鎧角鹿
西街道を走ること、およそ三十分。
律は前方に見えたものを確認して、車の速度を落とした。
「……あれだ」
街道脇に、小型貨物トラックが横倒しになっている。
依頼に記載されていた被害車両だった。
律は少し手前で車を停めた。
三人が近づくと、被害の大きさがはっきりと分かる。
フロントガラスは大きく割れ、車体の前面は内側へ押し潰されていた。
横転した際に擦ったのか、側面にも長い傷が走っている。
荷台から落ちた箱や固定具が、街道脇に散らばっていた。
「……派手にやられてんな」
迅が潰れた車体を覗き込む。
「これ、本当に鹿がやったのか?」
「依頼にはそう書いてた」
「鹿って車ひっくり返すもんだっけ」
「普通はやらない」
「だよな」
律は潰れたフロント部分を見る。
金属板に、深く抉られた跡が二本。
角が食い込んだのだろう。
乗っていた二人はすでに救助されている。
片方は腕の骨折。
もう一人は頭部と胸部に打撲。
命に別状はない。
依頼情報にはそう記載されていた。
迅が横転したトラックを見ながら聞く。
「これ、どうすんだ?」
「討伐が終わったら回収に来ると思う」
「持ち主が?」
「動かせるなら。無理なら回収業者」
今の状態で回収作業を始めれば、鎧角鹿が戻ってくる可能性がある。
大型車を起こすには人も機材も必要になる。
危険が残っているうちは、わざわざ作業員を送り込まない。
「つまり、俺らが片付けるまでこのままか」
「たぶん」
「責任重大だな」
迅がそう言って、トラックから離れた。
律は街道脇へ目を向ける。
土が深く沈んでいた。
蹄跡だ。
一つ一つが大きい。
トラックの周囲を歩いたあと、そのまま木々の間へ続いている。
「こっち」
律は自分たちの車へ戻った。
◇
車は被害車両から少し離れた場所へ移動させた。
街道脇の開けた場所に停め、荷台から相棒を降ろす。
右前腕には、昨日取り付けたばかりのパイルバンカーと小型防楯。
律が固定具を外していると、隣で迅が腰のポーチを確認していた。
「そういや俺も買った」
「何を?」
迅がポーチを開き、中から一つ取り出した。
手のひらに収まるほどの、楕円形をした金属製の手榴弾だった。
「手榴弾」
「買ったんだ」
「二個な」
迅がもう一つ入っているポーチを軽く叩く。
「いつ?」
「昨日。お前が機巧の部品見てる間」
「知らなかった」
「言ってないからな」
迅は手榴弾をポーチへ戻した。
「銃だけじゃ止まらない奴もいるだろ。念のため」
「近くで使わないでよ」
「俺だって巻き込まれたくねえよ」
迅がK12を肩に掛ける。
「基本は使わない。逃げられなくなった時用」
「それならいい」
「お前、そういうとこだけ細かいな」
「爆発するから」
「そりゃそうだ」
準備を終え、三人は森へ入った。
◇
街道から離れるにつれ、足元の草が深くなっていく。
ただ、追跡そのものは難しくなかった。
地面には大きな蹄跡。
ところどころ草が踏み倒され、低い枝が折れている。
「隠れる気ないな」
迅が小声で言った。
「隠れる必要がないんだと思う」
「……それ嫌な言い方だな」
律は足を止めた。
前方の木。
幹の表面が大きく削れている。
地面から一メートル半ほどの高さに、二本の傷。
樹皮だけではない。
中の木まで抉れていた。
迅も気づく。
「角か?」
「たぶん」
「トラックの傷と同じくらいだな」
律は周囲を見る。
森は静かだった。
相棒が一歩先へ出る。
頭部センサーが左右へ動いた。
次の瞬間。
茂みの奥で、枝が折れた。
二人が同時にそちらを見る。
ガサッ。
木々の間から、大きな影が現れた。
「……でか」
迅が呟く。
鹿だった。
少なくとも形だけは。
肩の高さは相棒より上。
体長は二メートルを超えている。
灰褐色の身体は太く、普通の鹿より明らかに重い。
特に異様なのは頭部から肩だった。
皮膚が硬く盛り上がり、幾重にも重なっている。
その上から伸びる太い角。
先端は枝分かれしながら前方へ向いていた。
「鎧角鹿」
律が言った。
迅がK12を構える。
「報告よりでかくない?」
「個体差」
「便利な言葉だな、それ」
鎧角鹿がこちらを向いた。
鼻から荒く息を吐く。
前脚が地面を掻いた。
「来る」
律が言った直後。
鎧角鹿が走った。
「うわっ!」
二人が左右へ散る。
相棒も横へ動く。
巨体が三人の間を突き抜けた。
地面が揺れる。
鎧角鹿は十数メートル先で止まり、すぐに向きを変えた。
「速っ!」
