浪華への道
翌朝。
久世工房の前に、一台の車が止まった。
時刻は六時五十八分。
律は工房の前に置いていた荷物を持ち上げる。
「来た」
「二分前じゃん」
迅が眠そうな顔で言った。
「時間通りだよ」
「七時って言ったら七時でいいだろ」
短くクラクションが鳴る。
「ほら」
「急かされてる?」
「たぶん」
二人が外へ出る。
停まっていたのは、白い四輪駆動車だった。
車高は少し高く、一般的な乗用車より一回り大きい。
屋根には低い箱型の装置。
前後にもいくつかのセンサーが取り付けられている。
運転席の窓が下がった。
「おはよう」
奏が片手を上げる。
「おはよう」
「おはようございます」
奏が迅を見る。
「ちゃんと起きたね」
「信用なさすぎません?」
「昨日の反応見てたらね」
「普通に起きますよ」
「ならいいけど」
律は車の後ろへ回った。
後部扉が開いている。
荷室は広く、後部座席の片側が畳まれていた。
床には機巧を固定するための金具が取り付けられている。
「ここ?」
「うん。相棒は奥」
奏が降りてくる。
「百四十くらいだったよね?」
「うん」
「なら余裕」
相棒が荷室へ乗り込む。
律が床の固定具を使い、脚部と胴体を固定した。
その横には長い黒色の銃ケースが置かれている。
迅がすぐに気づいた。
「それS18ですよね」
「そう」
「昨日見せてもらえなかったやつ」
「今もまだ出さないよ」
「分かってます」
そう言いながら、迅はケースをじっと見ていた。
「行くよ」
奏の声で二人も乗り込む。
律は助手席。
迅は後部座席に座った。
奏が車を走らせる。
工房が少しずつ遠ざかっていった。
◇
「これがレーダー?」
律はダッシュボード中央の画面を見ていた。
地図の上に、車を中心とした円がいくつか表示されている。
「そう」
奏が答える。
「白峰精機の車載索敵装置。古いやつだけどね」
「どれくらい見えるの?」
「開けたところなら五百メートルくらい。条件が良ければもう少し」
「森だと?」
「かなり落ちる。百とか二百くらいになることもあるよ」
迅が後ろから画面を覗く。
「敵かどうかも分かるんですか?」
「そこまでは無理」
奏が前を見たまま答える。
「大きさと位置、だいたいの移動速度くらい。人なのか変異獣なのか機巧なのかは、自分で確認しないと」
「でも便利ですね」
「護衛ならほぼ必須かな」
奏が屋根を指差す。
「あとはルーフハッチ」
迅が見上げる。
「本当に開くんだ」
「狙撃する時に使う」
「走りながら?」
「しないよ」
奏が即答した。
「止まって撃つ。走ってる車から遠くを狙いたくない」
「ですよね」
律は画面へ視線を戻す。
レーダーには今のところ目立った反応はない。
黒瀬の市街地を抜け、街道へ出る。
そこから十分ほど走ったところで、前方に大型の貨物車が見えてきた。
「あれ?」
「今日の護衛対象」
奏が速度を落とす。
街道脇の待避所に、一台の大型貨物車が停まっていた。
側面には、依頼情報に記載されていた輸送会社の印。
車両番号も一致している。
奏は貨物車の前方へ車を停めた。
ダッシュボードの無線機へ手を伸ばす。
護衛任務では、依頼を受注した時点で、護衛対象との連絡に使う指定周波数と車両情報が共有される。
奏は出発前から、その周波数を無線機へ登録していた。
「こちら護衛担当、白峰。聞こえますか?」
『こちら輸送車。問題なく聞こえています』
「車両番号を確認しました。こちらが先導します。異常があれば、この周波数で連絡してください」
『了解しました』
奏が無線機を戻す。
迅が聞く。
「ずっと前を走るんですか?」
「基本はね」
「後ろから来たら?」
「レーダーは後ろも見てる。反応があれば分かるよ」
「じゃあ輸送車からの無線は?」
「荷物の異常とか、何か異常があった時用」
「なるほど」
奏が車を発進させる。
大型貨物車もその後ろへ続いた。
黒瀬から浪華へ。
護衛依頼が始まった。
◇
一時間ほどは、何も起こらなかった。
補修された街道が西へ続いている。
ところどころ古い道路の痕跡が残り、その向こうには森や草地が広がっていた。
律は窓の外を見ている。
黒瀬からこれほど離れたことはほとんどない。
端末の地図では知っていた景色も、実際に見ると違っていた。
「この道、ずっと浪華まで繋がってる?」
「一応ね」
奏が答える。
「何度も補修されてるけど」
「昔の道?」
「だいたいは。完全に作り直したところもあるよ」
その時。
ピッ。
短い電子音が鳴った。
奏の表情が変わる。
画面を見る。
「反応」
迅が身体を起こす。
「どこです?」
「前方四百二十。右側」
画面に一つの点が表示されていた。
少しずつ街道へ近づいている。
「大きい?」
