4.隠された違和感
その夜。
クラウスはアルヴェイン侯爵家の客室で、一人考え込んでいた。
「危険、か……」
窓の外には静かな夜庭が広がっている。
リシェルの言葉が頭から離れなかった。
『私が危険だから』
あの声音は、自虐でも冗談でもなく、本気でそう信じている声だった。
クラウスは椅子に深く腰掛け、腕を組む。
これまで数々の貴族を見てきた。権力争い、陰謀、虚飾。
だがリシェルの抱えているものは、そういう類とは違う。
もっと根深く、もっと痛々しい。
「……調べる必要があるな」
彼女を放っておけなかった。
◇
翌朝。
クラウスは屋敷の使用人達にさりげなく話を聞いていた。
「北棟の警備が妙に厳しいな」
廊下ですれ違った老執事へ何気なく尋ねると、一瞬だけ表情を固くした。
「……旦那様のご命令ですので」
「令嬢一人にしては大袈裟じゃないか?」
「…………」
返事がない。明らかに何かを隠している。だがクラウスは追及しなかった。無理に聞き出しても意味はない。確信は強まった。
ーー北棟には秘密がある。
◇
昼過ぎ。
クラウスは再び北棟へ向かった。もう半ば習慣のようになっている。
リシェルは薬草園ではなく、今日は温室にいた。白い花へ水を与えている。
「探したぞ」
声を掛けると、彼女は振り返って目を瞬かせた。
「あ……クラウス様」
「今日はここか」
「外は風が強いので」
温室の中は柔らかな陽光で満ち、花々の香りが漂う。
その中心に立つリシェルは、まるで一枚の絵画のようで、クラウスは一瞬見惚れ、慌てて咳払いをする。
「……この花は?」
「月白花です」
リシェルはそっと白い花弁へ触れた。
「夜になると光るんですよ」
「光る?」
「はい」
彼女は少し嬉しそうに微笑む。
「見ますか?」
「ぜひ」
クラウスが頷くと、リシェルは少しだけ表情を柔らかくした。最近、彼女は以前より笑うようになってきた。まだ遠慮がちだが、それでも確実に変わっている。
「…クラウス様は」
不意にリシェルが口を開いた。
「どうして、こんなに北棟へ来るんですか?」
「来ては迷惑か?」
「そ、そうではありません」
リシェルは慌てて首を振る。
「ただ…不思議で」
「不思議?」
「皆さん、北棟には近づきたがりませんから」
その言葉に、クラウスは静かに彼女を見る。
「俺は来たいから来てる」
「……理由になっていません」
「君に会いたい」
さらりと言われ、リシェルが固まった。
「ーーーえ?」
「会うと安心する」
クラウス自身、驚くほど自然に言葉が出ていた。騎士団では『氷の副団長』とまで呼ばれているのに…こんな台詞を自分が言う日が来るとは思わなかった。
リシェルは顔を真っ赤にして俯く。
「そ、そのようなことを、簡単に言ってはいけません……」
「何故?」
「誤解されます」
「誤解じゃない」
リシェルは完全に黙り込んでしまった。耳まで赤くなっている。クラウスはそんな彼女を見て、内心で苦笑する。可愛い。何をしても反応が初々しい。
まるで今まで誰からも大切に扱われてこなかったみたいに。
ーー実際、そうなのかもしれない。
その考えに、胸の奥が鈍く痛んだ。
◇
その頃。
侯爵家本館では。
「クラウス殿はまた北棟へ?」
アルヴェイン侯爵が深いため息を吐いていた。
向かいに座る侯爵夫人は、不安そうに指を握り締めている。
「……リシェルに何かあれば」
「分かっている」
侯爵の声は重い。
北棟の周囲には、何重もの結界が張られている。普通の令嬢相手ではあり得ないほど強力な封印。だがそれでも、完全ではない。
最近のリシェルは以前より感情が安定している。それ自体は良いことだ。しかしーー
「クラウス殿が刺激にならねばいいが……」
侯爵が苦しげに呟く。リシェルはずっと1人だった。誰かに愛情を向けられれば、きっと縋ってしまう。
今まで与えられなかった分、なおさら。
「…あの子は、もう十八なのですね」
侯爵夫人の目に涙が滲む。
「普通なら、夜会へ出て、お友達を作って、恋をして…」
全部奪ってしまった。
侯爵は苦しげに目を閉じた。
「王家に知られれば終わりだ」
その声には恐怖が滲んでいた。
「絶対に、知られるわけにはいかない」
ーーたとえ嫌われても。
リシェルに、生きていて欲しかった。




