10. 嫌われてもよかった
夜は静かに更けていた。
アルヴェイン侯爵家本館の執務室には、重苦しい空気が漂っている。窓際に立つ侯爵は、深く息を吐いた。
向かいにはクラウス。二人の間には長い沈黙が落ちていた。
「……単刀直入に聞きます」
やがてクラウスが口を開く。
「リシェルは“魔喰い”ですね」
侯爵の目が鋭く細められた。
図星だった。
「どこまで調べた」
「文献を少し」
クラウスは静かに続ける。
「感情によって魔力が暴走する特殊体質。王家が危険視している存在で、過去に研究対象にされた事例もある」
侯爵は苦しげに目を閉じた。
「……そこまで知っているなら話は早い」
低い声だった。
「そうだ。リシェルは魔喰いだ」
室内の空気がさらに重くなる。
クラウスは拳を握り締めた。
「やはり」
「だが誤解するな」
侯爵の声音が鋭くなる。
「我々はあの子を疎んでいたわけではない」
「分かっています」
クラウスは即答した。もう気づいていた、侯爵夫妻はリシェルを愛している。ただ、その愛し方が致命的に不器用だった。侯爵は苦々しく眉を寄せる。
「幼い頃から、リシェルは何度か暴走した」
静かに語り始める。
「その度に、結界でなんとか抑えてきた。だがあれは何年前だったか…特に激しく暴走した時があった。結界も意味がなく、他に何も出来なかった。かといって幼い子供に制御など出来るはずもない…。恐怖で泣き叫び、周囲の魔力を暴走させたーーその結果、屋敷の一部は崩壊し、使用人達は皆重軽傷。妻も倒れ、セレナは生死を彷徨った」
クラウスは黙って聞いていた。
侯爵の声には後悔が滲んでいる。
「…王宮へ報告すれば、あの子は連れて行かれる」
その言葉に、クラウスの目が険しくなる。
「研究施設ですか」
「……ああ」
侯爵は吐き捨てるように言った。
「人として扱われん。最後には………」
過去の記録を、彼は知っている。特殊魔力保持者は“国の資源”として消費消費された。人格も人生も尊重されない。だから侯爵夫妻は決断した。
ーー娘を隠すと。
「だから、北棟に隔離し、病弱ということにした。最低限しか人を近づけなかった。感情刺激を避けるために……」
消え入りそうな声で言う。
「………家族も、距離を取った」
クラウスは静かに問う。
「その結果、リシェルがどう思ったかは?」
侯爵が言葉を失う。
「…………分かっていた。あの子が傷ついていることも」
掠れた声。
「だが、他にどうすれば良かったのか分からなかった」
愛している。けれど近づけば期待させる。期待させて、もし奪われたら。娘はもっと苦しむ。
「…嫌われてもよかった」
侯爵は拳を握り締める。
「リシェルが生きていてくれるなら、それでよかったんだ……!」
その声は、父親そのものだった。
クラウスはしばらく黙っていた。
怒りが消えたわけではない。リシェルは確かに傷ついていた…十八年間も。
だが、この父親もまた、苦しんでいたのだ。
「……不器用すぎます」
クラウスが低く言う。
侯爵は自嘲するように笑った。
「否定はせん」
「リシェルは、自分が愛されていないと思っています」
その言葉が侯爵の胸を抉る。
苦しげに目を伏せた。
「分かっている」
「なら伝えてください」
クラウスは真っ直ぐ侯爵を見る。
「もう十分でしょう」
侯爵は動かなかった。長年積み重ねた恐怖は簡単には消えない。
もし娘が再び暴走したら。
もし王宮に知られたら。
その不安が消えない。
「……クラウス殿」
侯爵が静かに問う。
「何故そこまで、あの子に関わる」
クラウスは少しだけ目を見開いた。
何故って、そんなもの、決まっている。クラウスの脳裏に、北棟で笑ったリシェルの顔が浮かぶ。だが口にするにはまだ早い気がした…それでも。
「放っておけない」
自然と言葉が出る。
「笑ってほしいと思う。幸せになってほしいとも」
侯爵は黙って彼を見つめていた。
やがて、ふっと目を細める。
「……あの子に必要なのは、君のような人間なのかもしれんな」
「え?」
「我々は恐れすぎた」
侯爵は疲れたように椅子へ腰掛けた。
「愛していたのに、伝えることから逃げた」
静かな後悔だった。
「だから君が、あの子の隣にいてくれるなら……」
そこで侯爵は言葉を切る。侯爵の視線は真っ直ぐだった。まるで十八年間守り続けた宝物を、託そうとしているように。
クラウスは静かに息を吸った。
「侯爵」
「何だ」
「俺は――」
言いかけた瞬間。
バンッ!!
突然、執務室の扉が激しく開かれた。
「旦那様!!」
執事が青ざめた顔で飛び込んでくる。
「大変です!!」
侯爵が立ち上がる。
「何事だ!」
「北棟の結界が……!」
その瞬間。
屋敷全体が、大きく揺れた。




