探索士
朝倉澪が、小さく笑った。
「久しぶり」
律は受付の前で、しばらく澪の顔を見ていた。
「……ここで働いてるの?」
「うん。今年から」
「知らなかった」
「律はそういうの、本当に興味無いよね」
呆れたように言いながらも、澪は笑っている。
基礎学校を卒業したあと、澪は情報・通信関係の専門課程へ進んだ。
二年間の課程を終え、そのまま黒瀬探索士協会へ就職したらしい。
「迅は知ってるの?」
「知ってるよ。この前ここで会ったし」
「そうなんだ」
「律だけ知らなかった」
「そうみたい」
「もう少し気にしようよ」
何を、と聞こうとして、律はやめた。
澪が受付台の上に置かれた端末へ目を落とす。
「それで、昇格審査だよね」
「うん。観測器を受け取りに来た」
「確認するね」
律の端末から審査情報を読み取る。
《久世律》
《正式探索士昇格審査》
《北東第三区画・定期観測器交換》
「あ、本当に北東第三区画なんだ」
「何かある?」
「最近、犬型の目撃記録が少し増えてる」
律の視線が端末へ向いた。
「どの辺?」
「その顔やめて」
「どんな顔?」
「機巧を見つけた時の顔」
澪は律を見たあと、その隣へ視線を移した。
そこで初めて、相棒をじっくり見る。
「……この子も連れていくんだ」
「うん」
澪が受付から少し身を乗り出した。
「それって、汎用型だよね?」
「汎用人型作業機巧」
「やっぱり」
相棒は何も言わず、律の横に立っている。
身長は百四十センチほど。
左右で異なる腕。
交換を重ねた脚部。
腰には、三か月前にはなかった機巧刀用の金属ホルダー。
澪が目を細めた。
「前に見た時より、すごいことになってない?」
「脚と姿勢制御を調整しただけ」
「それを『だけ』って言うの、律くらいだと思う」
「そう?」
「そう」
澪は相棒の腰へ目を向けた。
「刀まで持ってるし」
「父さんにもらった」
「戦う機巧みたいになってる」
「作業機巧だよ」
「見た目はだいぶ怪しいけどね」
それから澪が、ふと思い出したように聞いた。
「そういえば、この子って名前なんていうの?」
「相棒」
「……相棒?」
「うん」
「それ、名前?」
「迅にも同じこと言われた」
「だよね」
澪が笑う。
「じゃあ本当の名前は?」
「ない」
「つけないの?」
律は相棒を見る。
相棒も律を見る。
「相棒で通じるから」
「本人の意見は?」
「聞いても答えない」
「それはそうでしょうね」
澪は笑いながら、席を立った。
「観測器持ってくるから、ちょっと待ってて」
しばらくして戻ってきた澪は、両手で灰色の箱を抱えていた。
工具箱を少し大きくしたような形だ。
側面には折り畳み式の取っ手と固定金具。
重量は六キロほど。
正面に小型のカメラと複数のセンサーが並んでいる。
澪が受付台へ置く。
《観測器 NE3-018》
「これが交換用」
律が固定金具を確認する。
「前のと同じ型?」
「同じ。設置場所も端末に入ってる」
澪が操作すると、律の端末へ情報が転送された。
《貸出機材:NE3-018》
《貸出先:久世律》
《返却対象:NE3-011》
「設置したら動作確認。古い方は必ず持って帰ってきてね」
「うん」
「周辺に変化があったら記録」
「うん」
「それと――」
澪が律を見る。
「審査だからって、無理しないこと」
「分かってる」
「本当に?」
「二回撤退してる」
「それなら少し安心かな」
律は観測器を持ち上げた。
相棒が腕を伸ばす。
「持つ?」
相棒が受け取った。
「便利だね」
「作業機巧だから」
「そういう時だけ強調するよね」
律には、その意味がよく分からなかった。
◇
久世工房の小型貨物車で北東へ向かった。
市街地を抜け、北門を通過する。
そこから先は舗装された街道がしばらく続く。
助手席は空いていた。
いつもなら迅が座っている場所だ。
話し声もない。
時々聞こえるのは、荷台で固定された相棒が動く小さな金属音だけ。
