
「持ってない」
「ヘルメットは?」
「ない」
茜の視線が今度は僕へ向く。
「律も?」
「うん」
「……本気?」
「今まではこれで問題なかったけど」
「今日は灰猿だよ?」
茜が呆れたように言った。
「石投げてくるの知ってるよね?」
「知ってる」
「だったら普通、もうちょっと何か着てこない?」
迅が肩をすくめた。
「避ければいいだろ」
「その言葉、覚えとくからね」
「なんでだよ」
茜はため息をつく。
「まあ、今から買いに戻るわけにもいかないし……今日は絶対に無茶しないこと」
「分かった」
「特に迅」
「なんで俺だけ」
「今の発言」
「……はい」
僕は茜の前腕を覆う防護板を見る。
そこまで必要なのだろうか。
この時は、まだそう思っていた。
迅はR20の弾倉と照準を確認する。
左腰には警棒。
僕の隣では相棒が装備を確認していた。
左前腕にA6。
右前腕には小盾とパイルバンカー。
腰には機巧刀。
その後ろでは、玲奈のシグレが静かに立っている。
相棒より一回り大きい、細身の戦闘用機巧。
左前腕には徹甲銃。
右手には機巧刀。
右肩には単発式の小型ミサイル発射器まで載っている。
もちろん、今日の灰猿相手に使う予定はない。
「ミサイル一発いくらすると思ってるの」
昨日、玲奈はそう言っていた。
聞かない方がよさそうだった。
「隊列、これでいい?」
玲奈が聞く。
僕は端末を確認した。
画面には、相棒の頭部レーダーから送られてくる情報が表示されている。
「僕と相棒が前。迅と茜が少し後ろ。玲奈とシグレは最後方で」
「前は相棒のレーダーで見るってこと?」
茜が聞いた。
「うん。森だとかなり距離は落ちるけど、三十メートルくらいなら動いてるものは拾えると思う」
「じゃあシグレは後ろを見る」
玲奈がシグレを見上げた。
「レーダーはないけど、音には強いから」
「音?」
迅が聞く。
「集音センサー。足音とか枝が折れる音を拾って、方向と大体の距離を出せる」
「それで見つけるのか」
「そこからカメラを向ける。一回捉えれば、速い相手でもかなり追えるよ」
僕はシグレの頭部を見る。
レーダーを積む代わりに、光学系と集音性能を高めているらしい。
「灰猿向きじゃん」
迅が言う。
「たぶんね」
玲奈が笑った。
「シグレ、闘技場にも出てるから」
「闘技場?」
僕は思わず聞き返した。
「うん。今はE」
迅もシグレを見る。
「探索だけじゃなくて、闘技場にも出してるのか」
「うん。まだEだけどね」
玲奈はそう言った。
シグレには、探索だけじゃなく対機巧戦の経験もある。
だからなのか。
昨日見た時から、相棒とはどこか違う動きをする機巧だと思っていた。
「行こっか」
茜の声で、僕たちは森へ入った。
◇
森の中では、全員が固まりすぎないよう十メートルほど間隔を空けた。
僕と相棒が先頭。
その後ろ、右側に迅。
左側に茜。
最後方に玲奈とシグレ。
地形に合わせて位置は変わるが、互いが離れすぎないようにだけ意識する。
誰かが襲われても、一人か二人は援護できる距離だ。
木の根。
倒木。
背の高い草。
平地とは違って、綺麗な隊列を保つことなんてできない。
僕は歩きながら端末を見る。
相棒のレーダーには、木々や地面から返ってくる反応が細かく混じっていた。
平地よりずっと見づらい。
それでも。
「止まって」
僕が手を上げる。
全員が足を止めた。
端末の右上。
一つ。
小さな反応が動いている。
「右前。二十八メートルくらい」
迅がR20を構える。
茜もA24の銃口を上げた。
「地面?」
「違う。たぶん上」
反応が横へ移動する。
「木の上」
相棒が頭部を右へ向ける。
端末の表示をカメラ映像へ切り替える。
枝。
葉。
その奥。
一瞬だけ灰色の身体が見えた。
「いた」
「どこ?」
「迅から見て右上。二十五メートル。太い枝の上」
迅が銃口を動かす。
「見えた」
灰猿が動いた。
成人男性よりも大きな灰色の身体が、枝から枝へ飛ぶ。
