37.強制連行
その日、朝から空気は異様だった。アルヴェイン侯爵家の使用人達は皆、張り詰めた顔をしていた。騎士達が慌ただしく行き交い、本館には重い沈黙が漂っている。
リシェルは北棟の窓からその様子を見つめ、不安そうに指を握った。
「……何か、あったのかしら」
胸騒ぎがする。嫌な予感だった。
すると突然、北棟の扉が勢いよく開いた。
「お姉様!」
飛び込んできたセレナの顔は青ざめていた。
リシェルの心臓が跳ねる。
「セレナ?」
「王宮魔術院が来ています……!」
空気が凍った。
「え……」
「正門前に魔術師と近衛騎士が……っ、『魔喰いの身柄引き渡しを要求する』って……!」
リシェルの血の気が引く。
…ついに来た。
頭では分かっていた、けれど実際に現実になると、呼吸がうまくできない。
「お父様達が対応しています!でも、向こうは強制執行許可まで持っていて……!」
リシェルの膝が震える。終わったーー自分のせいで。侯爵家は王宮に逆らうことになる。
「クラウス様は……?」
「騎士団と一緒に正門です!」
セレナは悔しそうに唇を噛む。
「でも相手は王命を盾にしてる……!」
遠くから怒号が響いた。リシェルの肩が跳ねる。窓の外を見る。本館前の庭園に、大勢の人影。漆黒のローブを纏った王宮魔術師達に武装した近衛騎士。空気そのものが威圧感を放っていた。
そして中央に立つ白髪の男が、冷淡な声を響かせる。
「これは王命である」
王宮魔術院筆頭。
ガルディア卿。
氷のような目が北棟を見据えていた。
「危険指定個体『魔喰い』を確保する。抵抗は反逆と見なす」
「…娘は物ではない!」
侯爵の怒声が響く。リシェルは目を見開いた。父が、あれほど感情を露わにするなんて。ガルディアは冷笑した。
「感情論ですな、侯爵」
「貴様……!」
「『魔喰い』は国家管理対象。放置すれば災害となる」
「リシェルは人間だ!!」
空気が震えた。リシェルの瞳が揺れる。
父が、自分のために怒っている。…あんなにも必死に。だがガルディアは一切表情を変えなかった。
「感傷は不要です」
魔術師達が一斉に杖を掲げる。侯爵家の騎士達も剣を抜いた。
殺気。
一触即発。
「やめて……」
リシェルの声は震えていた。
「やめて、お願い……」
自分のせいで戦いになる。それだけは嫌だった。
その時、
「リシェルは渡さない」
低く鋭い声。
クラウスだった。彼は騎士達の前へ進み出る。剣を抜き、ガルディアを睨み据えた。
「彼女に指一本触れてみろ」
空気が張り詰める。ガルディアが目を細めた。
「……ヴァルク騎士団副団長か」
「答えろ」
クラウスの声は冷たい。
「何の権利があって、彼女を物みたいに扱う」
「危険だからだ」
「だから閉じ込める?」
「必要ならば」
「ふざけるな!」
怒気が爆発した。周囲の騎士達が息を呑む。クラウスは剣を構えた。
「彼女は誰より優しい。誰も傷つけたくなくて、自分を犠牲にしてきた」
その瞳が燃える。
「そんな人間を化け物扱いするならーー」
一歩、前へ。
「俺は王宮だろうと敵に回す」
リシェルの胸が大きく揺れた。
どうして…どうしてこの人は。ここまで自分のために怒ってくれるのだろう。涙が溢れてくる。
しかし、ガルディアが冷たく手を上げる。
「……確保しろ」
それを合図に魔術師達が一斉に魔法陣を展開した。空気が爆ぜる。
轟音。
「っ!!」
結界が北棟を包み込む。リシェルは息を呑んだ。
「お姉様!!」
セレナが叫ぶが遅かった。眩い拘束魔法が、リシェルの身体へ絡みつく。
「きゃあっ!!」
強烈な魔力圧。身体が動かない。恐怖が一気に押し寄せる。
「や、だ……!」
魔力が暴れ始める。空気が震動した。窓ガラスが砕け散る。
「リシェル!!」
クラウスが叫ぶ。だが魔術師達は止まらない。
「対象確保!」
「転移術式、起動!」
足元に巨大な魔法陣が浮かび上がる。リシェルの視界が歪む。怖い、嫌だ。連れて行かれる、また独りになる!
「クラウス様ーーーーー!!」
リシェルの絶叫にクラウスが駆け出した。
「リシェル!!」
だが、光が全てを呑み込む。轟音、爆発的な魔力。そして……
リシェルの姿は、消えた。
静寂。
数秒後。
「くそっ!!!」
クラウスの剣が地面へ叩きつけられた。凄まじい衝撃音に石畳が砕け散る。彼の顔から、完全に表情が消えていた。
「……副団長」
騎士が恐る恐る呼ぶ。クラウスはゆっくり顔を上げた。その瞳には。殺気しかなかった。
「……絶対取り戻す」
低い声だった。だがその場にいた全員が理解する。この男は、本気だ。たとえ王宮を敵に回しても、必ずリシェルを奪い返すと。