三か月の間、迅と何度も外へ出た。
危険を見つければ、どちらかが止まる。
意見が割れれば話す。
迅が先に気づくものもあれば、律が先に気づくものもあった。
今日はそれがない。
進むのも。
止まるのも。
戻るのも。
全部、自分で決める。
「……なるほど」
律は運転しながら呟いた。
単独実地審査。
その意味が、少し分かった気がした。
◇
街道から旧道へ入ったところで、車を停めた。
この先は路面の崩れがひどい。
無理をすれば進めなくもないが、帰りに状況が悪化すれば面倒だった。
律は端末へ駐車位置を記録する。
相棒を荷台から降ろす。
交換用観測器は相棒に持たせた。
「行こう」
相棒が歩き出す。
旧道は静かだった。
ひび割れた路面。
両側から伸びた草木。
ところどころに、かつて人が使っていた施設の基礎だけが残っている。
目的地まで、あと一キロほど。
その時。
相棒が止まった。
頭部が右へ向く。
律も足を止めた。
「何かいる?」
相棒の視線の先。
崩れた壁の向こう。
一瞬だけ、金属質の脚が見えた。
律は腰のP8へ手を伸ばす。
犬型。
距離はおよそ七十メートル。
まだこちらには気づいていないらしい。
低い姿勢で地面の匂いを探るように頭部を動かしている。
律はしばらく観察した。
脚部。
胴体。
頭部センサー。
以前回収した個体と似ている。
もっと近くで見れば、細部まで確認できる。
一歩。
足が動きかけた。
止める。
今回の依頼は、犬型の調査ではない。
観測器の交換だ。
「……迂回する」
相棒が律を見る。
律は端末で地形を確認し、旧道から少し外れた斜面を指した。
「あっちから行く」
犬型から距離を取る。
斜面は歩きにくかったが、相棒が枝を押し退けながら進んだ。
十分ほど遠回りして、再び旧道へ戻る。
犬型の姿は見えなくなっていた。
律は一度だけ後ろを振り返った。
「……帰りにまだいたら見る」
相棒は何も答えない。
「見るだけ」
当然、返事はなかった。
◇
観測地点へ着いたのは昼前だった。
古い道路脇。
低いコンクリート基礎の上に、灰色の観測器が固定されている。
《NE3-011》
「これだ」
律は周囲を見回した。
すぐに違和感へ気づく。
観測器が傾いている。
固定金具が緩んだわけではない。
基礎の周囲の土が流れていた。
さらに、伸びた低木がカメラの前へ入り込んでいる。
律はしゃがみ込む。
「このまま同じ場所につけても駄目だな」
端末で位置を確認する。
少し南東へ歩く。
三メートルほど先に、古い舗装面が残っていた。
地盤もこちらの方が安定している。
律は戻り、古い観測器を外した。
「押さえて」
相棒が基礎部分を支える。
律は固定具を外し、NE3-011を回収袋へ入れた。
次に、新しい観測器を持って移動する。
舗装面の亀裂を確認。
周囲の草を払う。
相棒に本体を保持させたまま、律が固定位置を調整した。
「もう少し右」
相棒が動かす。
「止めて」
水平を確認。
固定。
電源を入れる。
《NE3-018》
《起動》
《映像:正常》
《振動検知:正常》
《音響検知:正常》
《温度計測:正常》
《記録開始》
「よし」
端末へ記録を残す。
《設置位置変更:旧設置地点より南東3.2m》
《理由:旧地点周辺に地盤流出を確認》
《旧地点では植生による視界遮蔽あり》
周囲の写真も撮る。
地面には、小さな足跡。
獣のものだ。
さらに少し離れたところには、別の跡が残っていた。
四足。
地面への沈み込みが浅い。
律はしゃがみ込む。
「犬型……かな」
端末で撮影。
《周辺状況:機巧と思われる四足歩行痕を確認》
《推定:犬型》
それ以上は追わなかった。
今回の仕事は終わっている。
「帰ろう」
相棒が歩き出した。
◇
旧道を戻る途中。
相棒が再び止まった。
今度は律にも見えた。
道路の先。
犬型が立っている。
距離は五十メートルほど。
こちらを見ていた。
律はP8を抜く。