速い。
迅がR20で追う。
一発。
銃声が森に響いた。
外れた。
灰猿は次の木へ飛び移る。
「茜の方!」
「了解!」
A24が短く火を噴く。
ダダッ。
二、三発。
灰猿の進路へ弾が飛ぶ。
灰猿が空中で身体をひねり、着地する枝を変えた。
その瞬間。
後方にいたシグレの頭部が動いた。
まだ灰猿は次の跳躍をしていない。
なのに、左腕の銃口は灰猿ではなく、その先にある枝へ向いている。
「え?」
僕が呟く。
灰猿が身体を沈める。
枝が軋んだ。
跳ぶ。
向かった先は、シグレが銃口を向けていた場所だった。
一発。
徹甲弾が灰猿の胴を貫く。
灰色の身体が枝から落ちた。
「一体」
玲奈が言う。
「今の、動く前から狙ってた?」
「うん」
「どうやって?」
「踏み込みと重心。それと枝の音」
玲奈が答える。
「シグレはそういうの得意だから」
僕は倒れた灰猿とシグレを交互に見る。
相棒はレーダーで見えない相手を探す。
シグレは、見つけた相手の動きを読む。
同じ機巧でも、全然違う。
「律」
迅の声。
端末を見る。
今度は二つ。
「左。二体」
森の中を素早く動いている。
「距離二十二……二十」
「近い!」
茜が左を向く。
直後。
枝が大きく揺れた。
灰猿が一体、低い枝から飛び出してくる。
手には石。
「投げる!」
僕が叫ぶ。
灰猿の腕が振られた。
拳ほどの石が飛ぶ。
茜は左腕を顔の前へ上げた。
ゴンッ。
鈍い音。
石が前腕のアーマーに当たり、横へ弾かれる。
「っ!」
茜が一歩下がった。
「大丈夫!?」
「平気!」
そう答えながら、茜は左腕を一度振る。
「ちょっと痺れたけど!」
その間に迅がR20を撃った。
一発目が肩。
二発目が脇腹。
木から落ちた灰猿へ、茜がA24を向ける。
短い連射。
灰猿が動かなくなった。
「二体目!」
もう一つの反応が動く。
「右へ回ってる!」
レーダー上の反応が木々の間を横切った。
「迅、右!」
「見えてる!」
R20が火を噴く。
灰猿が木の幹を蹴り、射線を外す。
「玲奈の方へ行く!」
僕が叫ぶ。
後方。
枝が折れる音。
ほぼ同時にシグレの頭部が振り向いた。
「右後ろ、十八」
玲奈が言う。
僕が端末を見るより早かった。
シグレの集音センサーが拾ったらしい。
頭部カメラがその方向を向く。
灰猿が枝から飛び降りた。
着地。
シグレの頭部が追う。
灰猿が右へ動く。
シグレも機巧刀を構える。
灰猿が飛び込んでくる。
シグレの刃を避け、そのまま横へ抜けた。
その先。
迅がR20を向けていた。
「そこ!」
一発。
灰猿の胸を撃ち抜く。
倒れた。
「三体」
玲奈が数える。
森が静かになった。
いや。
静かすぎる。
「まだいる」
僕は言った。
依頼情報では六体以上確認されている。
最低でも、あと三体いる可能性が高い。
◇
さらに奥へ進む。
さっきより慎重に。
端末から目を離さない。
相棒も歩きながら頭部を左右へ動かしている。
その時。
レーダー画面に複数の反応が現れた。
「止まって」
四つ。
いや。
木々の反射と重なって、はっきりしない。
「複数。前と左右」
「何体?」
「分からない。最低三」
茜がA24を構える。
「囲みに来てる?」
「たぶん」
灰猿は獣にしては賢い。
さっきから正面だけでは来ない。
「後ろもいる」
玲奈が言った。
シグレは左後方へ頭を向けている。
「音?」
「うん。一体。二十メートルくらい」
僕は息を吐く。
「迅、右。茜、左。玲奈は後ろお願い」
「律は?」
「前を見る」
「了解」
正面。
二十七メートル。
近づいてくる。
「来る!」
木の陰から灰猿が飛び出した。
低い。
地面を四肢で走ってくる。
相棒が僕の前へ出た。
灰猿が地面から石を拾う。
「相棒!」
石が飛んでくる。
相棒が右腕を上げた。
ガンッ。
前腕の小盾が石を弾く。
そのまま前へ出る。
左前腕のA6が灰猿を捉えた。
短い連射。
数発が右脚に入る。
灰猿の姿勢が崩れた。
