32.俺も嫌だ
クラウスが戦っている頃、地下避難路ではリシェルが胸を押さえたまま、その場にしゃがみ込んでいた。
「はぁ……っ、う…」
苦しい、胸が熱い。まるで誰かの感情が流れ込んでくるみたいだった。
「リシェル様!」
グレイが慌てて支える。
「大丈夫ですか!?」
「ク、クラウス様が……」
声が震える。怒り、焦り、強い想い。それらが断片的に伝わってきて苦しい。不安でもどかしくなる。これが『共鳴』?さっきグレイが言っていた現象なのだろうか。
「副団長は無事です」
グレイが落ち着かせるように言う。
「むしろ、相手側が大変かもですね」
その言葉通りだった。遠くから断続的な轟音が響いている。もはや戦闘というより災害。セレナが青ざめて呟いた。別の場所ではアルヴェイン侯爵本人も戦っている。
「クラウス様、怒ると怖い……」
「ええ……」
侯爵夫人も引き気味だった。でも、リシェルだけは少し違う。怖いはずなのに、同時に胸が熱くなる。クラウスは、自分のために怒ってくれているんだ…それが嬉しかった。
そして、
ーーズキン。
再び共鳴が始まる。
「うっ……!」
今度はさらに強かった。クラウスの感情が鮮明に流れ込んでくる。
『渡さない』
『離さない』
その強烈な意志に、だんだんリシェルの頬が熱くなる。
「リシェル様?」
「……だ、大丈夫です」
本当は全然大丈夫じゃない、心臓が壊れそうだ。こんなに強く思ってくれるなんて…。痛くてもどかしくて、でも嬉しくて。生まれて初めて知る感情を、どう受け止めればいいのか分からなかった。
少し後、音がやんだと思ったら地下通路入口側から足音が響いた。全員が緊張する。グレイが杖を構えた。
「誰です!」
息をのんで待っていると、
「俺だ。とりあえず一旦は終わったぞ」
いつもの低い声がした。後ろに侯爵もいる。
「クラウス様!」
リシェルが立ち上がる。現れたクラウスは、服のあちこちが裂けていた。腕には血も滲んでいる。
「け、怪我を……!」
リシェルの顔が青ざめた。
だがクラウス本人は平然としていた。
「ん?ああ、掠っただけだ。これくらいどうという事は…」
「掠ったなんて軽い傷じゃありません!」
珍しく被せ気味で、強い口調で言われた。こんなリシェルは初めてで、クラウスが呆気にとられた顔で黙る。
リシェルは泣きそうな顔で彼の腕を見る。
「ち、血が、いっぱい出てるじゃないですか……」
「…心配してくれるのか」
「当たり前です!」
涙目で即答だった。
クラウスの表情が柔らかくなる。
「悪い」
彼は少しだけ笑った。
「嬉しい」
「嬉しくありません!私のせいで…!」
「ちが…」
リシェルは半泣きだ。クラウスが否定しようとしたら即座にリシェルがかぶせる。
「ちゃんと治療してください……!」
「…分かったわかった、ふっ…」
「笑わないでください!本当に心配してるんですから!」
「分かった」
微笑んで素直に頷き、そっと頭に手をのせそのまま髪を梳く。その後も泣いたり怒ったり心配したりするリシェルをクラウスは微笑みながらなだめ続ける。
そんな二人を周囲が静かに見守っていた。
…完全に、夫婦みたいだった。セレナが小声で呟く。
「…お姉様、お母さんみたい」
「確かに」
侯爵夫人まで頷いた。
「副団長、完全に尻に敷かれそうね」
「否定出来んな……。私も一応怪我をしているのだが全く目に入ってない…」
侯爵が寂しそうに遠い目をする。クラウス本人は助けた本人に怒られるという理不尽な状況のはずなのに、満更でもなさそうに微笑んでいた。
◇
治療室代わりの小部屋へ移動後、リシェルは調合した傷薬を塗り、クラウスの腕へ包帯を巻いていた。
…距離が近い。鼓動がうるさい。でも今は集中しないと…。
「……痛くないですか?」
「平気だ」
「強がりです」
リシェルはむっとした。
「ちゃんと大事にしてください」
「……努力する」
「絶対する気ないです」
クラウスが少し笑う。
「怒られてるな、俺」
「怒ってません…!」
リシェルは包帯を結びながらわずかに俯いた。
「ただ……、クラウス様が傷つくのが嫌なだけです…。しかも、私のせいで…」
消え入りそうな声。クラウスは静かに彼女を見る。紫水晶の瞳が潤んでいる。本気で心配してくれている。胸が熱くなった。
「それは違う。…リシェル?」
リシェルが顔をあげてクラウスを見る。すると、諭すようにクラウスが静かに言う。
「……はい」
「俺も嫌だ」
「え?」
「君が泣くの」
リシェルの手が止まる。クラウスはそっと彼女の頬へ触れた。
「だから、守る。君のせいじゃない、俺が、守りたいだけだ」
真っ直ぐな言葉。逃げ場がない。リシェルはあっという間に真っ赤になってしまい、顔を上げられなかった。
その時。
コンコン、と扉が叩かれる。
「失礼します」
グレイと侯爵家のみんなが入ってくる。セレナが気遣わしげに言う。
「クラウス様、大丈夫ですか…?」
「ああ、大丈夫だ。ありがとう。リシェルの傷薬は効くからな」
心配してくれているようだ。だがすぐにグレイの表情の深刻さに気付いた。
「副団長」
「どうした」
「王宮側が動きます」
空気が変わる。グレイは低く告げた。
「明日、王家主催の夜会があります」
「…夜会?」
「そこで正式に、リシェル様への招待が行われる可能性が高い」
侯爵家全員の顔色が変わった。正式招待、つまり、王都貴族社会全体の前で、リシェルの存在を知らしめる気なのか…
「最悪だな」
クラウスの声が冷える。グレイはさらに続けた。
「そして……王太子殿下も出席されます」
その瞬間。侯爵が険しい顔になった。
「…まさか」
「ええ」
グレイは静かに頷く。
「王家は、おそらく『婚約』を使ってきます」
リシェルの思考が止まった。
「……え?」