迅がK12を構える。
照準。
発砲。
乾いた音が森に響いた。
一発。
二発。
弾丸が鎧角鹿の肩へ当たる。
硬い皮膚が弾けた。
だが、倒れない。
「効いてない?」
「効いてる。でも浅い」
「浅いって顔じゃねえぞ!」
鎧角鹿が再び突進する。
今度の狙いは相棒だった。
「避けて!」
相棒が左へ踏み出す。
接触の直前。
右腕を振る。
小型防楯が角に当たった。
甲高い金属音。
角の軌道が外れる。
それでも衝撃までは消せない。
相棒の身体が横へ弾かれ、二歩、三歩とよろめいた。
「相棒!」
転倒はしなかった。
右腕も動いている。
鎧角鹿はそのまま木の横を通り抜け、また止まった。
迅が目を見開く。
「昨日の盾、役立ったな」
「ないよりまし」
「いや、今のはだいぶマシだっただろ!」
鎧角鹿が振り返る。
律は肩を見る。
迅の弾が当たった場所から血が滲んでいる。
硬い。
だが、全身が同じではない。
「頭と肩は狙わない」
「どこ?」
「脚」
「了解」
迅が姿勢を低くする。
鎧角鹿が三度目の突進。
迅はぎりぎりまで待った。
発砲。
一発目が前脚の外側。
二発目が少し上へ入る。
鎧角鹿の走りが崩れた。
それでも止まらない。
「まだ来る!」
律もP8を構える。
二発。
腹側を狙った弾が当たる。
鎧角鹿の身体が揺れた。
迅の横を角が掠める。
「っ!」
迅が地面を転がった。
鎧角鹿が通り過ぎる。
立ち上がった迅が腰へ手を伸ばす。
手榴弾のポーチ。
「使う?」
律が首を振る。
「まだ」
「了解!」
鎧角鹿が止まる。
前脚を引きずっていた。
迅の弾が効いている。
律は相棒を見る。
「次、横から」
相棒が走り出した。
鎧角鹿も動く。
だが、先ほどまでの速度はない。
負傷した前脚を庇いながら、それでも角を前へ向ける。
迅が反対側へ回る。
一発。
鎧角鹿の注意が迅へ向いた。
「こっちだ!」
再び発砲。
鎧角鹿が迅へ突進する。
踏み込んだ前脚が沈む。
身体が傾いた。
「今!」
相棒が側面からぶつかった。
百キロを超える機体の重量が、崩れた姿勢へ加わる。
鎧角鹿の巨体が横倒しになった。
地面が大きく揺れる。
「行け!」
相棒が接近する。
倒れた鎧角鹿が頭を振る。
角が薙ぎ払われた。
相棒は右腕を差し出し、防楯で角を外へ弾く。
そのまま一歩。
首の付け根へ右腕を押し当てる。
パイルバンカーの先端が硬い皮膚へ触れた。
「撃って」
次の瞬間。
――ガンッ!
重い音が響いた。
杭が撃ち込まれる。
鎧角鹿の身体が大きく跳ねた。
四肢が地面を掻く。
そして。
少しずつ動きが弱くなった。
森が静かになる。
迅はK12を構えたまま、しばらく待った。
「……終わった?」
律も鎧角鹿を見ている。
「たぶん」
「たぶんって」
さらに少し待つ。
動かない。
律はようやく息を吐いた。
「終わった」
迅が銃口を下げた。
倒れた鎧角鹿を見る。
次に相棒の右腕。
「……それ強くない?」
「近づければ」
「そこだよな」
迅は自分のK12を見る。
「肩に撃っても全然止まらなかったし」
「弾は入ってた」
「入るのと止めるのは別か」
「うん」
「やっぱ、もう少し威力ある銃欲しいな」
律が迅を見る。
「機巧用重銃?」
「俺の肩なくなるだろ」
「三枝さんも言ってた」
「人間用で探す」
迅はそう言って、腰のポーチを叩いた。
「結局こいつも使わなかったな」
「使わない方がいい」
「まあな。鹿の肉まで傷めたら損だし」
律は倒れた鎧角鹿を見る。
「血抜きするよ」
「はいはい」
◇
処理を終える頃には、日が少し傾いていた。
鎧角鹿は大きかった。
二人と相棒だけで持ち上げられる重さではない。
車まで戻り、荷台のウインチを使う。
ワイヤーを掛け、相棒が身体の向きを整える。
モーター音とともに巨体が少しずつ荷台へ引き上げられた。
「こういう時、車って偉大だな」
迅が言った。
「うん」
「これ歩きだったらどうしてた?」
「持って帰れない」
「だよな」
固定具を締める。
荷台の上には、討伐した鎧角鹿。
森を出て街道へ戻る。
横転したトラックが、行きと同じ場所に残っていた。
迅が窓の外を見る。
「これで回収に来れるな」
「報告が終われば」
「じゃ、さっさと帰ろうぜ」
律は頷いた。
車を黒瀬へ向ける。
荷台では、相棒が鎧角鹿の隣に座っている。
右腕のパイルバンカーには、まだ薄く血が付いていた。
新しい武装の初仕事としては、十分すぎる相手だった。




