38.檻の中
冷たい。最初に感じたのは、それだった。肌を刺すような寒気に湿った石の匂い、遠くで水滴が落ちる音。
「……ぁ……」
リシェルはゆっくり目を開けた。視界がぼやける。身体が重い。手首に鈍い痛みを感じ、視線を落としーー息が止まった。
銀色の枷。
複雑な魔法陣が刻まれた拘束具が、両手両足を封じていた。
「……っ」
王宮級の魔力封印に気づき青ざめ全身から力が抜ける。
周囲を見回すと、そこは石造りの部屋。窓はなく、鉄格子。薄暗い灯り。完全な牢獄だった。
「……ここ、は……」
「王宮魔術院地下研究棟」
低い声にリシェルの肩が跳ねる。鉄格子の向こうに、白髪の男が立っていた。ガルディア卿。氷のような眼差しがリシェルを見下ろしている。リシェルは反射的に身体を縮めた。
「安心しなさい」
ガルディアは淡々と言う。
「君は国家管理下に置かれただけだ」
「……っ」
「『魔喰い』は危険だ。野放しにはできない」
その言葉が胸に刺さる。危険…管理、やはり自分は、そういう存在なのだ。ガルディアは続ける。
「侯爵家は感情に流され過ぎた。本来なら、幼少期に王宮へ引き渡されるべきだったのだ」
リシェルの瞳が揺れる。
「……やめて」
「現実を見なさい」
冷たい声。
「君は普通ではない」
リシェルの指先が震えた。分かっているーーそんなこと…ずっと前から。
「その力は災害級だ。一歩間違えば多くの命が失われる」
「……」
「だから管理する。研究し、制御法を確立する」
まるで人ではなく、道具を語る口調だった。リシェルは俯く。胸が痛い、怖い。
でもーー
どこかで納得してしまう自分もいた。自分は危険だ、だから閉じ込められる。それが当然なのだと。
ガルディアは鉄格子越しに彼女を見つめた。
「協力的なら苦痛は少ない」
「……協力?」
「検査だ」
リシェルの顔色が変わる。ガルディアは表情一つ変えなかった。
「『魔喰い』は極めて希少だ。研究価値は高い」
研究…?その単語に、胃が冷える。まるで人間扱いされていない。リシェルは小さく震えた。
「……いや」
「拒否権はない」
その時だった。廊下の向こうから、複数の足音。白衣の研究員達が現れる。彼らは興奮したように囁き合っていた。
「本当に『魔喰い』か」
「思ったより普通の娘だな」
「魔力反応値は?」
「封印下でも異常数値だ」
「興味深い……」
視線、視線、視線。まるで珍しい動物を見るような目。リシェルは呼吸が乱れた。
「……やだ」
誰か助けて。頭の中に浮かぶのは、たった一人ーークラウス。
だが、ここにはいない。もう会えないかもしれない。その事実が胸を締め付けた。
「クラウス、様……」
小さな声だったが、ガルディアは聞き逃さなかった。
「ヴァルク卿か」
冷淡に言う。
「無意味だ。ここは王宮魔術院最深部。騎士団ですら容易には踏み込めない」
リシェルの瞳から涙が零れる。
「……っ」
「諦めなさい」
その言葉は残酷なほど静かだった。
「君はここで生きるしかない」
ガルディアは踵を返す。研究員達も続いた。重い扉が閉まる鉄の音がした後は、完全な静寂。リシェルはその場で膝を抱えた。
怖い。
寒い。
苦しい。
涙が止まらない。
「……やっぱり」
震える声が漏れる。
「私は……化け物、なんだ……」
誰かを好きになってはいけなかった。幸せを望んではいけなかった…。期待したから、夢を見たから、こんなふうに壊れる。リシェルは顔を伏せ、静かに泣いた。
一方その頃。
王都では、クラウスが騎士団本部の扉を蹴り開けていた。轟音に室内の騎士達が息を呑む。普段冷静な副団長とは別人だった。
「副団長……!」
「総員招集」
低い声。
だが圧が凄まじい。
「王宮魔術院地下施設の位置を割り出せ」
「し、しかし相手は王命を――」
「知るか」
空気が凍った。
クラウスの瞳には、一切の理性がなかった。
「リシェルが泣いてる」
拳が震えている。
「だったら、助けに行く以外あるか」
その瞬間、騎士団全員が悟った。
ーーああ…
副団長、完全にキレてる。
そして。
誰にも、もう止められない。




