12.届いた想い
暴走は収まった。だが北棟にはまだ重い静寂が残っていた。割れた窓から夜風が吹き込み、床に散らばる紙片を揺らす。
リシェルはクラウスに抱き支えられたまま、ぼんやりと俯いていた。
「……ごめんなさい」
掠れた声。その言葉に、侯爵夫人が泣きそうな顔をする。
「違うのよ、リシェル」
「屋敷まで壊してしまって…」
「そんなことどうでもいいのよ!」
思わず叫ぶような声だった。
リシェルがびくっと肩を震わせる。
侯爵夫人は慌てて口元を押さえた。
「ご、ごめんなさい…怒ったわけじゃなくて……」
完全に空回りしていた。娘を安心させたいのに、緊張のあまり上手く言葉が出ない。リシェルの背中をさすりながら、クラウスは小さく息を吐く。本当に似たもの家族だ、不器用すぎる。
「お姉様」
セレナがそっと近づいた。リシェルは反射的に身を強張らせるが、セレナは怯まない。少し身をかがめ、泣き腫らした目で姉を見上げた。
「苦しかった?」
優しい声だった。リシェルは答えられない。ずっと苦しかった。でも、それを言ってはいけないと思っていた。
「…ごめんなさい」
結局また謝罪が零れる。
セレナは悲しそうに眉を下げた。
「どうして謝るの?」
「だって、私のせいで……」
「違うよ」
セレナは首を振る。
「お姉様が苦しんでたのに、気づけなかった私達が悪いの」
「そんな……」
「お姉様はずっと一人で苦しんでいたんでしょう?」
その問いに、リシェルは息を呑む。
一人。その言葉が胸に刺さる。認めたくなかった、寂しかったなんて。家族を求めていたなんて。
でも。
もう誤魔化せなかった。リシェルの瞳から、また涙が溢れる。
「……さみしかった」
小さな声だった。
侯爵夫人が息を詰める。
「皆が楽しそうなのを、遠くから見てるだけで…でも近づいたら駄目だって思って…嫌われてるんだって……」
言葉が止まらない。
今まで飲み込んできた感情が、堰を切ったように溢れていく。
「本当は、お母様にも会いたかったし…お父様とも話したかった…セレナと一緒にお茶したかった……!」
泣き崩れるリシェルを見て、侯爵夫人も涙を零した。
「ごめんなさい……!」
夫人は娘へ駆け寄る。クラウスがそっと手を離し、一歩離れたところから見守る。
一瞬ためらい。それでも、そっとリシェルを抱き締めた。リシェルの身体が固まる。母に抱き締められた記憶など、ほとんどない。
「…愛してるの」
侯爵夫人は震える声で言った。
「ずっと、ずっと愛してるのよ……!あなたを守りたかったの」
リシェルの瞳が大きく見開かれる。
「でも守り方を間違えた…伝え方も、接し方も分からずにあなたを傷つけてしまった。長い間苦しめてごめんなさい…本当にごめんなさい……」
侯爵夫人は泣きながら娘の髪を撫でる。リシェルは呆然としていたが、やがて震えながら目を閉じる。温かい。優しい。
…母の腕が、こんなにも安心するものだなんて知らなかった。
その様子を見ていた侯爵は、苦しげに目を伏せていた。彼だけが動けない。
娘を愛している。だが長い間、距離を置き続けた罪悪感が重かった。今さら父親面など出来ない。そう思っていた。
すると。
「お父様」
不意にリシェルが彼を見た。
侯爵の肩が揺れる。
「……何だ」
声が僅かに掠れていた。
リシェルは涙で濡れた目のまま、小さく笑う。
「心配、してくださっていたんですね」
侯爵は言葉を失った、当然だ。世界の何よりも大切だった。だが、それを一度も伝えられなかった。
「……当たり、前だ」
やっと絞り出した声。
「お前は………お前は私の娘だ…!」
リシェルの瞳から、また涙が零れる。クラウスは静かにその光景を見つめていた。ようやく届き始めた。十八年間、閉ざされ続けた家族の想いが。
◇
その時、外から慌ただしい足音が響いた。結界術師の一人が飛び込んでくる。
「旦那様!」
侯爵が振り返る。
「どうした」
「王宮から使者が……!」
室内の空気が凍った。
「王宮だと!?」
「は、はい……!先ほどの魔力波動を感知したらしく、詳細確認のため騎士団と魔術院がこちらへ向かっています!」
侯爵の顔色が変わる。最悪だった。あれだけ大規模な魔力暴走。隠し通せるはずがない。侯爵夫人が青ざめる。
「そんな……!」
セレナもリシェルを庇うように抱き締めた。
リシェル自身も震えている。
「……ごめんなさ、
「謝るな」
また謝ろうとする彼女をクラウスが遮った。低く、鋭い声だった。彼は真っ直ぐ侯爵を見る。
「侯爵」
「……分かっている」
侯爵の表情が変わる。覚悟を決めた顔だった。
「もう逃げ切れん」
長年隠し続けた秘密。
それが今、王宮へ届こうとしている。




