3.はじめての笑顔
騎士団の負傷者は、一命を取り留めた。
リシェルが調合した薬は驚くほどよく効き、毒の進行は数時間で止まったという。その報告を聞いたクラウスは、思わず深く息を吐いた。
「本当に助かったのか」
「ああ。医師達も驚いていた」
騎士団本部で執務机に腰掛けながら、クラウスは部下の報告を聞いていた。
「副団長、あの薬は誰が?」
「……知人だ」
「王宮薬師ですか?」
「いや」
クラウスは少し迷い、結局答えなかった。リシェルの存在を軽々しく広めたくなかった。
あの北棟で暮らす少女は、どうにも危うい。社交界に放り込めば、面白半分に傷つける貴族もいるだろう。
そんなことを考えている自分に、クラウスは内心驚いていた。
まだ数回しか会っていないのに、もう守りたいと思っている。
…守りたい?
クラウスが戸惑っているとさらに部下は続ける。
「重症だったレオンが『女神だ』って騒いでましたよ」
「……女神」
「はい。薬を作った方に結婚を申し込みたいと」
「断る」
即答だった。
部下がぽかんとする。
「え、いや、まだ何もーー」
「断る」
何故か妙に腹立たしくて、クラウスは眉間を押さえた。自分でも意味が分からない。
◇
三日後。
気付けばクラウスはまた北棟に足が向かっていた。
薬草園では、リシェルが小さな木箱を抱えていた。
「あ」
彼に気づき、少し目を丸くする。
「クラウス様」
「また来た」
「…そうですね」
リシェルはどこか困ったように笑ったが、以前より、その表情は柔らかい。
クラウスは気付いた。彼女は最初より少しだけ、自分を怖がらなくなっている。
「その箱は?」
「乾燥薬草です。保存庫へ持っていくところでした」
「手伝おう」
「えっ」
クラウスは当然のように箱を持ち上げる。
リシェルが慌てた。
「だ、駄目です! 騎士団副団長様にそんなこと……!」
「クラウスな。重いだろう」
「ですが…」
「俺が持ちたい」
あまりにも自然に言われ、リシェルは言葉を失った。こんな風に扱われたことがない。誰かが自分を気遣うなど、考えたこともなかった。
リシェルは俯いた。
「…変な方ですね」
「よく言われる」
クラウスは平然と返す。リシェルは思わず小さく吹き出した。
ーーその瞬間。
クラウスの足が止まった。
「………今、笑っ、た…?」
「え?」
リシェルも固まる。確かに今、自分は笑っていた…
自然に、何も考えずに。
その事実に、自分自身が一番驚いていた。
クラウスが呆然と彼女を見つめる。
柔らかく細められた紫水晶の瞳。ふわりと緩んだ口元。全てを諦めたようなあの微笑ではない、自然な笑み。
綺麗だった…思わず息を呑むほどに。
「クラウス様?」
「……反則だろ」
「え?」
「いや、何でもない」
クラウスは片手で顔を覆った。心臓がうるさい。騎士団でどれほど美しい令嬢を見ても何とも思わなかったのに。
たった一度笑われただけで、この有様だ。
「……重症だな」
「何か仰いました?」
「独り言だ」
リシェルは不思議そうに首を傾げる。
その仕草すら愛らしく見えて、クラウスは頭を抱えたくなった。
◇
保存庫へ向かう途中、廊下の先から数人の使用人が歩いてきた。彼らはリシェルを見た瞬間、露骨に顔色を変えた。
「っ……!」
慌てて道を開ける。その視線には怯えが滲んでいた。
リシェルは慣れたように足を止め、壁際へ寄る。
「申し訳ありません」
また謝った。クラウスは眉を寄せた。使用人達は頭を下げながら、逃げるように去っていく。
ーー思わず黙り込んでしまった。胸の奥がざわつく。怒りとは違う、けれど見過ごせない何かがあった。
そんなクラウスにリシェルは小さく笑った。
「皆さん、優しいんです」
「……あれが?」
「怖いのに近くにいてくれるので」
クラウスは理解できなかった。どうして彼女は、そんな風に考えるのだろう。明らかに怯えられ、避けられている。傷ついて当然なのに。
「君は腹が立たないのか」
「え……?」
「理不尽だと思わないのか」
リシェルは少し考え込み、やがて静かに首を振った。
「…皆さんが正しいんです」
「何故」
「私が………」
「危険だから」
クラウスの表情が止まる。
危険?その言葉は、妙に重かった。リシェルはハッとしたように口を閉ざす。
「……すみません、変なことを言いました」
「リシェル」
クラウスが真剣な声で呼ぶ。
「君は何を隠している?」
紫水晶の瞳が揺れた。
けれど彼女は、ゆっくり微笑むだけだった。
「秘密です」
その笑みは、どこか泣きそうだった。




