9.愛されていたのかもしれない
「お姉様…っ、お姉様ぁ……!」
セレナは子供のように泣きじゃくっていた。その小さな身体を抱き締めながら、リシェルは呆然としていた。
温かい。柔らかい。妹に触れているのに、誰も傷ついていない。暴走も起きない。
…信じられなかった。
「………どうして」
掠れた声が漏れる。
ずっと怖かった、またセレナを傷つけるのではないかと。だから、会わなかった。近づかなかった。なのに。
「お姉様、細い……」
セレナが泣きながら呟く。
「ちゃんとご飯食べてるの…?」
「え……」
「こんなに痩せて…」
その声は心底心配そうで、リシェルの胸がぎゅっと締めつけられた。自分を心配してくれる人なんて、もういないと思っていた。
侯爵夫人は涙を堪えるように口元を押さえていた。クラウスは静かにその様子を見つめる。
ーーようやく繋がったのだ。
長い長い誤解が、少しずつ。
◇
セレナは顔を上げ、真っ赤な目のままリシェルを見る。
「お姉様」
「……なあに?」
「私、ずっと嫌われてると思ってたの」
リシェルが目を見開く。
「お父様もお母様も、お姉様の話をすると苦しそうで…」
セレナは幼い頃を思い出すように言葉を続けた。
「北棟には行っちゃ駄目って言われて…お姉様は病気だから、って。でも、私の前で皆すごく悲しそうで……」
だから。
「…だから、お姉様は、私を見るのも嫌なんだと思ってた」
「違う……!」
リシェルは即座に首を振る。
「そんなわけない……!」
泣きそうな声だった。
「私は、セレナが大好きよ…!」
その瞬間、セレナがまた泣き出した。
「じゃあもっと早く会いたかったぁ…!」
「ごめんなさい…っ」
「私も、ごめんなさいぃ……!」
姉妹揃って泣き崩れる。
侯爵夫人もとうとう堪えきれず、静かに涙を零した。
◇
クラウスはそっと息を吐いた。ようやく見えてきた。この家族は壊れていたわけじゃない。ただ、守り方を間違えただけだ。皆が皆、相手を想っていた。なのに恐怖と誤解が、十八年もの隔たりを作ってしまった。
クラウスはふと気づく。
リシェルの周囲の魔力が、とても穏やかだ。以前感じた不安定さがない。まるで安心しているように。
「感情が安定すると、魔力も落ち着くのか……」
小さく呟く。
文献の内容は正しかった。孤独や自己否定が、彼女を追い詰めていたのだ。
なら。
彼女が愛されていると知れば、もっと安定するかもしれない。
◇
その時だった。
廊下の向こうから慌ただしい足音が響く。
「奥様!!」
執事が血相を変えて飛び込んできた。
「旦那様がお戻りにーー」
言い終わる前に、重い足音が近づいた。
次の瞬間。
バンッ!!
勢いよく扉が開かれる。
「リシェルが暴走したと聞いたが!!」
現れたのはアルヴェイン侯爵だった。厳格な顔立ちに、鋭い眼光。だが今は明らかに焦っている。
彼は室内を見渡しーー固まった。
「…………」
リシェルとセレナが抱き合っている。
侯爵夫人が泣いている。
クラウスが立っている。
予想外すぎる光景に、未だ呆然としていた。
「お、お父様……」
リシェルが恐る恐る声を掛ける。侯爵の喉が僅かに動いた。侯爵は拳を強く握り締めた。娘にどう接すればいいのか、十八年間答えを見つけられなかった。
…愛している。だが近づけば、いつか一緒に暮らせると期待させるかもしれない。さらに、もし王家に知られれば、娘は奪われる。だから距離を置いた。嫌われてもいいから、生きていてほしかった。
なのに。
娘は今、怯えた目でこちらを見ている。その事実が、侯爵の胸を深く抉った。それでも。
「……怪我はないか」
低い声だった。だがその言葉に込められた感情を、クラウスは聞き逃さなかった。心配している。本気で。
リシェルは呆然としていた。
父からそんな言葉を掛けられた記憶がない。
「え……」
「暴走したと聞いた」
侯爵は苦しげに眉を寄せる。
「苦しくなかったか」
リシェルの目が大きく揺れた。どうして。どうして皆、そんな顔をするのだろう。
…まるで、本当に自分を大切に思っているみたいに。
リシェルの胸に、知らない感情が広がっていく。温かくて、苦しくて。涙が出そうになるほど、優しい感情だった。




