44.救済
拘束具が、軋むような音を立てて光を放った。
「……なに?」
研究員の誰かが息を呑む。魔法陣が不規則に点滅している、それは異常だった。本来なら、完全封印された魔力は外へ漏れない。なのに今…
リシェルの内側から、何かが応えている。微かに体が光を帯びる。
「っ、やめろ……!」
ガルディアの声が初めて焦りを帯びた。
「抑え込め!」
研究員達が慌てて制御術式を展開するが、すでに遅い。空気が揺れた。リシェルの胸の奥で、ずっと押し殺されていたものがほどけていく。
怖い。
痛い。
寒い。
苦しい。
でもーー。
その中心に、ひとつだけ残っているものがあった。
『君は守られていい』
あの日。
初めて抱きしめられた温もり。
初めて『化け物じゃない』と言われた夜。
あの手の温かさだけは、今も胸の奥に残っていた。
「……クラウス、様」
掠れた声。
クラウスは即座に応えるように一歩前へ出た。
「ここにいる」
微かな笑みに短い言葉、それだけで十分だった。リシェルの中の『恐怖』が、少しだけ揺らぐ。体の中に確かなものが生まれる。
ガルディアが叫ぶ。
「感情で魔力を制御するなどーー理論上不可能だ!」
だがクラウスは動じない。
「不可能じゃない」
即答。
「一人でやらせるから不可能になる」
その言葉と同時にーー。
リシェルの拘束具が、強く光る。
「なっ……!」
研究員達が後ずさる。魔力が、満ちていく。
が、暴走の兆候ではない。
破壊でもない。
もっと静かで、温かい揺らぎ。リシェルは涙を流しながら、ゆっくり顔を上げた。クラウスがそこにいる。
見ている。
逃げない。
否定しない。
「…私」
唇が震える。
「怖いです…」
クラウスは即座に頷いた。
「知ってる」
「でも………」
「分かってる。…俺がいる」
短い返答。
それが安心だった。
リシェルは息を吸う。
吐く。
もう一度。
そのたびに、胸の奥の魔力が増大して揺れる。でも壊れない。崩れない。誰かが、支えているから。
ガルディアが呟く。
「馬鹿な……これは……」
理解できない現象。増大しているのにも拘らず暴走でも抑圧でもなく完全に安定している。それは研究理論に存在しない答えだった。
ガルディアが叫ぶ。
「拘束術式を維持しろ!」
研究員達が魔法陣を展開する。しかし、全員が青ざめた。
「術式が維持できません!」
「どういうことだ!」
「自己否定反応が……消失しています!」
空気が止まる。
「……何?」
ガルディアが初めて声を失う。拘束具の魔法陣が、一つ、また一つ、音もなく消えていく。まるで、役目を終えたように。
そして――
甲高い音とともに強く光った後、パキン、と音を立てて拘束具が自ら砕け散った。
研究員達が一斉に構える。だがリシェルは暴れなかった。ただゆっくりと、椅子から立ち上がる。足は震えているが、倒れない。クラウスが駆け寄る。
「リシェル!」
その声で、彼女はようやく小さく笑った。
「……来てくれて、ありがとう……」
その瞬間だった。
ガルディアの魔法陣が一斉に起動する。
「拘束術式再展開!」
轟音とともに、魔力の鎖が再びリシェルへ殺到する。
その前に。
クラウスが剣を振るった。
一閃で魔力の鎖がすべて切断される。
「触れるな」
低い声にそれだけで空気が凍る。リシェルはその背中を見ていた。ずっと怖かった場所。ずっと『化け物』だと言われる場所。でも今は違った。そこに立っているのは、自分を否定しない人間だった。
ガルディアは静かに息を吐く。
「……この結果は想定外だ」
クラウスは剣を構えたまま言う。
「想定できないのは、お前達が『人間』を見てないからだ」
沈黙。
リシェルは一歩、踏み出した。クラウスの隣へ。まだ怖い。でも…、一人じゃない。
「クラウス様」
「何だ」
「……帰りたいです」
その言葉に。
クラウスはほんのわずかに笑った。
「そうだな」
剣を構え直す。
「帰るぞ」
リシェルの中で、何かが完全に変わった。
『化け物』ではなく。
『人間』として。
ーー初めて、自分を認めた瞬間だった。




