39.君が来ると信じてる
騎士団本部は、かつてないほど殺気立っていた。廊下を駆ける騎士達に、飛び交う怒号。
地図と資料が次々机へ広げられていく。
「王宮魔術院地下施設の候補地点は三つ!」
「転移痕の追跡班、急げ!」
「近衛側の動きは!?」
「既に王宮防衛線が強化されています!」
完全な非常事態だった。その中心にいる男だけが、異様なほど静かだった。クラウスだ。彼は作戦卓の前に立ち、無言で地図を見下ろしている。
ーーだが。
周囲の騎士達は知っていた。
今の副団長が、一番危険だと。
「……副団長」
側近の騎士レオンが慎重に声を掛ける。
「少し落ち着いてください」
「落ち着いてる」
「全然そう見えません…」
クラウスの周囲だけ空気が重い。怒気が漏れている。しかも本人に自覚がない、それが余計に怖かった。
「……王宮に正面から突っ込む気ですか」
「必要なら」
「必要しか感じてませんよね?」
「当然だろう」
クラウスは地図へ指を滑らせる。
「王宮魔術院地下。外部秘匿区域。転移封鎖あり。研究施設を兼ねている」
淡々と分析する。
「なら実験対象として扱われる可能性が高い」
その瞬間、机の端が、ミシッと軋んだ。クラウスが無意識に握り潰しかけている。レオンが青ざめた。
「副団長、机、机」
「……失礼」
全然失礼で済む圧じゃない…。騎士達が震える。だがクラウス本人は気づいていなかった。頭の中が、リシェルでいっぱいだった。あの怯えた顔。
『クラウス様ーー!!』
最後の叫び、あれが耳から離れない。胸が焼ける程苦しい。怖かっただろう…泣いているだろう。また自分が悪いと思い込んでいるに違いない。その想像だけで理性が削れる。
「……殺す」
ぼそり。
室内が静止した。
レオンが恐る恐る聞き返す。
「今なんて?」
「いや」
クラウスは真顔だった。
「まだ殺してない」
「駄目ですからね!?」
即座に止められる。
だがクラウスは不機嫌そうだった。
「研究目的で彼女を攫った連中だぞ」
「それでも王宮関係者です!!」
「知るか」
またそれだ。騎士達は頭を抱えた。副団長が恋愛するとこうなるのか。知らなかった……知りたくなかった。
その時。
勢いよく扉が開く。
「クラウス殿!!」
侯爵だった。その後ろにはセレナと侯爵夫人もいる。皆、顔色が悪い。クラウスはすぐ立ち上がった。
「何か分かりましたか」
「地下施設候補の一つが旧王立研究所跡地だ。現在は閉鎖区域扱いだが、魔術院管轄になっている」
侯爵が地図を叩きながら言う。クラウスの目が鋭くなる。
「転移反応は?」
「そこだけ不自然に遮断されていた」
「……黒ですね」
クラウスは剣を掴む。だが侯爵が低く言った。
「待て」
「止めないでください」
「単独で突っ込む気だろう」
「当然です」
「当然じゃない!!」
珍しく侯爵が怒鳴った。クラウスが目を瞬く。侯爵は額を押さえた。
「気持ちは分かる……!」
「なら」
「だが娘を助ける前に、君が死んだら意味がないだろう…!!」
クラウスが黙る。侯爵は深く息を吐いた。
「リシェルは……君が来ると信じてるはずだ」
その言葉が胸に刺さった。
「だから焦るな。助け出す方法を一緒に考えよう」
クラウスは目を閉じる。
数秒。
やがて小さく息を吐いた。
「……失礼しました」
ようやく少し冷静さが戻る。レオン達が心の底から安堵した。本当に怖かった。だが次の瞬間。
「では、全戦力で奪還します」
クラウスが言った。静かな声だった。しかしその目には、獣のような光が宿っている。
「王宮が相手でも関係ありません」
騎士達が息を呑む。クラウスは剣を腰に差した。
「リシェルを取り戻す」
その一言だけで十分だった。
ーー全員が理解する。何を言ってもダメだ。
この男は、絶対に止まらない。
愛する人を奪われた騎士はもう、誰にも止められない。




