11.化け物なんかじゃない
地鳴りのような振動が屋敷を襲った。窓ガラスが激しく震える。クラウスは即座に立ち上がった。
「リシェル!」
侯爵も顔色を変える。
「結界はどうした!」
執事は青ざめたまま叫んだ。
「北棟周辺の魔力が急激に増大しています! 結界術師達が抑えきれません!」
侯爵の顔から血の気が引いた。
「馬鹿な……!」
クラウスはすでに走り出していた。
北棟へ向かう廊下では、使用人達が恐怖に顔を強張らせている。空気が震えていた。肌を刺すような濃密な魔力。普通の人間なら立っているだけで気分が悪くなるほどだ。
「副団長!!」
結界術師が叫ぶ。
「近づくのは危険です!」
「リシェルは!」
「部屋から出ていません! ですが魔力が――」
その時。
バキィッ!!
北棟の窓ガラスが一斉に砕け散った。悲鳴が上がる。銀色の魔力が夜空へ噴き上がった。
クラウスは目を見開く。
「……くそっ!」
彼は迷わず結界へ飛び込んだ。
「副団長!!」
制止の声を無視する。魔力の奔流を感じたが、不思議と苦しくない。むしろ、呼ばれている気さえした。
◇
北棟最奥。
書庫の扉は半壊していた。室内では本棚が浮き上がり、机や椅子が宙を舞っている。銀光が荒れ狂っていた。
その中心にリシェルが蹲っていた。
「……っ、はっ…う……」
苦しそうな呼吸。肩が震えていた。
「リシェル!」
クラウスが叫ぶと、リシェルが顔を上げた。紫水晶の瞳が涙で濡れている。
「来ちゃ、駄目です……!」
震える声だった。
「お願い、逃げて……!」
魔力がさらに荒れる。床が軋み、壁に亀裂が走る。クラウスは眉を寄せた。昨日より酷い。
ーー何かが違う。
「何があった!」
リシェルは唇を噛み締める。
その時、廊下の向こうから侯爵夫人の声が響いた。
「リシェル!!」
続いてセレナも駆け込んでくる。
「お姉様!」
「来ないで!!」
リシェルが悲鳴のように叫んだ。
「皆傷つく……!」
彼女の周囲で魔力が爆発的に膨れ上がる。
術師達が外で悲鳴を上げた。
「結界が持ちません!!」
侯爵も駆けつけ、顔を強張らせる。
「まずい……!」
十八年前と同じだ。
恐怖と自己否定、それが魔力を暴走させている。なぜだ。何があった?
クラウスはすぐ理解した。リシェルはまた、自分を責めている。
◇
「リシェル!」
クラウスは彼女へ向かって歩き出した。
「駄目です!!」
銀光が激しく迸る。普通の人間なら吹き飛ばされる威圧。だがクラウスは止まらない。
「俺を見ろ」
「来ないで……!」
「君は誰も傷つけない」
「違う!!」
リシェルが泣き叫ぶ。
「私は化け物だから!!」
一瞬のち、侯爵夫妻が息を呑む。セレナの顔が歪む。クラウスの胸に、強烈な怒りが湧き上がる。なぜ彼女がそんなことを思わなければならない!十八年間、一人でどれほど孤独だったかーー
怒りで手が震える。
「リシェル!」
クラウスは彼女の目の前まで歩み寄った。暴風のような魔力が吹き荒れる。それでも彼は怯まない。
「よく聞け」
群青の瞳が真っ直ぐ彼女を射抜く。
「君は化け物なんかじゃない!絶対に違う!」
リシェルの瞳が揺れる。
「君は優しい。誰よりも人を傷つけたくなくて、ずっと一人で耐えてきたんだ」
クラウスはそっと彼女の頬へ触れた。
「そんな君を、俺は化け物だなんて思わない」
その瞬間。
リシェルの瞳から大粒の涙が溢れた。
「……っ、ぁ……」
崩れるように彼女の身体が傾く。クラウスはすぐ抱き留めた。と同時に、荒れ狂っていた銀光が、ふっと弱まる。まるで安心したように。
侯爵夫妻が目を見開いた。結界術師達も呆然としている。
「……止まった?」
誰かが呟く。リシェルはクラウスの胸元へ縋るように掴まっていた。震えながら泣きじゃくる。
「……こ、わかっ…た…」
小さな声が、途切れ途切れに聞こえてくる。
「ま、た…っ、みんなを、きずつけて、き、嫌われる、また、ひとりに、な…こわか、った……」
クラウスは彼女を強く抱き締め頭を撫でる。
「嫌うわけないだろ」
その声は、驚くほど優しかった。侯爵夫人が口元を押さえて泣き崩れる。セレナも涙を零していた。侯爵はただ、苦しげに目を伏せる。
ーー娘は今までずっと、こんな恐怖の中で生きてきたのか…十八年も。