それでも長い腕を振り回し、相棒へ飛びかかってくる。
相棒が右腕の小盾でその腕を外へ逸らす。
懐へ入った。
右前腕。
パイルバンカーの先端が灰猿の胸へ押し当てられる。
ドンッ。
杭が撃ち出された。
相棒が杭を引き抜く。
灰猿は、そのまま地面へ崩れ落ちた。
「四体目!」
僕はすぐに端末へ視線を戻す。
「左、来る!」
茜のA24が鳴る。
ダダッ。
枝の上を走っていた灰猿が進路を変えた。
だが、その死角。
別の灰猿が石を投げる。
「茜!」
今度は避けた。
拳ほどの石が木の幹に叩きつけられ、木片が飛ぶ。
「二体いる!」
「分かってる!」
茜が後退しながら射撃する。
「迅、左の低い方!」
「見えた!」
R20。
一発。
灰猿の太腿を抜く。
速度が落ちた。
茜が狙う。
三発。
灰猿が地面へ倒れた。
「五!」
依頼達成数。
でも。
「まだ終わってない!」
玲奈の声。
後方。
灰猿がシグレへ飛びかかっていた。
シグレが振り向く。
速い。
でも、それ以上に反応が早い。
灰猿が右へ身体を振った。
シグレは追わない。
逆に左へ一歩動く。
次の瞬間。
灰猿がそちらへ飛んだ。
読んでいた。
シグレが身体を入れる。
灰猿の進路が崩れる。
地面へ落ちた。
そこへ玲奈がM9を向ける。
短い連射。
灰猿が動かなくなった。
「六体目!」
その時。
「っ!」
迅の声。
振り返る。
右上。
灰猿。
レーダーにも反応が出ている。
でも、気づくのが遅かった。
灰猿の手には、すでに石がある。
「迅!」
腕が振られた。
石が飛ぶ。
迅が咄嗟に左腕を顔の前へ出した。
ゴッ。
鈍い音。
迅の身体が横へよろめく。
「迅!」
「大丈夫!」
そう答えたが、左腕を押さえている。
灰猿が次の石へ手を伸ばす。
「右上、二十三!」
僕が叫ぶ。
茜が即座に振り向いた。
A24。
短い連射。
灰猿が木から飛び降りる。
「シグレ!」
玲奈の声。
枝が軋む。
着地音。
シグレの頭部がそちらを向く。
カメラが灰猿を捉えた。
灰猿が身体を沈める。
シグレの銃口が動く。
灰猿が跳ぶ。
一発。
徹甲弾が命中した。
灰猿が地面へ落ちる。
「七」
玲奈が言った。
僕は端末を見る。
反応。
一つ。
三十メートルぎりぎり。
木々の間を遠ざかっていく。
「一体、逃げてる」
「追う?」
茜が聞く。
僕は迅を見る。
左腕を抱えている。
「追わない」
依頼はもう達成している。
無理をする理由はない。
「賛成」
玲奈も頷いた。
森の奥で、しばらく枝が揺れる音が続いた。
やがて、それも聞こえなくなった。
◇
数分待った。
相棒のレーダーに新しい反応はない。
後方ではシグレが周囲の音を拾い続けている。
「……近くにはいない」
僕が言う。
ようやく茜がA24の銃口を下げた。
「終わったぁ……」
玲奈も息を吐く。
「七体。依頼条件は達成ね」
僕は端末に記録する。
成人灰猿、七体。
五体で依頼達成。
六体目以降は一体につき十二万円の追加報酬。
七体なら追加は二十四万円。
でも、今は報酬より気になることがある。
「迅」
振り返る。
迅はR20を右手だけで持っていた。
左腕は腹の前に抱えている。
「腕、大丈夫?」
「さっきの石な。ちょっと痛い」
「ちょっと?」
茜が近づいた。
「見せて」
「いや、大したこと――」
「見せなさい」
「はい」
迅が袖を捲る。
左前腕が赤く腫れ始めていた。
茜の表情が変わる。
「……ちょっと待って」
「ん?」
茜が迅の姿を改めて見た。
そして、朝のやり取りを思い出したように眉を寄せる。
「だから言ったでしょ!」
「何を?」
「アーマー!」
「あ……」
「『避ければいい』って言ったよね?」
「言ったな」
「あんた馬鹿なの!?」
「そこまで言う!?」
「言うよ! 灰猿だよ!? 拳くらいある石をあの腕力で投げてくるんだよ!?」
茜が左前腕を迅の前へ突き出した。
防護板には、さっき石を受けた白い傷が残っている。
「私、これで受けても腕痺れたんだからね!」