律が聞く。
「中型から大型」
奏が無線機を取った。
「こちら白峰。前方に反応があります。一度停止してください」
『了解』
奏も車を街道脇へ寄せて止める。
後ろの貨物車も距離を取って停車した。
「見てくる?」
迅がK12へ手を伸ばす。
「そのままでいいよ」
奏は車を降りなかった。
代わりに、頭上のロックを外す。
天井の一部が後方へ滑った。
ルーフハッチ。
「迅、ケース」
「はい」
迅が後ろから長い銃ケースを渡す。
奏が開いた。
中から取り出した銃は、迅のK12より明らかに長い。
八洲兵装 S18狙撃銃。
細長い銃身。
上部には大きな照準器が取り付けられている。
「……長いな」
迅が呟いた。
奏は弾倉を確認すると、助手席と運転席の間に足を掛けて身体を持ち上げた。
上半身がルーフハッチから外へ出る。
S18を屋根の上へ構える。
「三百八十」
律はフロントガラス越しに前を見る。
まだ何も見えない。
奏が照準器を覗く。
「いた」
「何です?」
迅が聞く。
「灰猪。一頭」
「撃つ?」
律が聞いた。
「こっちに来てる」
奏の声は変わらない。
数秒後。
律にも見えた。
街道右側の草むら。
灰色の巨体がゆっくりと姿を現した。
灰猪。
以前、律たちが倒した個体とほぼ同じ大きさだ。
灰猪が頭を上げた。
こちらを見る。
そして、街道へ入ってきた。
「距離二百八十」
奏が呟く。
迅が窓越しに灰猪を見る。
「まだ撃たないんですか?」
「まだ」
灰猪が少しずつ近づく。
二百五十。
二百。
奏の銃身はほとんど動かない。
灰猪がこちらを向いた。
正面。
乾いた銃声が一発。
灰猪の眉間が跳ねた。
そのまま前脚が崩れる。
巨体が街道脇へ倒れた。
動かない。
迅がしばらく黙っていた。
「……一発?」
「うん」
奏がS18を下ろす。
「眉間?」
律が聞いた。
「そう」
「そこが弱い?」
「灰猪ならね。正面からなら狙いやすい」
奏が車内へ戻る。
迅は倒れた灰猪と奏を交互に見る。
「俺ら、あれ結構苦労したんですけど」
「知ってる」
「なんで知ってるんです?」
「久世さんから聞いた」
「父さんか」
律が呟く。
奏は弾倉を外して確認し、S18をケースへ戻した。
「灰猪は正面を向いてるなら眉間を狙いやすい。ただ、走ってる時まで無理に狙わなくていいよ」
「今も動いてましたよね?」
「ゆっくりだったから」
「……Dランクってみんなこんなんです?」
「人による」
奏は何でもないことのように答えた。
無線が鳴る。
『白峰さん、状況どうですか?』
「灰猪一頭。排除しました」
『了解。こちらでも確認しました』
「位置情報を送ります。追加報酬の記録お願いします」
『承知しました』
奏が端末を操作する。
倒した灰猪の位置と討伐記録を保存し、依頼情報へ紐付ける。
迅が窓の外を見る。
「肉、置いてくんですか?」
「今は護衛中だからね」
「もったいない」
「依頼主を置いて解体始める方が駄目でしょ」
「それはそうですけど」
「場所は記録した。帰りに残ってたら回収してもいいし、別の人が持っていくかもね」
「早い者勝ち?」
「基本はね」
迅が少し名残惜しそうに灰猪を見る。
「追加報酬は入るんですよね」
「入るよ」
「じゃあいいか」
「切り替え早いなあ」
奏が無線機を取る。
「こちら白峰。安全確認しました。出発します」
『了解』
奏が車を発進させる。
後ろの貨物車も続く。
再び車列が動き始めた。
◇
それから大きな問題は起きなかった。
街道を進むにつれ、道路を走る車が少しずつ増えていく。
一台。
二台。
やがて、対向車とすれ違うことも珍しくなくなった。
「増えてきた」
律が言った。
「浪華が近いからね」
奏が答える。
道路も変わってきた。
補修された区間が長くなり、道幅も広くなる。
分岐も増えた。
道路脇には案内板。
《浪華 12km》
その文字を見て、迅が身を乗り出す。
「あと十二キロ」
「見れば分かる」
「初めてなんだからいいだろ」
さらに進む。
遠くに建物が見えてきた。
最初は小さかった。
だが近づくにつれ、その数が増えていく。
二階、三階建ての建物だけではない。
もっと高い建物もある。
修復された旧文明の建物。
その間に建てられた新しい建物。
屋上にはアンテナ。
道路には複数の車。
人の姿も多い。
律は窓の外を見たまま動かなかった。
「……でかい」
黒瀬とは違う。
人口一万二千の町と、三万八千の都市。
数字では知っていた。
だが、実際に目の前にすると意味が違った。
道路の先に、大きな門が見えてくる。
《浪華》
その上に、街の名が大きく表示されていた。
「ようこそ」
奏が少し笑う。
「浪華へ」
白い探索車と、その後ろを走る貨物車が門をくぐった。