相棒の右手が腰の機巧刀へ伸びる。
「待って」
犬型は動かない。
律たちも動かない。
数秒。
犬型の頭部センサーがわずかに動いた。
観察されている。
そんな感覚がした。
律は一歩、後ろへ下がる。
犬型は追ってこない。
「下がる」
相棒と一緒に、ゆっくり距離を取る。
二十メートル。
三十メートル。
犬型はその場にいた。
律はP8を構えたまま、横道へ入った。
姿が見えなくなる。
それでもしばらく歩き続けた。
追跡反応はない。
律はようやく銃口を下げた。
「……戦わなくて済んだ」
少しだけ惜しいと思った。
その感情は、口にしなかった。
◇
黒瀬へ戻ったのは午後三時を少し過ぎた頃だった。
北門を越える。
端末が市内網へ接続する。
《行動記録を送信します》
《送信完了》
そのまま探索士協会へ向かった。
朝より人の増えた受付。
澪はまだそこにいた。
律を見つけると、小さく手を上げる。
「おかえり」
「ただいま」
律は回収した観測器を受付台へ置いた。
「NE3-011。回収した」
「確認するね」
澪が管理番号を読み取る。
《返却確認》
「新しい方は?」
「設置済み。場所を少し変えた」
「場所?」
「地盤が流れてた。元の位置だとまた傾くと思う」
澪が端末に届いた記録を確認する。
「南東三・二メートル……写真もあるね」
「あと犬型がいた」
「戦った?」
「避けた」
澪が顔を上げた。
「珍しい」
「どういう意味?」
「そのままの意味」
「依頼に関係なかったから」
「うん。それでいいと思う」
旧観測器はそのまま奥へ運ばれていった。
律は受付近くの椅子に座って待つ。
特別なことは何もない。
行動記録。
現地写真。
観測器の設置状態。
回収機材。
協会側でそれらが確認されているだけだ。
十分ほど経った頃。
端末が震えた。
律が画面を見る。
《正式探索士昇格審査》
《判定:合格》
その下の探索士情報が更新される。
《久世律》
《正式探索士》
《ランク:F》
「……終わり?」
律が呟く。
「終わり」
いつの間にか近くまで来ていた澪が言った。
「もう少し何かあると思ってた?」
「試験っぽい何か」
「今日ずっと試験だったでしょ」
律は端末を見る。
「犬型、倒してないけど」
「討伐依頼じゃないよね?」
「うん」
「なら倒す必要ないでしょ」
澪が少し笑う。
「観測器を交換して、必要な記録を取って、無事に帰ってきた。それで十分」
律はもう一度、表示された文字を見る。
《ランク:F》
三か月前。
仮探索士になるための試験を受けた時とは違う。
射撃標的も。
筆記試験も。
試験官もいなかった。
外へ行き。
仕事をして。
帰ってくる。
それだけだった。
けれど、それが正式な探索士になるための最後の条件だった。
◇
「律!」
聞き慣れた声がした。
振り返る。
協会の入口から、迅が入ってきた。
服には土がついている。
「戻ったんだ」
「今な。お前は?」
律は端末を見せた。
《ランク:F》
「受かった」
「お、先越された」
「迅は?」
「提出したとこ」
迅が受付へ向かう。
西街道支線の崩落地点は、予想以上に崩れが進んでいたらしい。
通行可能な幅を測り、迂回路候補を記録して戻ってきたという。
しばらくして。
迅の端末も震えた。
《橘迅》
《正式探索士》
《ランク:F》
「よし」
迅が拳を握る。
「これで正式探索士だな」
「うん」
「受けられる依頼も増えるぞ」
迅が自分の端末を操作する。
律も依頼一覧を開いた。
今まで選択できなかった項目が、いくつも表示されている。
《Fランク以上》
《街道警戒》
《物資輸送護衛》
《旧市街区・資材回収》
《野良機巧目撃地点調査》
律の指が止まる。
「おい」
「なに?」
「最後のやつ見るな」
「まだ何も言ってない」
「顔に出てる」
澪が受付の向こうから笑った。
律は依頼一覧へ視線を戻す。
三か月前より。
少しだけ、行ける場所が増えた。