「……それ見た」
「見たなら分かるでしょ!」
迅が黙る。
茜が今度は僕を見る。
「律もだからね」
「うん」
僕は相棒を見る。
右前腕の小盾には、新しい傷が増えている。
「僕は相棒が守ってくれたけど」
「今日は、でしょ」
「……うん」
相棒が別の灰猿を相手にしていた時もある。
いつも僕の前に立てるわけじゃない。
今日は運がよかった。
「俺も相棒欲しいな」
迅が言う。
「まず防具買いなさい」
「はい」
「あとヘルメットも」
茜が自分の頭を指で叩いた。
「腕じゃなくて頭だったら、笑えないからね」
迅の顔から少しだけ笑いが消える。
「……それは確かに」
「とにかく病院」
「え?」
「その腕」
茜が指差した。
「骨いってるかもしれない」
「動くぞ?」
「動くから折れてないとは限らないって」
玲奈も迅の腕を見る。
「かなり腫れてきてる。浪華に戻ったら、そのまま診てもらおう」
迅はしばらく自分の左腕を見た。
「……分かった」
◇
灰猿の死体から討伐証明に必要な記録を取り、回収できる素材だけを積み込む。
全部を持ち帰るのは無理だった。
任務記録と位置情報を端末に保存して、僕たちは森を出た。
浪華へ戻り、町内ネットワークへ接続すると、端末が自動で探索記録を送信した。
討伐数。
位置。
戦闘ログ。
写真。
条件達成。
登録された四人の端末に依頼完了の通知が届く。
基本報酬百万円。
追加報酬二十四万円。
合わせて百二十四万円。
登録された四人へ均等に振り込まれる。
一人三十一万円。
ただ、今日はそれをゆっくり確認している場合じゃなかった。
「病院行くよ」
茜が言う。
「逃げないって」
「信用ない」
「なんでだよ」
「朝に注意されて、『避ければいい』とか言ってた人だから」
「……それまだ覚えてたのか」
「覚えとくって言ったでしょ」
「言ってたな……」
◇
診断結果は、左尺骨の亀裂。
つまり骨折だった。
診察を終えた迅の左腕には固定具が巻かれている。
「ほら!」
待合へ出てきた瞬間、茜が言った。
「亀裂だって」
「それ骨折だから!」
「分かってるよ」
「避ければよかったんじゃないの?」
「もう許してくれ」
茜が笑う。
僕は迅の固定された腕を見る。
「R20、しばらく無理だね」
「律、それ今一番聞きたくない」
「でも無理でしょ」
「正論やめろ」
玲奈が小さく笑った。
茜は迅の腕を見てから、少しだけ表情を緩める。
「まあ……本当に、頭じゃなくてよかったよ」
迅も黙った。
「……悪かった」
「私に謝ることじゃないけど」
茜が腕を組む。
「二人とも、防具買う気になった?」
「なった」
僕はすぐに答えた。
「ヘルメットも」
「よろしい」
迅も頷く。
「俺も買う」
「よし」
茜が端末を取り出した。
「じゃあ連絡先交換しよ」
「連絡先?」
「私が使ってる防具屋、紹介する」
僕も端末を出す。
互いの端末を近づけ、連絡先を登録した。
迅は右手だけで操作している。
「既製品もあるし、身体とか武器に合わせて調整もしてくれるよ」
「高い?」
迅が聞く。
「骨より安い」
「……今言われると何も言えない」
茜が笑った。
「あとで店の場所送るから、明日の十時にそこで待ち合わせね」
「分かった」
「僕も大丈夫」
「今度はちゃんと来てよ。特に迅」
「行くって」
「固定具外して逃げたりしないでよ?」
「俺をなんだと思ってるんだよ」
「防具なしで灰猿に行って、注意された直後に骨折する人」
「長くなってない?」
無理だと思う。
僕は迅の腕を見る。
そのあと、茜の前腕アーマーを思い出した。
同じ灰猿の投石。
茜は腕が痺れただけだった。
迅は骨に亀裂が入った。
分かりやすい差だった。
相棒が守ってくれる。
それでも、いつも相棒が僕の前に立てるわけじゃない。
自分自身の装備。
今まで、そこまで真剣に考えていなかった。
明日は防具を見る。
そう決めて、僕は端末に追加された茜の連絡先を閉じた。




