地図の外側
うん。
今回はその部分だけじゃなくて、「仮探索士ではできなかった」ように読める表現や、設定を断定しすぎているところも一緒に整えたよ。
その日の夜。
律は自室のベッドに寝転がり、端末を眺めていた。
画面には、正式探索士になったことで新しく受けられるようになった依頼が並んでいる。
《街道警戒》
《物資輸送護衛》
《旧市街区・資材回収》
《野良機巧目撃地点調査》
その下には、
《Eランク以上》
《Dランク以上》
と灰色になった依頼もある。
律は試しに一つ押した。
《現在の探索士ランクでは受注できません》
「分かってる」
端末に言って、一覧へ戻る。
《久世律》
《正式探索士》
《ランク:F》
昼から何度か見ている表示だ。
律は依頼一覧を閉じ、地図を開いた。
最初に表示されたのは黒瀬周辺。
町を囲む外壁。
主要街道。
探索済み区域。
犬型の目撃地点。
普段見るのは、ほとんどこの範囲だ。
律は地図を少し縮小した。
《黒瀬》
《人口:約12,000》
十六年間暮らしてきた町が、画面の中で小さくなる。
そこで表示項目を開いた。
《旧文明地図》
律はそれを選択する。
現在の地図の下から、無数の細い線と文字が浮かび上がった。
五百年以上前。
文明が崩壊する以前に使われていた地図だ。
道路。
鉄道。
学校。
病院。
商業施設。
今ではほとんど残っていないものが、現在の地図に透けるように重なる。
「……多いな」
黒瀬の周囲だけでも、道の数がまるで違う。
少し拡大すると、現在の地名の下に古い文字が現れた。
《旧地名:羽曳野市》
「羽曳野……」
学校で習った名前だった。
五百年以上前、この辺りはそう呼ばれていたらしい。
当然、その頃の地図に黒瀬という町はない。
昔は、地域によって話す言葉にも違いがあったという。
この辺りでは、関西弁と呼ばれる言葉が使われていた。
古い文献にも、その名前が残っている。
今の黒瀬で使う人間はいない。
ただ、浪華から来る商人の中には、それに似た話し方をする者がいるという噂を聞いたことがあった。
本当に昔から残っているのか。
商人の間で受け継がれてきたものなのか。
律は知らない。
「五百年も残るのかな」
少し考える。
だが、機巧とは関係がなさそうだった。
律は地図へ意識を戻した。
旧文明地図だけなら、黒瀬の外へ何本もの道が続いている。
現在情報を重ねると、その印象は変わる。
今も通行が確認されている道。
探索士が最近調査した区域。
危険情報の残されている場所。
その先には、
《現況不明》
の表示が広がっていた。
律は地図を北西へ動かす。
《浪華》
《旧大阪駅周辺》
《推定人口:約38,000》
「三倍以上か」
黒瀬よりはるかに大きな都市。
商人が集まり、武器や車輌、機巧部品の流通も多い。
高ランクの探索士も、黒瀬より浪華を拠点にする者が多い。
律も名前くらいは昔から知っている。
工房へ来る客から話を聞いたことも何度もあった。
だが、一度も行ったことはない。
黒瀬から浪華までの経路を表示する。
旧文明地図では、何本もの道路がつながっている。
現在の推奨経路は、その中から大きく迂回していた。
《確認済み街道を優先》
《一部危険区間あり》
「地図だと近いのに」
昔の道が残っているからといって、今も通れるわけではない。
律はさらに縮小した。
浪華の北東。
《京洛》
《旧京都市域》
《人口:約18,000》
旧京都市周辺に形成された都市だ。
浪華を経由して、商人や物資が行き来している。
さらに西。
《六甲》
《旧神戸市域》
《人口:約15,000》
こちらも浪華との交易がある。
京洛も六甲も名前は知っている。
律にとっては、まだ一度も訪れたことのない場所だった。
奈良へ指を滑らせる。
《旧奈良地域》
《恒久居住都市:確認されず》
和歌山。
《恒久居住都市:確認されず》
滋賀も同じだった。
律は旧文明地図を一度消した。
黒瀬。
浪華。
京洛。
六甲。
現在確認されている都市だけを見ると、地図は急に寂しくなる。
「昔は、全部つながってたんだな」
道路も。
鉄道も。
町も。
今は、その間に広い空白がある。
さらに縮小すると、日本列島が画面に収まった。
律は東へ指を滑らせる。
《旧東京地域》
《大規模有人地域が存在するとの情報あり》
《詳細:未確認》
「東京……」
黒瀬よりも、浪華よりもずっと大きな都市がある。
そんな話は律も聞いたことがある。
何万人も暮らしている。
十万人近いともいう。
旧文明の施設が数多く残っているという話もあれば、黒瀬では見たこともない機巧が使われているという話もある。
ただ、黒瀬まで届くのは噂ばかりだった。
試しに経路を検索する。
《安全経路を算出できません》
「まあ、そうだよね」
日本の形は分かる。
五百年前にどこに町があったのかも分かる。
それでも今、そこに何があるのかはほとんど分からない。
律は少しだけ地図を引いた。
海の向こうには大陸も島々も表示されている。
それも、五百年以上前の地図に残されたものだ。
現在の情報はほとんどない。
沖へ出た船は戻らない。
遠くまで飛ばした機巧も戻らない。
世界の形だけは知っている。
その中身は分からない。
律は地図を大阪まで戻した。
そこで、黒瀬から南西。
海へ向かった先に広がる赤い区域が目に入った。
指が止まる。
《旧関空》
現在情報を表示する。
《高危険区域》
《野良機巧多数》
《危険度:極高》
《探索士協会推奨ランク:B以上》
《単独進入非推奨》
「B……」
今の律はFランク。
すぐに向かえる場所ではない。
赤い区域を拡大する。
黒瀬周辺で報告される野良機巧は、ほとんどが犬型だ。
地上を広く巡回し、地形や生物の状態を調べていると考えられている機巧。
それが西へ向かうにつれ、目撃記録の内容が変わっていく。
《犬型》
《猪型》
《機種不明・大型四脚》
さらに奥へ進むほど、記録そのものが少なくなった。
律は画面を見つめる。
記録が少ないからといって、安全とは限らない。
単純に、調査例が少ない可能性もある。
北東で遭遇した七体の犬型を思い出した。
逃げた一体。
後日、なくなっていた残骸。
制御核から読み取れた記録。
《定期通信》
《位置情報更新》
《状態情報送信》
《通信完了》
通信先は分からなかった。
送られた内容も確認できなかった。
律は赤い区域へ指を置く。
「……ここから来てる?」
証拠はない。
ただ、地図を見る限り、犬型以外の野良機巧は堺泉北に近い地域で報告されることが多い。
何か理由があるのかもしれない。
《探索士協会推奨ランク:B以上》
もう一度、その表示を見る。
「……まだ無理か」
律は地図を少し引いた。
黒瀬。
浪華。
京洛。
六甲。
その間に広がる未確認区域。
そして南西にある、赤い堺泉北。
三か月前まで、律が気にしていたのは町の近くを歩く野良機巧だった。
今は、その先にも目が向いている。
律は端末を閉じた。
暗くなった画面に、自分の顔がぼんやり映る。
「……広いな」
黒瀬の外は。
律が思っていたより、ずっと広かった。




